#3話:山奥の出逢い
「まったくいい年して、どうしてそんなに元気が良いんですか!」
「なんじゃその口ぶりは。年寄りが元気でなにが悪い」
「というかよく考えたら、お師匠様ともあろう方が腰の痛みくらい自分で治せないわけがないですよね……!」
「それはそうじゃろう。気が付くのが遅いのう」
「……!!」
村の一大事というわりには緊張感のない2人だった。
会話を続けながら向かう先は村の中心にある広場だ。なにかが起きたときは事態の解決に必要であろう人材がそこへ集まる事になっている。
言い争いの内容から事情を察した村の女性たちは氷点下の視線を大柄な老人へと集中させていたが、ギュランダムはまったく意に介さず反省の色はない。
2人が広場に到着すると、すでにクイシェから事情が伝わっていた結界や魔獣の問題を担当する村人たちが広場に集まっていた。
さっそく皆で協力して結界の再設置を始める。こんなときのために予備の準備はしてあるものの、設置には4時間近くかかってしまった。作業を終えた頃にはすっかり夜も更けている。
ギュランダムは村の狩人数名に「念のため寝ずに警戒しているように」と言い置き、犬の耳が生えた狩人を1人連れてクイシェと共に森へと入っていった。
月のない夜の山の中を犬耳狩人の案内で進んでゆく。
魔導術【浮灯虫】によって生み出された複数の光の球が、道無き道を照らしていた。
松明などとは違い、燃焼を用いずに安全に辺りを照らす事ができ、光が揺らぐ事もない。また、自動的に対象の周囲を漂うため、手が塞がれないという便利な術だ。
「どうじゃクイシェ」
3人の真ん中を歩くクイシェにギュランダムが問いかけた。
「近くなってきてます」
「この先には魔獣の餌場があるが、大物が寄りつくような場所じゃあないぜ? まあ、クイシェの勘を疑う気はないんだが」
「あ……カ、カウスおじさん。今日は違うの。たぶん」
「……あ? なんだ、魔獣じゃないのかよ……」
「なんじゃ、やけに重装備だと思ったら勘違いしておったのか」
狩人は過去の経験から、結界の異常時には魔獣が絡んでいると思いこんでいたため、今回もその類だと思っていた。
すらりと高い背丈で魔獣の毛皮が使われた狩人装束を着込み、灰色でボサボサの短髪から犬の耳を生やした青年。名をカウスというこの犬系獣人の狩人は、村で最も挑戦的な男として知られている。
若い頃からなにか凄いもの、優れたものへ挑むことに情熱を燃やし続けており、自分に少しでも勝てる可能性があると感じると、相手がなんであれ挑戦した。それは動物、昆虫、魔獣、そして年下の少女であろうとも一切相手を選ばずにだ。
以前彼は、狩人として磨いていた魔獣を見つけ出す技術とクイシェの超感覚を競い、惨敗したことがある。年齢にして半分以下、下手をすれば娘とも言えるような年下の少女に挑んだ挙げ句に負けて以来、彼はクイシェの実力を認めている。
良い笑いモノになったカウスだったが、村人たちの笑いも嘲笑ではなく娯楽としてのものだ。むしろ実力としては村中が一目置く男である。
クイシェにとってそれ以来、なにかと関わることが増えた相手だった。
「強そうな魔獣を感知したら俺に知らせろよ」
というような関係である。
彼は外見上かなり人間に近いタイプの獣人で、頭の犬耳と髪の色を除けば、ほぼ人間と見分けが付かない。
尻尾すら生えていないのだが、もし生えていたとしたら力なく垂れ下がっていたであろう声色で、カウスは愚痴をこぼした。
「結界が壊れたなんて言ったら、てっきり魔獣退治かと思うじゃねーか」
「そりゃおぬしの願望じゃろ。人の話聞いとったのか?」
「あー…………俺、先帰っても良いか?」
「カウスおじさん……」
どうりで勢いよく立候補してきたはずだと、先にしっかりと告げておかなかったクイシェは申し訳なさそうにしている。
「阿呆。駄目に決まっておるじゃろうが。まったくおぬしはいつまでたっても子供のように……そろそろいい年なんじゃから大人らしく落ち着いたらどうじゃ?」
「いや、アンタにだけは言われたくない……」
「お師匠様は人のこと言えません」
ギュランダムは都合の悪いことは耳に入らないと言わんばかりに先へ進む。
クイシェは自分の感覚でわかることを2人に伝えながら、後を付いて歩く。
