#31話:本クラッカーと命名権
「――――つまり、一指魔導書っていうのは指1本、魔力を流し込む箇所が1カ所でいいものなんだ。表紙を見てもらえればわかるけど、この丸い印に術者は指を合わせて魔力を流し込むわけ。印が3つなら三指、5つなら五指魔導書というわけだね。印ごとに流し込む魔力をそれぞれ調整しなければならない場合もあるから、二指魔導書以降はより難しくなっていく。そういうわけだから、一指魔導書はもっとも簡単だと言われているけど、僕が試作したこの魔導書は漠然と表紙に手のひらを合わせて魔力を流し込めば発動するようになってるんだ。指1本とはいえ指先へ魔力を集中させるのにだって訓練が必要になるからね。より簡単にするために、集中の工程も省略してしまおう、というわけさ。わかりやすく一掌魔導書って名付けてみたよ。これなら、魔術未経験者でもなんとなく気合いを入れる程度のことで、術が発動してくれるんじゃないか――――と期待しているんだけど、この村には純粋な素人がいないものだから実践ができなくてね。ちょうど全くの素人だというミサギちゃんが来てくれたのは大助かりだよ――――」
クジールはゆったりとした質素な服のところどころをインクで汚した、丸眼鏡の若い男だ。
背はすらりと高めで、優しいお兄さんというイメージがしっくりくる穏和な外見だが、ひとたび喋らせると止まらない性質であるらしい。
似たところがある兄を持つ深鷺は特に気にならなかったが、クイシェの方はすこし焦れているようだった。
お兄さん、といっても彼は獣人なので、実際の年齢は40前後だろうか。
体はほとんど隠れているし、見えている範囲にも獣要素が少なく、どんな動物がベースなのかわからないが、細長い尻尾が背後でふらふらとゆれているのが見える。
イメージ的に、草食獣がベースではないかと深鷺は思った。
彼の髪は獣人の目印として一般的な明るめの茶髪だったが、元の世界で茶色に染められた髪は見慣れていたのもあり、尻尾を隠してしまえば、深鷺には人間にしか見えない。
自己紹介から魔導書の解説、いくつかの閑話と今日のお手伝いについて、までをクジールが語り終えると、待ってましたという表情でさっそく前に出る深鷺。実験開始だ。
後ろではクイシェが不安げな顔で立ち会っていた。深鷺の不思議な体質によって、もしかしたら“なにか”が起こるかもしれないと考え、今日は一日付き添うことにしたのだ。
「気合いなら任せてくださいっ」
ガッツポーズをしてから、魔導書に手のひらを合わせる深鷺。憧れの魔法使いへの1歩として、期待に満ちた瞳がらんらんと輝いている。
すっかり深鷺の頭の上を定位置としている黒毛和牛(愛称はギュー)も、意気込みが伝わったのか「ピッ」と鳴いていた。
「いきまーす…………はーっ!」
体からオーラが吹き出るようなイメージで気合いを入れ、某宇宙戦闘民族の必殺技を放つイメージで、手のひらに力を込めた結果、
パァン!
