#32話:約束事と召喚ちーと
「わかった、約束するよ」
あっさりと承諾するクジール。
クイシェが言う約束とは「ミサギを無理に利用しないこと」というものだ。
「まあ……改めて約束しなくても、この村に住む皆にとってはルール以前、暗黙の了解どころか常識だけれども」
クアラ村は、それぞれがなにかしらの事情や野望を抱えた魔術研究者の集まりだ。出身地はバラバラで、実は国外出身者が半数以上を占めている。
研究が進まずに出資者に見限られた者や、斬新すぎて見向きもされなかった者なども含め、方々から研究者をかき集めるように作られた村であり、恐らくこの世界でもっとも自由な研究集団だろう。
一応の名目上、国に貢献する研究が行われていることになっているが、住人達は自分の信念や趣味的欲求に忠実だ。
フリネラなどは、かなりわかりやすく自分の趣味を貫いている。その成果は文化、衛生、健康面に役立つだろうと思われているが、フリネラ本人はただお風呂好きでそのすばらしさを広めたいだけだ。
なお、研究成果についても組織や国に不当に奪われたり利用されたり、ということはなく、はぐれ研究者にとってはまさに楽園のような村である。
そんな自由なクアラ村だが、彼らがここに住み、研究を続けていくためには最低限守らなければならないルールが存在していた。特別難しいことが定められているわけではなく、ただ、ときに研究者という人種が破ってしまうことのある、常識というものについて定められているだけだ。手段は選べ、ということである。
そのなかには「個人の意思を尊重する」というものがあり、違反すれば即追放となるだろう。
拉致誘拐、人体実験、非人道的な研究を行う研究者や組織は少なくない。この村にはそういった組織に嫌気が差して逃げ出した研究者もいる。
クイシェも、そういった組織の元で育っていれば今頃はどうなっていたかわからないような存在である。
「あ……や、それは……そうなんですけど……」
常識だ。と、冷静に考えてみるとまったく言われたとおりだったが、世の研究者が過去に引き起こしてきた悪行や人災の記録を知るクイシェとしては、深鷺を安心させるためにもしっかりと言葉にしておきたいという気持ちがあった。
このやりとり自体、深鷺を安心させるためだけのものに近い。
深鷺のことで頭がいっぱいになっていたのもあるが、当たり前のこと過ぎて逆に意識も実感もなかった、というのもある。だから改めて言葉にしたのだが、常識だと言われればそれも当然のことなので、いたたまれない。
そうして恥ずかしさで固まっているところに追い打ちがくる。
「ありがとね、クイシェちゃん」
「クイシェちゃんはやさしいねえ」
守ろうとしてくれている姿勢に、素直なお礼を言うクイシェと、微笑ましそうに褒めてくるクジール。
「はぅ」
うつむいて黙ってしまったクイシェは、しばらく両手で顔を隠していた。
◇
クジールの研究室に3度破裂音が響く。
「うーん、なるほど。魔光は見えないけど、魔力は流れているんだね。それで、魔力を流したら魔導書の効果に関係なく破裂する、と……」
部屋にはたった今破裂させた魔導書の紙片が宙を舞っている。
中の頁が無惨に散らばり、表紙だけが残る手元を見て深鷺は恐る恐る聞いた。
「本当に良かったんですか? こんなにしちゃって……」
「あんまり良いとはいえないけど、僕は君を魔導師にすると決めたからね」
クジールは万人に魔導術の素晴らしい恩恵を与えるために、と日夜研究を続けている。それは特殊な体質を持つらしい深鷺も例外ではない。
「それに、不安にさせるかもしれないけど、君の魔力が原因で破裂しているのだとしたら君の力は危険かもしれない。コントロールできるようにしておいたほうが良いと思うよ」
「それってどんな危険があるんですか?」
「んー、とりあえず破裂するのは危ないよ。君に直接害が及ぶことはないとは思うけど……なにぶん前例がないからね。だから、とりあえず内術は使わないようにね? あ、内術って言うのは体内にイメージした魔導式に魔力を流して使う術のことだよ。魔従術も内術に当てはまるから、当面自分では使わないように。コントロールはクロゲワギュー君に任せておきなさい」
「……はい」
つまり深鷺の姿が消える消えないに関しては、今まで通り黒毛和牛に一任されると言うことだった。どのみち、コントロール以前に意思の疎通が出来ていないので問題はないだろう。
内術に関しては、自分の体が魔導書のかわりになるというようなものだと聞いている。
(……ということは、いま内術を使ったら、体が破裂する!?)
