#24話:六足狼猿狩猟戦
【咆吼】で動かないよう伝えた深鷺がなぜかこちらに向かっている。
少なくとも魔獣に追われているわけではないはず、というよりむしろ魔獣の後を追う形になっているのだが……。
(…………あっ、時間切れだ!)
クイシェは【言語移植】の効果時間がとっくに過ぎていることに気が付いたクイシェ。 呼んだ『名前』と声色からクイシェの声だというのはわかったかもしれないが、肝心の内容は伝わらなかっただろう。
深鷺はこちらへ動き始めてしまった。魔獣の方は深鷺よりもだいぶ早いスピードでこちらに向かっているが……
「……ミサギちゃんがこっちに向かってます! 巻き込まないように……!」
「よーし、逃がさず確実に瞬殺だな」
「トラップも張れないし、大した武器も持ってきてないからトドメはフリネラ、アレよろしくね」
「まっかせてー。じゃあジェネットさんとミラナちゃん、クーちゃんをよろしくー」
「おとり役は?」
「俺がやる。クイシェの髪こっちにくれ」
「来たよ!」
「見えてる。六足で間違いないない」
皆がそれぞれ態勢を整えたところへ、六足狼猿が現れた。
6本の足で樹木を掴みながら、飛び跳ねて移動している。樹木が軋む音には、半端な枝などでは支えられそうにない重量感があった。
ある程度近づいたところで、六足狼猿は動きを止める。巨木の高い位置に上下さかさまに張り付いた狼顔の大猿が、首を逸らしてこちらを見た。
頬のない裂けた口。ギザギザした肉を噛み千切るための牙は、本物の狼よりも派手に尖っている。
足は太く、指は猿のそれであり、6本の足で器用に樹木を掴んでいた。この場全員の体重を合わせたよりも重そうな巨体を飛び回らせるほどの強靱な足指だ。
「オォォォォォン!」
吠える狼猿の方へ1人の男狩人が歩み出た。狼猿は目と牙を剥いて男狩人へと跳躍する。
頭上に迫る影から飛び退く男狩人。狼猿は6本の足で着地すると同時に、避けた男狩人へ跳ね飛んだ。
狼猿は器用で強靱な6本の足を活かした動きで狩りを行う。
自分より大きな相手には頭上から飛びつくなどして背中に取りつき、六本の脚で拘束しつつ噛みつくのだが、小さな相手は単純に樹上からのダイブで押しつぶすか、着地後に体当たりを行う。
人間相手なら普通に殴るだけで致命傷を与えられる。ただ走って轢くだけでも良い。
男狩人は狼猿のタックルをスレスレでかわすと、全速力で走り始めた。
「よーし、そのままついてこい!」
挑発するように声を上げ、狼猿がそのまま追ってくるのを確認する。
狼猿はクイシェが放った魔力に惹かれてこの場へ来た。そしてクイシェが魔力を隠している今、最もその魔力の気配を残しているのは、クイシェの魔光が灯ったままの水晶髪を1本懐に入れた男狩人だ。
狼猿は胸に魔光を灯した男を追う。
狼猿の足は見た目どおり、走り方が猿のものである。狼の足とは違い、直線であってもさほど加速されないのだが、もともとの身体能力とサイズが大きいため、人の足で逃げ切るのは常人には不可能だろう。
狩人達は全員が【獣躯動】を用いてその速度に対応しているが、狼猿は跳躍する際にかなりの瞬発力があるため、気を抜けば押しつぶされてしまうかもしれない。
男狩人は油断せず、乱立する樹木が狼猿に対して壁となるように立ち回る。
狼猿が樹上へ駆け上り、木から木へと飛び移りながら追跡してくるなら、男狩人もかぎ爪の付いたロープを樹木に引っ掛け、振り子の要領で一気に距離を稼ぐ。
男狩人は地形を巧みに利用しながら蛇行を繰り返し、誘導すべき地点まで無事辿り着く。そこは少し開けた場所だった。
再度ロープを使い、振り子の動きで一気にその空間の中央へ飛び出した男狩人。その背後から、狼猿も勢いを付けて跳躍していた。
男狩人が着地するよりも一足早く地に6本足を食い込ませた狼猿は、いままさに着地せんとする男狩人へ向かい飛びかかる。
その瞬間、狼猿の胸が引き裂かれる。
先に到着していた残りの狩人たちが、狼猿に向けて一斉に、先端にかぎ爪をつけたロープを投げつけたのだ。
後方から肩を越えて胸に2本。
右方からは腰を回り込み脇に。
左方からは背中を越えて脇腹。
