#39話:スパイと筆談
月が雲に隠れた夜。
カウスが狩人小屋の明かりを灯し装備の点検をしていると、突如背後から声がかけられた。
「狩りはどうだった」
「うおっ? おまえか……気配消して後ろに立つなよ」
驚いて振り向くと、そこには影があり辛うじて人のシルエットが見えた。誰だかはわかっている。こんなことをするのは彼女だけだ。
「狩りはどうだった」
気にせず問いを繰り返す相手に、正直答えたくはないものの、正直に答えるカウス。
「あー…………負けた」
「明日も行くの」
「明日は勝って帰ってくるけどな」
さほど興味があるとは思えない口ぶりに、
(こいつなんでこんな事聞いてきてるんだ?)
と逆に興味が湧くカウスだったが、聞いても答える相手とは思えず、湧いた興味をそのまま散らす。
そのままいつものように返事もなく去っていくのかと思ったが、意外にも質問が続いた。
「クイシェも?」
クイシェのことが気になるのだろうか。
「ああ、クイシェには悪いが、あいつ無しじゃちょっと……面倒でな」
「そう」
もしやクイシェを山中連れ回していることに関しての苦言か?
どうせ答えないだろうが、一応聞いてみるか……
「なあおまえ、なにが気になってるんだ?」
振り向くカウス。
「って、もういねえし……」
◇
翌日、山奥にて。
「これでも喰らいやがれっ!」
「昨日の借りは返すよっ!」
バラバラになって逃走を図る嵌り岩を、カウスはものすごい勢いで追い駆け回り、投網でその大半を捕まえ、残りを粘着玉で足止め、ロープで縛り付け、素手で叩き伏せていた。カウスの討ちもらしはジェネットが矢で打ち落とす。 魔導術による身体強化も自分たちで記憶しているものではなく、動体視力や走力に重きを置いた術を魔導書を使って掛けている。2人は昨日の鬱憤を完全に晴らすつもりで狩りをしていた。
「……おい、あの2人なんであんなにテンション高いんだ?」
「昨日“負けた”からでしょう。2人とも、負けず嫌いだから」
クイシェの護衛役として新たに連れられてきた狩人の男女2人は、狩猟開始前に決して手を出すなと念を押されていたので、クイシェと共に暴れ回る2人の光景を眺めていた。というか2人の姿は既に見えておらず、木々の奥から聞こえてくる恨みのこもった嬉しそうな声を2人分聞いているだけだ。
虎模様の男が、兎耳の女に問う。
「カウスはともかく、ジェネットってわりと大人ぶる方だろ?」
「大人ぶるって事は子供ってことでしょ。よーは似たもの同士なんだわね」
「いい年してまったく……獣人は精神年齢が子供なやつらが多いって俗説の代表みたいなやつらだな」
「ジェネットは人間でしょ」
好き放題言われる2人だったが、綿密に準備を行い、クイシェという枷から外された2人の狩人は人間業とは思えない活躍で次々に嵌り岩を行動不能にしてゆく。
「で、クイシェはクイシェでなんか気が別の方向いてる?」
「まあそれも仕方ないわよ。初めて同世代の友達ができたんだからね」
騒がしく狩猟中の2人がいる方向を向いているようでいて、実際はその上方、流れる雲をなんとなく視界に収めながら、クイシェは上の空で岩肌に座っていた。
(よかった……これで仕事は終わりだし、今日は早く帰れそう……あ、でもあんまり早いと寂しく思ってくれないかな……じゃない! だからそういうことは思っちゃ駄目だって……)
◇
時はさかのぼり、場所は深鷺の部屋。
「……こうして2人はまた、いつものように手をつないで旅を続けるのでした、と」
深鷺は自分の勉強用に、日本語訳とその発音をメモしたノートを作っていた。紙やインクは魔導術用ではなく普通の品を使っている。
教科書代わりの本には、クイシェの部屋にあった絵物語をいくつか使わせてもらっている。クイシェからはどれでも好きな本を使っていいと言われていたので、内容が簡単そうな絵本から選んだ。