自分のステータス欄に「自爆ボタン」という不吉な項目が追加されたような気がした深鷺だったが、
(はっ!)
横にいたクイシェに心配される前に「大丈夫! 問題ないよ!」と先手を打った。
「ミサギちゃん……」
台詞自体、強がりっぽかったようで、あまり効果はなかった。
「まあ、だから早いとこ破裂の原因を調べないとね――――あ、これも推測でしかないけど、自分の魔力に害される生物というのは、それが特別な意味を持つ場合を除いて今のところ確認されていないから、ミサギちゃんが君自身の魔力で傷つけられるということはないと思うよ? もちろん発動した術のほう、たとえば魔術で放った炎に自分が巻き込まれる。というような危険性はあるんだけどね」
クイシェはクジールに、自分の超感覚が深鷺から常に違和感を感じ取っていることと、魔術を使いっぱなしなのに何時間経っても、何度計ってみても魔力が100点から増えも減りもしないことを伝えた。魔導書を破裂させた後も、深鷺の魔力点は変化していない。
さらに深鷺は、それは自分が異世界からやってきた存在だからではないか、ということも話す。
「――――異なる世界からきた、ね。ちょっと僕にはよくわからないけど、ミサギちゃんのいた世界ではよくある話なのかい?」
「物語としてはありますけど、事実としては…………でもわたしが遭遇したんだから、あったのかなあ……」
以前ギュランダムにも、深鷺の世界に神隠しなどの伝承があると言ったことを思い出す。
「物語のほうも気になるなあ。どんな話があるんだい?」
「物語っていっても、わたしが知ってるのはほとんど……伝承とかじゃなくて、作り話ですよ?」
「ふうん? たとえばどんな?」
「えーと……」
妙に食いつきの良いクジールに、ミサギは異世界系ストーリーをいくつか、かいつまんで説明した。
転生、召喚、二次創作、チート。
いくつもの要素の組み合わせで無数に描かれる物語。
ロボットものなど、説明が面倒そうなものは省く。
「なるほどねえ。いや、おもしろそうじゃない。よくわからないところもあったけど、読んでみたいなあ」
「はあ」
読みたいと言われても丸暗記しているわけではないので、深鷺にはどうすることもできなかった。クジールも単にぼやいているだけで深鷺に要求しているわけではないのだろう。
「じゃあミサギちゃんはその、召喚ちーと、な分類に入るわけだね」
「チートですか?」
異世界不運系……というジャンルがあるのならそちらではないだろうか、と深鷺は反射的に思った。なにせ妙な体質ばかりが増えていくのだ。
ワープする度にすっぽんぽん(と考えて、兄が愛読していた男性向けのラブコメ作品などが頭をよぎったが忘れることにした)になり、視界の歪む透明人間もどきに変身し、まだ可能性でしかないにせよ「自爆能力」を持った主人公がいったいどこにいるというのか……。
深鷺の不満には気が付かず、クジールは続ける。
「魔力が100点から変わらないってこと。さっき自分で言っていたじゃないか。ばぐ、だっけ?」
計測した魔力が100点から微動だにしない、というのをクイシェから聞いて、深鷺が最初に連想したのはゲームの話だった。
裏技、バグ技、改造、チート。決して減らないMP。
だがそれはゲームの話で、現実には……質量保存則とか、なんかいろいろあるはずだ。
それともこの世界は自分が知らないだけで、なにかのゲームの世界なのだろうか?
目の前にいる2人がゲームの登場人物である、という思考はあまり愉快な結論に至りそうもないので、すぐに考えるのを止める深鷺。
クジールは危険な話をする間も、ほとんど変わらぬ優しげな表情で話を続ける。
「もちろん減らないって言うだけじゃ破裂の説明にはなってないけど、だから僕にはよくわからないんだけどね……ちょっと明日まで待っててもらえるかな? 思いついたことがあるから、明日また実験をしよう」




