#26話:魔従術デビュー(済)
「やっぱり、魔従術が成立しちゃってると思うの」
深鷺が山奥で見つけた黒い毛玉のことを説明し終えたところで、クイシェが言った。
「魔従術……って、お昼にもちらっと聞いた気がするけど、クイシェちゃんとキーちゃんの関係だよね?」
2人はクイシェの家の食卓で会話をしている。
深鷺が見えないという問題はとりあえず置いておき、深鷺と捜索隊は全員村に帰ってきていた。あの場に長居する理由もないし、クイシェが撒いた魔力に釣られた魔獣がやってくる危険があったためだ。
帰り道では1度他の魔獣に襲われそうになったものの、クイシェによって早い段階で的確にそれを知らされた狩人数名が待ち伏せして対処したため、深鷺はどんな魔獣が襲ってきたのかも見ていない。
最初に目撃した六足狼猿の死体も深鷺は見ていないが、狩人たちが背負う背嚢などに狼猿の一部が入っている、というところまで聞いて、それ以上聞くのをやめていた。特に必要はなかったものの、せっかく狩ったので毛皮や肉などは無駄なく捌かれたらしい。
村に戻ると【獣払い】用の結界はまだ張り直されていなかった。深鷺の帰り待ちだったようで、深鷺が境界を越えたのが確認されてから張り直される。
深鷺は申し訳なさそうにしていたが、クイシェは全部お師匠様が悪い、と言い切った。
クイシェの家に戻り、すでに日が暮れる時刻だったので夕食を済ませての会話となっていたが、見えない相手との会話はどこを見て良いのか、どこを見られているのかもわからず、変な気分のクイシェだった。
(首がないみたいで怖いし……歪んで見えるし……)
口には出さないが、クイシェも視界が歪むことは気持ちが悪いと感じていた。
それが視界の端にあればまったく気にならない、というか気が付かないような歪みなのだが、その見えない部分に視点を合わせようとすると、見えない部分の端同士を無理矢理つなげたような、有り得ない見え方になるのだ。
深鷺の話によれば、いまも深鷺の頭の上にいるという黒い毛玉、毛太りしたリスのような生き物らしき魔獣は『見えている(はずの)部分が見えない』今の深鷺と同じような状態で、地面にぐったりと転がっていたらしい。
そんなモノを深鷺はどうして見つけることができたのかも不思議だったが、少なくともこの村の住人にとって未知である魔獣を発見し、そのままそうとは知らずに使い魔にしてしまった深鷺も不思議だった。
「魔力を含めた血は、つながりを持たせる力があるんだよ」
魔従術は魔術を使う存在に自分の魔力を含んだ血を飲ませて魔術的な“つながり”を持ち、その存在に魔術を使わせたり、その存在の特徴・特性を得たりする術である。
おもに“魔”獣を“従”える“術”であるため、魔従術と呼ばれている。
「多くの魔獣にとって、活性化している魔力は美味しいご馳走みたいなものなの」
「活性化って?」
「えーとね……魔力はどこにでもあるの。ここにも」
目の前の虚空を指すクイシェ。
「このテーブルの中にも、天井とか地面とかにもあって、でもそれは活性化されてない状態なんだ」
「ほうほう」
魔術の話に好奇心が刺激され始めた深鷺は、他人には見えていない顔を縦に振りながらクイシェの説明に聴き入る。
「魔導術を使うときなんかは、意識的に魔力を活性化させて魔導書に流したりするんだけど、魔獣は普通の魔力より活性化した魔力の方が美味しく感じるみたい。たまに、人間でも美味しいって感じる人もいるらしいんだけどね」
中には魔力だけを摂取して生きている魔獣もいると聞いた深鷺は、この説明もわかりやすくいろいろと端折ってくれている事に気が付いたが、話の腰を折りかねなかったのでそのまま大人しく聞いていることにした。
「それで、美味しい魔力をくれる人に懐いた魔獣は、魔力の代わりに自分の力を貸してくれるようになるんだけど、それが魔従術ってことなの」
夕食前、クイシェがキーちゃんの食事に指を向けてなにかをしていたのを思い出した深鷺は、あれは魔力を流していたのだと思い至たった。同時に水晶色の髪のことも得心が行く。
「なるほど……それで、その髪の色なんだ?」
クイシェは自分の水晶色の髪が注目されていると感じ、うつむきがちに答えた。
「うん……変かな?」
「すっごく綺麗だよ!」
深鷺のニヤニヤした表情は真っ赤なクイシェからは見えていない。
「キーちゃんの能力は【魔晶化】って呼ばれてて、とっても珍しいんだ」
「ましょうか……魔晶、魔晶化、か」
【言語移植】で得ている脳内辞書で魔晶の文字を調べた深鷺。クイシェはその様子を見て、すこし待ってから先を続ける。
「【魔晶化】で魔晶銀と同じ……あ、え、えーと、魔晶銀っていうのは、魔力をたくさん溜めておく事ができる金属なんだけど……」
説明事が不慣れらしいクイシェをたまに落ち着かせながら、深鷺は魔従術のことを理解しようと努めた。
魔獣を従え、その能力を借り受ける。それは魔術そのものであったり魔術的な体質であったりする。
クイシェの髪はキーの【魔晶化】による体質変化、体毛に魔晶銀と同じ特性を持たせることができる能力によるものだ。それによって普通の人よりも遥かに多くの魔力を所有できる。
深鷺の姿が見えなくなっているのは、自分の姿を他者に見えないようにするという黒毛玉の魔術が働いているからだろうと、クイシェは推測した。
