#48話:氷室結界と常識の違い
グリースターは結界術を専門とする結界職人で、これまで村の魔導師達と共に様々な結界を開発してきた。【獣払い】の結界もギュランダムや村人たちとの共作だ。
彼は術に見合った要石を選出し、結界を効率化する役割を担っている。彼の工夫ひとつで術に供給できる魔力量や設置費用が決まるのだ。
彼自身は魔導術をそれほど詳しく修めてはおらず、あくまで術に適した結界の張り方を研究している。逆に彼以外の村人は結界についてさほど詳しくない。
彼が作っているもののなかに、結界術と魔導術による氷室があった。それは氷室結界と呼ばれている。ただし現時点では役に立ちそうもないものだ。
結界に冷却効果を持つ魔導術を組み合わせて作ったものだが、結界から供給できる魔力が、術に求められる量に対して少なすぎた。供給される魔力に合わせた術を作ると、なにかを冷やせるようなレベルに到底届かないのだ。
「結界で得られる魔力は、結界の大きさと要石の質によって決まるのねー。小型の結界じゃ地脈から得られる魔力が少ないから、あんまり強い術は使えないのー」
「かといって大きい結界を作れば内部を冷やすのにそれだけ多くの冷気が必要になる。魔導書のほうもかなり効率よくなってはいる……結界から供給できる魔力も現時点じゃ最高のものなんだが、とてもじゃないが氷室って感じじゃねーなこれは」
結界の中に手を突っ込み、その温度を手で確かめるグリースター。深鷺は触ると壊れるので確かめられない。
そこでフリネラが替わりに片手を入れた。少し経ってから手を抜くと、両手で深鷺のほっぺたを挟む。しかし、左右にほとんど温度差は無いように思える。
グリースターは、説明はこれで終わりだと言わんばかりに、結界の復旧作業に戻ってしまった。深鷺の相手をする気はないらしい。
フリネラはこうなることが予想できていたので、特に気にせず話を続けた。
「ちなみにこの結界、もうかれこれ五年くらいずっと改良してるらしいんだけど、それでもこの程度なのよー。レイゾウコの足元にも及びそうもないわねー」
「中に氷を入れたら……意味がないですよね」
「うん、魔力だけでっていうのがポイントねー。もちろん氷室と併用すれば少しは冷たくなりそうだけど、それにしたって、弱すぎるかなー」
「んー……」
深鷺が唸っていると、フリネラが条件をまとめてくれた。
まず、結界が供給できる魔力には限界があり、これ以上は望めない。これはこの村における結界術の第一人者、というか唯一の専業結界職人であるグリースターがそう言うのだから間違いない。彼以外で結界をまともに研究できる人物がこの村にはほとんどおらず、辛うじてギュランダムとクイシェが可能、といったところなので、これは覆しようがないだろう。
冷気を生み出す魔導術をこれ以上効率化するのは、今知られている魔導式の組み合わせでは不可能と思われる。これはクイシェやギュランダムを含む村の魔導師たちが考え抜いて作った術だからだ。これだけ大勢が考えて無理だったのだから、こちらもそう簡単には変えようが無いだろう。
しかし結果的には、かろううじて機能はしているが効果はほとんど無いという魔導書【微冷却】なんてものが出来あがってしまっていて、しかもそれ以外に使える魔導書が存在しないというのは寂しい話だとフリネラは言う。
この村ではまだ知られていない魔導式が見つかればまだ改良の余地はあるかもしれないが、たとえ改良しても目に見えた成果は現れないのではないだろうかと、皆は予想しているらしい。
「結界を重ねたりするとどうなるんでしょう? 小さい結界を一回り大きい結界で覆って、繰り返していけば……効果が重なって、真ん中のひとつはすごく冷えたりとか」
「それがねー、あんまり密集させると、うまく作れなくなっちゃうらしいのよねー」
村が【獣払い】の結界に覆われていて、その内側でも結界が張れている、というところに目を付けた深鷺だったが、要石同士の距離はある程度離さなければならないらしい。
しかし、先日、村の結界に深鷺用の出入り口を作るための実験に呼ばれたときは、ギュランダムが結界を同じ場所に複数設置していたはずだ。そのことを思い出しフリネラに告げるが、急にグリースターが割り込んできた。
「そりゃ無理だな。あれは厳密に言えばひとつの結界を切り分けてるようなもんだ。仮にあのやり方で結界を多重に張ったとしても、ひとつ張ったのと同じ効果しか出ねえよ」
実は話を聞いていたらしい老人は、しかしそれだけ言うとまた黙々と作業を続けていく。
「うー……」
深鷺はさらに考え込む。
そもそも、専門家がずっと考えてどうしようもないことを素人のわたしが考えたところでどうにかなるものだろうか?
