#40話:暗殺者と変な人
「えーと…………ミラナさん?」
深鷺が山で拾われた日には容態を見てくれたという猫系獣人が、そこにいた。
まるで忍者のように、壁に張り付いた姿で。
先日、実験浴場から山奥にワープしたときにクイシェと共に助けに来てくれた、狩人ではない方の女性だ。
深鷺は意識がある状態でミラナと会うのは二度目になるが、ほとんど初対面のような印象を受けていた。
ミラナの乳白色の髪は肩まで伸びていて――――その髪の色を見た時点で、深鷺は不思議に思った。前に見たとき、どうしてこんなに変わった色の髪をしているのに、印象に残っていなかったのか、と。
山奥で会ったとき、そこに誰かがいたのは憶えている。しかしどんな人だったのかをほとんど憶えていない。ジェネットの方は憶えていたのに。
髪の色について人のことは言えないが、この村の人達は、ほとんどが深鷺から見れば変わった髪の色をしているので、憶えやすいのだ。色だけでなく模様まであるのだから、とても個性的で印象に残りやすい。とはいえ、そのほとんどは銅色、茶系、灰色系などが占めているので、白というのは際立って印象的だ。
白髪のギュランダムもいるが、ミラナは老人ではないし、色も白髪というよりは柔らかめの、乳白色だ。クイシェの水晶髪に比べれば、印象は薄くなるだろうが……
彼女はプロポーションを見る限り20代に見えるが、よく見れば顔は幼い作りをしている。背は獣人としてはどうなのかわからないが、深鷺が知る人間の基準であれば平均ほどだろう。
体の方に獣要素があるかは長袖長ズボン姿なのでわからないが、フリネラと同じように頭にはネコっぽい耳が生えている。瞳もネコのような虹彩と瞳孔を備えていて、色は薄い青色だ。
深鷺はギュランダムの後ろからミラナを見ている。
ギュランダムは深鷺をかばうような位置取りで、天井スレスレにあるミラナの顔を見上げている。ギュランダムは背が高いので首の角度はそれほどきつくはない。
「嫌な予感がしてきてみれば……」
ギュランダムは溜息をついた。
「ギュランダム。どうかした?」
「どうかした、じゃないわ馬鹿者が! いったいなにをしとるんじゃ!」
「尋問」
「尋問する必要がどこにあるんじゃ!」
「彼女はスパイだから」
「どこからそんな根拠もないことを……!」
ミラナはナイフを持つ手を壁から離し、深鷺の顔に向ける。
「彼女の髪は黒い。髪を黒く染めるのは暗殺者」
(え、そうなんだ)
ちょっとショックを受ける深鷺。それは一般的な常識ではなく、一部の裏の世界に少なからず関わる人間のみの知識なのだが、深鷺がそんなことを知るはずもないし、そもそもそれほどメジャーなものではない。
「それは異世界人だからじゃ! そもそも黒髪の暗殺者が昼間から堂々と姿を見せるはずなかろうが!」
「彼女の使い魔は暗殺向きの生来術を持っている」
【盲点迷彩】のことだろう。深鷺はなるほどと思ってしまった。確かに姿を隠せるのは泥棒とか暗殺に向いていそうだ。
「その使い魔は先日契約したばかりじゃ!」
「彼女は最初から怪しい。山で見つけた遭難者なのに救助されたとき怪我の1つもなかった」
「それはそういう体質なんじゃ!」
いわれてみれば怪しいと思われても仕方がない要素だった。一応クイシェとカウス、ギュランダムが穴に隠れていたということは証言出来るが、それ以前にどこにいてなにをしていたのかは深鷺の言うことを信じるか否か、でしか判断できない。
(そっか、信じてもらえない場合はこうなる…………の? え、その場合暗殺者扱いなの……?)
少し飛躍しすぎじゃないだろうかと深鷺が思っている間も、2人の口論は続く。
「彼女には、情報を手にさえすれば逃げる手段がある」
「その手段をわざわざこちらに教えるメリットは何じゃ! そもそもコントロールができんようではないか!」
今度はワープ体質のことを言っているのだろう。確かに言われてみれば、逃げるのには役立ちそうだ。自分の意思で場所とタイミングが決められて、あとは服ごと移動できるとしたら、便利そう……と、深鷺はガッカリした。
ミラナは自分が考える尋問の必要性、深鷺をスパイだとする根拠は述べるが、ギュランダムの反論に対してさらに反論する気はないらしかった。
ギュランダムの方はといえば、声は荒々しいものの、1つ1つ答えを返し、諭しているようにも見える。
(ていうか)
ここまでの理由のほとんどが妙な体質のせいだった。つくづく変な体になってしまったと気落ちする深鷺の耳に、今度は体質が関係ない理由が聞こえてきた。
「彼女は――――治癒魔術に興味を持っている」
(治癒魔術……?)
クイシェが言っていた。治癒魔術は存在が確認されていない、と。
「そりゃ仕方なかろう! 知らんもんに興味が湧くのは若者なら当然じゃ! 別にわしのことを知っているわけじゃなかろう!」
(わしのこと?)