「きゃっ!?」
破裂音と共に、魔導書が細切れに吹き飛んだ。
研究室内に無数の紙片が舞い上がる。
「な、なんだっ!?」
驚愕したクジール。その視線が、紙吹雪で満たされた視界のなかから深鷺の姿を探して彷徨う。
驚いて悲鳴をあげた深鷺が、着ていた服だけを床に落として、消えてしまったのだ。
「またっ!?」
目の前から再び消失した深鷺を見て、クイシェは慌てて自分の超感覚に集中し、すぐに安心した。
気配は家を外に出てすぐの所に感じられたからだ。
「よかっ……よくない!?」
足下に落ちている服やら下着やらをまるごと掴み、クイシェは外へ飛び出した。
◇
「ごめんなさい!」
深鷺は魔導書を木っ端微塵にしてしまったことを謝罪していた。
村の結界を壊したことといい、妙にモノを壊すようになってしまった自分の体質を嘆きつつ、どうやって弁償したらいいのかを考えたりする。
「いや、怪我がなくてなによりだよ。写本がいくつかあるし、値段としても大したことはないから、ね? けど、いったいどういう事なんだい……と、聞いてわかることなのかい?」
クジールは深鷺に魔導書の価値を問われたが明言することは避け、逆に質問を返した。
「正直、さっぱりわかりません……」
外へ飛び出したクイシェは深鷺の姿を見ることができなかったが、すぐに黒毛和牛の術によるものだと判断したクイシェは超感覚で位置を特定し、服を届けた。
幸い人気はなく、消える寸前に裸が見られたというような心配もないだろう。
今回は大事にならずに済んだので、2人ともほっとしていた。
「しかし、話には聞いていたけれどずいぶんと面白い術を使うんだね、そのクロゲワギュー君は」
現在、深鷺はまたもや服だけ人間状態である。破裂音に驚いたせいか、黒毛和牛が術を解除してくれないままなのだ。
【言語移植】で会話可能な状態にしてからお願いしても、いうことを聞いてくれないどころか、ほとんど口を開いてもくれない。
「たぶん、びっくりしてるだけだよ。時間が経ったら言うことを聞いてくれるんじゃないかな?」
「でも、クイシェちゃんもクジールさんも気味悪いでしょ?」
深鷺としてはオバケじみた姿を見せながら話をするのが忍びないのだが、クイシェがいつものように大丈夫だよ、と言うより先にクジールが答えた。
「まあ言われてみればそうだね。じゃあ、目を瞑って話そうか」
言ってそのまま本当に目を閉じてしまった。
「見えなければ気にならないからね。さて、さっきのことについてなんだけれど」
あっさり問題が解決(?)されてしまい、ポカンとしている深鷺をほったらかしにして話し始めるクジール。クイシェはクイシェで「そんな手が……」と小声で呟いていたり。
「まず、部屋から消えてしまったのは例のわーぷ体質? というのが原因なんだね」
「はい、それがどうしてなのかもさっぱりわからないんですけど」
3度目になる瞬間移動だったが、いまだによくわからず、そして誰にも説明できない現象だった。
ギュランダムたちが原因の解明に準備を始めていることは知っていたのでそのことを伝えると、
「ああ、そうなのか。じゃあそれは任せておけば安心だね。それで、今消えているのがクロゲワギュー君の魔術というわけだ……名前はもう決めたのかい?」
「名前、ですか?」
「あ、そういえば……」
クイシェがうっかりしてた、と深鷺に説明する。
「新しい魔術を見つけたら、発見者が名前を付けることになってるんだよ。新しく作ってもだけど」
「そうなんだ」
実際は、ほんの少しでも改良が行われればそれに自分の名前を付けるような者もいる。それどころか改悪であっても名を付ける事もある。そんなことをしても多くの場合、名付けた本人が恥をかくだけなのだが。
「ちなみに魔獣のほうにも、種類としての名前を付けるんだけど……それもクロゲワギュー、でいいのかな?」
「いやーそれは……」
黒毛和牛は、おそらく世に知られていないはずの魔獣だ。そして黒毛和牛が使う魔術も知られていない魔術だった。
違う魔獣が同じ魔術を使っていることもあるので新魔獣=新魔術というわけではないのだが――――とにかく、新魔獣を見つけた者はその魔獣と魔術の名称を付けることができる。
大抵は水晶鼠や六足狼猿のようにわかりやすい名前をつけるのだが、自分の名を付けたり、妙に長い名前を考える者もいた。あまり妙な名前を付けても浸透せずに別名で呼ばれてしまう事も多いので、凝った名前を付けることにさしたる意味はなかったりする。
「じゃあ最後、魔導書が爆発したことに心当たりはある? わからないなりでもいいんだけど」
「えーと……」
深鷺が答えようとするのをクイシェが遮った。
「こ、心当たりはあります。でも、その前に約束してほしいことがあるんです」