前方から背骨に沿うように尻へ。
合計5本のかぎ爪が突き刺さる。
「ヴァアアアッ!!」
狼猿の巨体は、肉の裂ける音と共に止まった。後方から投げられた2本のロープが突っ張っている。突進の勢いでかぎ爪が狼猿の両胸を引き裂き、そのまま引っ張られ上体を反らせている。
「ヴオォゥッ!!」
狩人たちが使っているロープは狩猟縄と呼ばれている特別なものだ。とぐろ蜘蛛、という魔虫が吐き出す糸を元に作られた特別頑丈な素材でできており、対魔獣戦においてこの国の狩人がよく用いる道具の1つである。
切れず、ほつれず、扱いやすい太さでありながらよほどの怪力でも千切られない、とにかく頑丈な縄だった。
狩人は通常、罠や弓矢を駆使して獣を狩るが、魔獣を相手取る狩人たちは他にもいくつかの得物を使いこなさなければならない。
その得物の1つが狩猟縄だ。
もともとは対人戦に用いられていた縄縛戦闘術が対魔獣戦での有用性が示されるにつれ、広まったものである。
並みの人間の攻撃を、その攻撃方法ごと押し潰してしまうような巨体の魔獣や、猛毒の矢をものともしないような強靱な魔獣を相手にしたとき、人間がその魔獣を仕留めるためにはより高い攻撃力が必要とされる。
高威力の魔術を用いるか、大規模で凶悪な罠を仕掛けるか、重量のある武具を振るうか、いろいろと選択肢はあるが、直接戦闘を行うのであればとにかく“隙を作る方法”が必要とされた。
高度な魔術は使い手が限られる上、狩人と術者を兼ねる者自体が多くはないためにあまり現実的ではない。
戦闘の素人は戦いの邪魔にもなりかねないし、そもそもインドアな魔術職の人間は現地に同行すること自体困難である場合すらある。
凶悪な罠は有効だが、魔獣の正体と数が判明していることが条件となる。相手によっては見破られてしまったり、そもそも通用しなかったりするためだ。
調査から実行までに時間もかかり、こちらが攻めるのではなく襲撃を受けた場合などは実行不可能であることも多い。
重量のある武具は単純に振りが遅くてまともに当てられない、という膂力的な問題のほか、命中させた上でそのまま使い手が魔獣に轢き殺されたり、突き飛ばされてしまうのであれば、小型の武具と大差がないという本末転倒な問題点がある。
魔獣の突進を避けつつその表皮を貫くけるほどの超人はごく僅かで、ほとんどの人間や獣人は巨大で強靱な魔獣に、攻撃を加えつつ回避、などといった動きはできない。
近接戦闘をこなす術者や、一部の超人。そういった特別な存在だけが大型魔獣の襲撃に対処できる――――では困るので、そのどちらでもない者たちは重い武具や魔導術と、それらを当てられる隙を生むための技術を組み合わせるなどの工夫で魔獣を討伐しているのだった。
身を縛るロープと突き刺さるかぎ爪をなんとか剥がそうと暴れる狼猿だが、その動きはほとんど封じられている。
ロープの先は狩人たちが直に掴んで狼猿と綱引きをしているわけではない。ロープは太い木の幹に1周され、フック付きの金具で固定されている。狼猿側からは引っ張っても微動だにしないが、狩人側からは簡単に長さが調整できるものだ。
狼猿側が一方向に力を入れているあいだに、たわんでいる別方向のロープの長さが調整する。その作業が短時間の間に小刻みに繰り返され、狼猿はどの方向に動いてもどこかの肉がかぎ爪にえぐり取られるという悲惨な状態に追い込まれていた。。
「ヴォッ……ヴァオ!!」
小刻みに吠えながら、絡まり食い込む狩猟縄に行動を制限されて思うように力を振るえない狼猿。それでも身をよじる度にロープを通して巨木が揺れているのは流石の怪力だ。
このまま捕獲することも出来なくはないが、今回は時間がない。かといってこのまま放置すれば自分の肉ごとかぎ爪を外してしまうだろう。
狼猿を仕留めるため、魔導師が行動する。
「【時限爆書】!」
狼猿へ向けてフリネラが魔導書を投げた。
投擲直前に魔力を流してあり、本の内側から魔光が漏れている。
フリネラが起動後の秒読みを終え、魔導書が狼猿の横っ腹に接触した瞬間、
バァン!
と弾ける音と共に、血肉と紙片が舞い散った。