「でも、効果が現れている間はずっと魔力を使いっ放しになるか、そうでない場合は効果時間が決まってるの」
魔力を供給し続けることで効果時間が延びる術は、自分を対象とするものに多い。
効果時間が最初から決まっている術は、他者に掛けることが前提となっている術に多い。
「たぶんだけど、これはずっと魔力を消費してるんじゃないかな。使い魔と主人は、どっちも自分みたいなものだから、自分が対象の術をそれぞれに使うことが出来るんだよ。だけど、ミサギちゃんに掛かっている術は、その毛玉? ちゃんが使ったものでも、魔力はミサギちゃんから引き出されてるはず。それで、魔力が切れたら自然に効果も切れるはずだよ。えーと……ちょっと待ってね?」
クイシェは目を閉じて集中する。深鷺から常に感じられる違和感が邪魔で他の人ほど簡単に読み取ることができないが、それでも問題なく深鷺の残魔力を計測した。
「あれ? ……うーん……100点くらいあるなあ」
「100点って……どれくらい?」
体内に残っている魔力を計ったと知らされた深鷺は、数字の基準がわからずに聞いてみたが、クイシェの答えは意外なものだった。
「100点は、人間の魔力の平均的な最大値だよ」
魔力量とは人間が人間の平均値を100点と決め、それを基準に計られるようになったものだ。
専用の計測器を用いずとも他人の残魔力を把握できるクイシェは、その正確さにもある程度自信がある。
獣人と人間の違いや、個人差によって10点程度の差はあるものだ。しかし深鷺にこの術が使われ始めてからすでに数時間が経過しているにもかかわらず、深鷺の体にはほぼ限界値の魔力が残っていることになる。
「個人差もあるけど……それでも人間の限界は140点くらいだっていわれてるの。」
「えーと、それじゃ仮に、わたしの魔力が140だったとして、数時間で40点減ってるのって……どうなの?」
「……術の構造がかなり効率的、かな。強めの照明術くらいの消費量かも。しかも小動物サイズじゃなくて人間に適用してるんだから……」
魔力が切れるまでだいぶかかる。少なくとも今晩中に、というわけには行かないだろうとクイシェは判断した。
「えーと、じゃあ、このまま魔力切れを待ってれば……明日の朝くらいには戻る?」
「うん……」
クイシェとしてはそもそも深鷺の魔力が140点あった、というの仮説が腑に落ちないでいたので、いまいち歯切れの悪い返事しか返せなかった。
「……ていうか、この子が寝たら術の効果も切れる?」
「魔獣って、寝ながら術を維持できるのも多いから、あんまり期待できないかな……」
深鷺は自分のステータス欄をイメージすると『ワープ体質』の下に『透明人間』を書き足した。次はなにが来るやら、と微妙な気分でいると、姿が見えないにもかかわらずそれが伝わったのか、クイシェがまた慌て始める。
「ご、ごめんね? できる限り早く、なんとかするから!」
「あ、うん。ありがとうっ? ていうかそんなに気にしなくて良いよ!」
クイシェには気を使われてばかりだ。助けられて、優しくされて、気を使われて、出逢ってまだ2日目で、貰ってばかりである。
そうでなくても、こちらからも頼りっぱなしだというのに。
顔も手も見えていないだろうが、深鷺は感謝の意を伝えることにした。
「消えてたりなんなりで、なんかばたばたしてたけど、クイシェちゃんには感謝してもしきれないよ。本当にありがとう。今もいろいろと考えてくれて、本当に助かってるし、助けに来てくれたの、本当に嬉しかった……」
「えっ……! う、うん……」
歪んだ視界に消える両手。深鷺の両手に掴まれている自分の、見えなくなった手のあたりを見ながら、硬直したクイシェは言葉を探す。
「え、えと……………とっ」
クイシェはつい言いかけた言葉を飲み込み、反芻する。
(……と、友達だもの、当然でしょ……って、い、言ってみようかな……だめかな……どうしようかな……)
「……クイシェちゃんー?」
顔を真っ赤にして固まっているクイシェ。
クイシェに見えるように自分の服の袖を掴み、目の前で振ってもまったく反応がない。
発言内容を思い悩むクイシェが揺れる袖に気が付くのには数秒を要した。
「あ、ご、ごめん! うん、気にしなくていいよぜんぜんっ! ……明日にはちゃんと見えるように戻せると思うから、今日は我慢してね」
「うん、わかった」
今日の話はここまでということで、2人はそれぞれの部屋に入りベッドに潜り込んだ。
(……いきなり友達だなんて言い切るなんて、やっぱり図々しいよね。そう、研究とおんなじだよ。きっと、もっと、ゆっくり段階を踏んで試行錯誤を……)
クイシェは魔導術で読書用の淡い明かりを浮かばせながら、愛読書である絵物語を読み返しながら夜を過ごした。
一方、深鷺はとくに読めるものもないので普通に眠りにつこうとしていた。他人には見えていないらしい自分の手の平を見たりしながら、今日を振り返ってみる。
(この状態、見た目だいぶ気持ち悪いみたいだけど……まあ、助かったと言えば助かったかなー?)
山の中で合流したとき、恐らく泣き腫らしていたであろう自分の顔が見られずに済んだのは幸運だった、などと思っている深鷺だった。