弱気な考えが頭を過ぎったが、しかし簡単に諦めてしまうわけにもいかない。
迷惑を掛けた分はしっかり返さなければ。
「あ、そういえば」
「なにか思いついた?」
「あの、フリネラさん。前にお風呂を沸かすときに、えーと……導線? の話をしましたよね」
「うん、したわねー」
「そのときに、確か……」
フリネラの実験浴場には魔力を流す“導線”が刻まれた風呂釜があった。風呂は【加熱】が生み出す熱で沸く仕組みだったが、その時彼女がいった言葉を思い出す。
「えーと、その場にあるものを利用するほうが、使う魔力が少なくて済むんですよね?」
「そうだけどー……?」
「この結界につかってる術は、冷気を“生み出す”術なんですよね?」
「ええ……でも、冷気を他から持ってくるんじゃ、氷室の中に氷室を作るのと変わらないわよー?」
「えーと……冷気を持ってくるんじゃなくて、熱の方を持って行っちゃえばいいかなって」
「……熱気をー?」
フリネラから聞いた話が記憶違いでなければ、ゼロから熱を生み出す術よりも他から熱を持ってくる術の方が、使う魔力が少なくなるだけでなく術としても扱いやすい物であるという。
確か、一指魔導書と二指魔導書の差になるほどのことだとか。
深鷺はまだ超初心者用に試作された掌魔導書しか扱えないため、それがどれほどの差であるのかわからないが、これは一石二鳥でとても良いアイディアのように思える。
これなら少なくとも今の冷気を生み出すものよりは冷えるはずだ。術が簡単になれば扱える人も増える。クジールさんも喜ぶだろうと、深鷺は自分の発想に満足しかけた。
しかし、2人は疑問の言葉を返してくる。
「なにいってんだコイツ?」
「……熱を運んでどうするのー?」
「……え?」
内容が伝わっていないのかと繰り返し説明するも、フリネラは困惑顔で、グリースターはあきれ顔だ。深鷺が逆に「冷やさなきゃダメなのよ?」と諭される始末である。
「えーと、だから……熱を奪ったら冷えますよね?」
「??」
そこで深鷺は、ここが中世ファンタジー風の異世界だということを思い出した。
(あれ、もしかして熱の仕組みが……わかってない?)
深鷺も自信を持って言えるほど詳しいわけではないが、一応フリネラにそのあたりのことを聞いてみる。
案の定、熱に関する認識のズレが発覚した。
フリネラたちは熱を、冷たい状態と暖かい状態、そしてそのどちらでもない状態、という考え方をしているらしい。そして、熱気を与えれば暖かくなり、冷気を与えれば冷たくなる。どちらも与えなければどちらでもない状態になる。
冷気を足すか熱気を足すかするだけで、熱を奪うという発想が無いらしかった。
「というわけで、すくなくともわたしの世界では、熱を奪えばそれだけ冷たくなるんですよ」
文明の違いか、あるいは彼女たちは魔導術に慣れているせいで余計にそういった考えになるのかもしれない。
彼らは魔術の研究者ではあるが科学の研究者ではないのだなあと、深鷺はなんとなく思った。
汗が蒸発して体温が下がる。アルコールなんかはすぐに揮発するのでとても冷える。たしか冷蔵庫もそういった気化熱を利用して冷やしているのではなかったか。
電気をつかってどうやって気化熱を扱えばいいのか深鷺はよく知らない。しかしこの世界では直接魔導術で熱を奪うことができる。
もし魔導術に科学を当てはめることが可能なのだとしたら、彼らが効果を誤解、あるいは十分に理解していない術もあるかもしれない。気が付いたことがあったら教えてあげようと思いつつ、ふと不安になる。
はたして同じ物理法則で、この世界は動いているだろうか?
「なるほどねー。わかったわ。じゃあ、この件はわたしに任せてー」
「フリネラさんが作るんですか?」
「結界はそこのグリースターが作るけど、熱を移動する術ならわたしが作れるわ。というか、熱に関する術ならわたしに任せなさーいって感じねー」
先ほどは首をかしげていたフリネラだったが、深鷺の話を理解すると俄然やる気が出てきたようだった。
「もしかしたら、世界が違うから上手く行かないかもしれませんけど……」
「試してみる価値は充分あると思うわー。大丈夫、きっと上手く行くわよー」
フリネラは深鷺のアイディアを試してくれるようだった。とりあえずやることが決まったので、今日のここでのお手伝いは終了となる。アイディアを提示した以上、結界を触れば壊してしまうような助手は邪魔だろう。
常識の違いにかなり驚いてしまったが、これはつまり彼らから見れば自分が常識知らずであると考えられる。
知識の正否はともかく、この世界流の常識は早めに学んだ方がいいのではないかと、深鷺は思ったのだった。
次回は4日予定です。