「近くに来たのでだんだんわかってきたんですけど……その、違和感は少しずつ動いているみたいです」
「ふむ? 動きがあるということは生き物なんじゃろうかのう」
「でも魔獣じゃないんだろ? クイシェの感覚は俺にはよくわからんが、魔力を感知するんだよな。でも魔獣以外で違和感を感じる、動く魔力って、いったいなんなんだ? 村の関係者以外で術者でもうろついてんのか?」
「それを調べに行くんじゃろうが。しかしクイシェ、本当に魔獣ではないんじゃろうな」
「魔獣じゃない……はずです……」
「クイシェが言うなら間違いはないだろうぜ」
「違和感の理由についてはなにか掴めそうかの?」
「……ぜんぜんだめです。本格的に調べればわかるかもしれないですけど……」
じわじわと近づいていく距離。
違和感を持つ存在がクイシェたちを意識している、というような動きは感じられない。フラフラとブレるような動き方だが、どうやらこちらの進路に対して垂直方向に移動しているらしかった。
移動先で遭遇できるように相手の進路に対してナナメに向かう方向を示しながら、クイシェは感覚を研ぎ澄ましてより詳しく魔力を感じ取る。
やがてかなり急勾配な坂の側面に差し掛かり、クイシェは立ち止まるとその坂を指さした。
「あ、あそこです! あの木の左側……」
「坂の……上か?」
「いえ、坂の下の方です。ちょっと、埋まってる……? もう動いてません」
「ここからじゃとよく見えんのう」
魔獣ではないとは思いつつも、小声になる3人。
距離が離れている上に正面でもないため、中が見えない。
「クイシェはここで待っておれ。カウス、行くぞ」
「へーい」
あからさまにやる気を無くしているカウスを叩きつつ、ギュランダムはなるべく音を立てず、回り込むように移動する。
「……………………くすん……」
(…………泣き声?)
男2人は坂の正面に立った。
そこには人ひとりが入れるくらいの窪みがあり、その穴の奥からは細くて白い足が生えている。
「……あ?」
カウスは訝しげに顔を歪ませ、
「ぜ……」
ギュランダムは目を見開いた。
カウスの周囲を漂う【浮灯虫】が穴蔵の中を照らす。
そこには、
「ぜっ、全裸のおなごじゃとおおおおお!? ひゃっほ――――うぶっ!?」
「あああ、アホかこのクソジジイッ!?」
突如恥ずかしい叫び声を上げたギュランダムを思わずぶん殴って止めたカウス。このシチュエーションでこの反応はありえない。
2人が見たのは、坂に空いた小さな穴の奥で座り込んでいる、素っ裸の少女だった。
カウスが恐る恐る振り向くと、案の定少女は怯えきった表情でこちらを見ていた。
「ああー……クイシェー! 来てくれー!」
カウスは即座に反転し、殴り飛ばしたギュランダムの足首を掴んで引きずりながら、クイシェのいる方へ走る。
「お、女の子がいたんですか!?」
「ああ、素っ裸のな」
それを聞いた瞬間、クイシェは凄い勢いで後ずさった。
「か、カウスおじさんさんのえっち! 変態っ!!」
「いや俺は不可抗力だろ!? なんでジジイんときより反応が過敏なんだよ! しかも変た……いやそんな場合じゃなくてだな!」
「そうやって……男の人はいつも誤魔化すんです……!」
両手で体を守るように涙目で訴える姿を見て、カウスは身近な人間による悪影響がわりと深刻なのではないかと心配になった。
「……いや、マジな話、こんなところであんな姿、絶対訳ありだからよ。クイシェがなんとか、ちゃんとやってくれ……」
「あ……はい」
変に取り乱しているのを自覚したのか、真面目な(それでいて一瞬で疲れたような)顔をしたカウスを見て、なんとか自分を落ち着かせるクイシェ。引きずられているギュランダムを無意識に踏み越え、坂の穴へと駆け寄る。
クイシェが中を緊張しながら覗き込んでみると、そこには怯えている少女がいた。
明かりから逃れるように穴の奥へと背中を押しつけ、少しでも隠れようとしているようだ。だがこの横穴は人が立ち上がれるほどの高さもなく、奥に体を押し込めば辛うじて人間1人が雨をしのげる程度のものだ。正面に立たれればどうしたって隠れようがない。
(女の子……! 女の子だ! 同い年、くらい、かな……!?)