深鷺は気になったが、今聞くのは無理だろうと断念する。
「まったく、まさかこんな小さな子にまで疑惑の目を向けるとは……」
そう言うギュランダムを見て、こういうことは今までにも何度かあったのかもしれないと、深鷺は感じた。
ミラナはまだ続ける。
「彼女は、ギュランダムを変な人呼ばわりした」
「そりゃ事実じゃ!」
「え、自覚ありですか」
ついツッコミを入れてしまった深鷺。その言葉に反応してミラナがこちらに、ギッとさび付いた人形の如く首を回した。壁に張り付く女性の、ホラーっぽい動きに深鷺の足が竦む。
「ゆるせない……!」
彼女の声に、はじめて感情らしきものが混じった。情感の薄そうな顔がほんの少しだけ歪み、劇的に変化するよりも恐ろしさを感じさせる。それは氷が音をたてて軋むような表情だった。ミラナの、猫のものである瞳孔が細くなってゆき――――
すかさず「ごめんなさい!?」と怯え気味に謝る深鷺。
「えーいやめんか! とりあえずそこから降りて、ミサギに謝れ!」
言われたミラナは表情を元に戻し、しかし壁に貼り付いたまま言ってきた。
「わかった。形だけは謝る。ごめんなさい」
「え、ええと……はい」
深鷺はとりあえず形だけと明言されてしまった謝罪を受け入れる。ギュランダムは先ほどよりも深く、深く溜息をつき、ミラナに二度と深鷺に手を出さないように念を押した。
「そもそもじゃな……仮に、ミサギが暗殺者だったとして、わしが後れを取るとでも思っとるのか、ミラナよ」
「ギュランダムは、女相手だと油断する」
「おぬしは油断させた上でも失敗したじゃろうが」
「それは、わたしの魅力が足りなかったから……」
「あーあーおぬしは充分魅力的じゃよ」
「ならどうして結婚しない」
「またそれか……」
「あの、お師匠さん?」
「ん? なんじゃ?」
会話からすっかり取り残されていた深鷺だったが、聞き捨てならない言葉を聞いてしまったので質問を挟んだ。
「ミラナさんが失敗したことって……」
「あー……」
目を逸らすギュランダムだったが、答えない意味もないと思ったのか、すぐに答えを返した。
「……こやつは昔、わしを殺しに来た暗殺者だったんじゃよ」
深鷺はスッキリ納得した。
「今はギュランダムの良き妻」
元暗殺者の押しかけ女房は、とにかく自分の意見を淡々と述べるばかりだ。
「そんなことは認めとらん……まあ、話せば長くなるだろu▲▼■。■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■…………■? ■■■■■■■、ミサギ?」
「うあー、このタイミングで……」
自分の名前だけは聞き取れたが、他はもう何を言っているのかまったく判らなくなる。【言語移植】の効果時間が切れてしまったようだ。
言葉の勉強はまだ、会話が聞き取れるまでには至っていない。
深鷺はジェスチャーでそのことを伝えようとするが、ギュランダムと視線が合わないことに気が付く。
(あ、もしかしてまた【盲点迷彩】?)
いまだ術の発動などの感覚がよくわからない深鷺は、ミラナに口を塞がれた時に黒毛和牛が【盲点迷彩】を使っていたことに気が付いていなかった。
深鷺は見えているはずの服の袖などを使いジェスチャーを試みようとして、やめた。
(日本語で喋ればいいんじゃん)
魔導術【言語移植】の効果が切れたことさえ伝わればいいのだからと、深鷺は適当に日本語で喋った。
「12時の鐘が鳴りました!」
だいぶ訝しげな顔をされたが、ギュランダムは深鷺が伝えたいことを理解したようだった。振り返り、ギュランダムはミラナの腕を掴み壁から降ろそうとする。
深鷺は(あ、抱きとめるのかな?)と少し期待したが、ミラナはそのまま垂直に落ちて、“物音を立てることなく”着地した。
(おや?)
しかし深鷺はミラナの身体能力の高さに驚くよりも、抱きとめるついでにお尻くらいは触りそうなエロエロ老人であるギュランダムが何もしなかったことの方に興味が湧いた。
(……圏外?)
そういえばクイシェちゃん以外にセクハラをしているところは見ていない。もしや年齢が圏外なのでは……
「■■■■■■■■■■■■■■■■」
深鷺が自分でもちょっと失礼かな、と思うようなことを考えていると、ミラナが何か言ってきた。当然意味は分からないが。
単純に、そういうことをする空気ではなかったのだろうと、至極当然のことに思い当たり、深鷺はエロ老人の評価(?)を保留した。
ギュランダムはミラナを前に押しやるように退室していった。
去り際に自分の口元を手のひらで覆ったりしながら、深鷺に何かを伝えようとしていたが、恐らくクイシェには秘密にしておくように、といったところだろう。
人差し指を口元に当てるジェスチャーはこの世界には無いのかも知れない。
過ぎ去っていった嵐のようなやりとりを思い出しながらも深鷺は再び机に向うが……筆が進まない。
(あー……ちょっと、なんか、ドキドキしたなー……)
そんなレベルの出来事ではなかったのだが、いろいろ考えることがあり、最初に受けた衝撃はうやむやになってしまった。
疲れを感じた深鷺は、腕を枕にして机に顔を伏せる。
「はあ……」
疑いの目を向けられてしまった。異世界の常識というか、この村の事情についてはどれほど知っているか自信はないし、どこまで知っていいことなのかもわからないが、いきなり暗殺者呼ばわりというのは、さすがに荒唐無稽なのだろうと、ギュランダムの反応を見る限りは判断できる。
しかし実際に暗殺者であったらしいミラナという存在もあり……
(疑われても仕方ない立場なんだよね。みんな優しい人ばかりだから、忘れてたけど)
自分は、自分の身を証明するものをなにひとつ持っていないのだと、この身ひとつで異世界に飛ばされた不運を改めて嘆く。たとえなにかを持っていたとして何かの役に立つわけではないが――――深鷺はカバンに入れて持ち歩いていた生徒手帳を恋しく思った。
再び溜息をつく。さっきからなんかこの部屋、溜息だらけじゃん、などと気付きながら。
(はー……クイシェちゃん、早く帰ってこないかなー……)
心の中でも溜息をついて、寂しがる深鷺だった。