内容は女の子向け男の子向け両方があった。2人の仲の良い女の子が不思議な出来事に関わる可愛らしい冒険もの、男の子が仲間を作りながら竜を倒して英雄になる話、1人の女性が竜に認められて王様になる話……
「クイシェちゃんが小さい頃に読んでたのかなー……おっと、のんびりしてる暇はないんだった。【言語移植】が効いてるうちに写せるだけ写さないと」
つぎは英雄ものにしようか、と一番上に詰んでいたからという理由で次の本を開き、翻訳と発音を描き始める。
机の隅で転がっていた黒毛和牛が、ぴくり、と反応した。
「ん? どーかした?」
黒毛和牛の向いた方向、背後を見ても閉じたドアがあるだけだ。
「……なにか、わたしには見えないものを見ている?」
と、いきなり口を塞がれた。
「――――違う。見えるモノを見ていただけ」
「んんっ!?」
危険を感じた黒毛和牛が瞬時に【盲点迷彩】を発動させた。深鷺の姿は見えなくなったが、何者かはすでに深鷺の口を塞ぎ、喉に短剣を突きつけている。
聞こえたのは聞いたことのない女性の声だ。
「動かないで。抵抗したら殺す。いまから質問をする。質問には筆談で答えて」
(なに!? ころす!? このひとだれ!?)
聞こえてきたのは女の声だ。視界の下端に見えている、深鷺の口を押さえている手も、女性のもののように思える。後頭部に当たる感触は胸だろうか。
深鷺は体を緊張で強ばらせながらも、震える手で返事を書いた。
『はい』
その文字に満足したのか、女性は宣言どおり質問を始めた。
「あなたはどこの生まれ」
『ニホン』『異世界』『チキュウ』
「あなたの目的は」
『家に帰ること』
「どこの組織に所属している」
『学校?』
「なぜここに来たの」
『わからない』
質問に少し間が空く。
「あなたにとってクイシェはなに」
『恩人』『友達』『テンシ?』
「あなたにとってギュランダムはなに」
『クイシェちゃんのお師匠さん』『センニンっぽい』『ちょっと変な人』
「黙って、さもなくば殺す」
「んーっ!?(喋ってないよ!?)」
また少し間が空いた。言ってることがおかしいと自分で気が付いたのだろうか? と深鷺は思った。
「……質問を続ける」
このひとは、2人の知り合いだろうか。
現実味のない展開に頭が追いつく前に、そんな疑問が湧き出てきた。というよりも、非現実に慣れてきたのだろうか?
深鷺は恐怖を感じ困惑しながらも、考える余裕を持ち合わせていた。
知り合いだとしたら、どうしてこんなことをするんだろう?
しかし深鷺の疑問に答えがあるはずもなく、あまり感情の感じられない淡々とした声による質問が続いてゆく。
「あなたにとって、魔術とはなに」
『たのしそう』『使ってみたい』
「あなたにとって、攻撃魔術とはなに」
『かっこよさげ?』
「あなたにとって、治癒魔術とはなに」
『あったら便利そう』
「………………」
しばらく沈黙が続き、深鷺としては緊張に満ちた時間が過ぎてゆく。
「あなたはどこかのスパイ」
『ちが』
「いいえ、あなたはスパイ。答えて。どこから送り込まれたのか。なにが目的か。正直に答えれば命だけは助け――――」
「た、わ、けもんがぁぁぁ!!」
ばたん! と勢いよく扉が開く音と共に突如響いたギュランダムの声で、深鷺は手と刃物による拘束から解放された。
(タワ・ケモンガー?)
聞き慣れない口調から、深鷺は一瞬妙な動物を空想しかけたが、とりあえず落ち着くことにする。
背後にはギュランダムがいた。そして視線をそのまま移動させると――――
「ええっ?」
まるで漫画やアニメで見た忍者かなにかのように、猫系獣人の女性が部屋の隅、壁と天井によって作られる角に、両手両足で張り付いていた。
その人物には見覚えがある。確か……
「えーと…………ミラナさん?」