クイシェは“同年代の少女を見るのは初めてのこと”であり、裸でこんな所にいるという状況よりも、そちらの意味で緊張していた。
「あ、あの、怖がらなくてもいいですよ。もう大丈夫です」
とにかくそう言わなければならないと思ったクイシェは「大丈夫」を繰り返す。
しかし少女の表情から怯え以外のものが読み取れるとすれば、それは不可解、不理解といったものだった。
(もしかして、言葉がわからないのかな……?)
どんな事情があればこんな僻地の山奥で裸で隠れなければならないのか、まったく想像は付かなかった。見たところでは“怪我はしていない”ようなので、そのことにはとりあえず胸をなで下ろす。
国を越えてかなり遠いところから来た可能性もあると考えたクイシェは、試しにいくつかの言語で話しかけてみたが通じた様子はなかった。
クイシェは一瞬だけ考え込むと、少女にゆっくりと話しかけた。
「ええと……い、いまからちょっと頭に触ります……いい、かな……?」
なるべく怖がらせないように自身も冷たい地面に膝を突き、少女と視線を合わせる。自分の頭を触り、少女の頭を指さし、目を見ながら、それを根気よく繰り返し、同じ事を繰り返し伝える。意味が伝わったであろうと確認してから、ゆっくりと手を近づけ始めた。
これからなにをするかは理解していないに違いなかったが、わからないなりにも少女は協力的で、頭を自分からクイシェの方へと近づけていた。
(……よし)
だいぶ緊張しているようだったが、どうにか頭に手を触れることを受け入れて貰えたことにクイシェは安心した。クイシェは何故か自分も心臓が破裂しそうなほど緊張していることを自覚しないまま、そのままゆっくりと頭を抱きしめ始める。
(“受け入れてくれてる”……よね? これなら、たぶん、大丈夫……)
少女の冷え切った体を服越しに感じながら、意識を集中する。
体内で魔導式が組み上げられていくイメージ。一瞬で描かれた図面。その枚数は489。
それらは力の流れる先を7つの指に配分され、重なった。
【浮灯虫】とは比べものにならない、複雑な術式だ。
「……【言語移植】……」
言葉と共に魔光に包まれたクイシェ。
照明を目的とした【浮灯虫】の光とは違い、魔光があたりを照らすことはない。そして魔光はたとえ目を閉じていたとしても感じられる。
(いきなり魔術を使ったりして、驚かないでいてくれるといいけど……)
その魔光がゆっくりと、少女へ伝わっていく。
一呼吸ほどの時間を掛けて、全ての魔光が少女の中へ消えた。
「うん、大丈夫、かな……」
「……え?」
「こ、言葉、わかるよね?」
「うん、わかる……なにこれ、すごい。魔法みたい……」
少女は驚きの表情だ。
「よかった……成功してて。大丈夫、安心していいよ」
そう伝えると少女は本当に安心してくれたのか、そのまま気を失うように眠ってしまった。




