#23話:巣穴に届く天使の咆吼
「足も捻んなかったし、幸先いいかもね」
縁があるのかよほど運が良いのか。手の平に乗せた黒い毛玉に話しかけながら、深鷺がいそいそと体を納めていくのは、一昨日も見たような斜面に空いた穴である。
一瞬、まったく同じ場所にたどり着いたのかと深鷺は思った。中に入ってみると、高さも奥行きもそっくり同じで、しかし内側から見える外の景色が記憶と明らかに違うことから、一昨日とは違う場所なのだと知る。
「やっぱりあれかなー……なにかの巣?」
ここがなにかの巣なのだとして……と、深鷺はアルマジロのようなまるっこい生き物が、そのまますっぽりとこの穴に収まっている姿を連想した。確か、アルマジロも巣穴を掘って穴生活を送る生き物だったと思い出す。哺乳類だったか爬虫類だったか忘れたが、とりあえずかわいらしい動物だったはず。
自分がいままさに体を納めているスペースなので、あまり奇妙な生物はイメージしたくない深鷺は、むしろさらにかわいい獣であれと記憶にあるアルマジロをより丸っこくシンプルにデフォルメしていった。その動物は自分のためにここを用意してくれたのでは……と、無駄に好意的な解釈すらしていく。
深鷺のイメージでは、その丸まったアルマジロもどきは巣穴にぴったりとはまりすぎていて、最終的にはまるでアンモナイトの化石のような状態になっていた。
「……ぴっ」
返事らしき鳴き声を発したのは深鷺の肩に乗っている毛玉だ。
この毛玉、最初はぐったりとしていたのが嘘のように元気になっている。立ち姿を見てみると『毛太りしたリス』といった感じの生き物だったが、毛がもこもこしすぎで実際の体がどういう形なのか、いまいちハッキリしない。
結局置いていくのも忍びないので連れてきてしまったのだが、毛玉はあれ以上噛むことも血を舐めることもしなかったため、吸血動物という深鷺の中のマイナスイメージは、実際の見た目がかわいらしいことから払拭されている。
深鷺は話しかける相手がいることで、ひとりぼっちの寂しさから多少解放されていた。
「……裸になって、歩き回って、穴を見つけた。あとはクイシェちゃんが来てくれる、よね?」
「………………ぴっ?」
どことなく疑問系で返されたような気がした深鷺は不満げに毛玉をつついた。
毛玉はそれに特に反応せず、穴の外を見ているようだった。
毛玉を撫でながら心細さを気を紛らわす深鷺は、あんまりにも反応がない毛玉を訝しみ、その視線の先を見る。
「……なにがあるの……? ……!?」
穴のすぐ前にも草木が生い茂っているが、遠くまで視界が通らないほどではない。
その視界の先、坂の下に見える小川を挟んで反対側の斜面に、なにか大きな陰が動いているのを見つけた。
(……クマ!? ……はいないって、クイシェちゃん言ってた。じゃあ……オオカミ?)
川の方へ、深鷺のいる方へ向かって、のしのしと歩いている獣。尖った耳と避けた口から覗く牙から狼のような顔をしているが、体はゴリラのように太くずんぐりとした印象だ。
6本の足で歩いているその背中が深鷺の頭の位置よりも高いだろうことが、遠くから見てもよくわかる。
(いや、6本足って! 6本足ってなに!?)
哺乳類はもちろん、爬虫類にだって6本足の動物がいただろうかと頭を回し始め、ここが魔法すら実在する異世界であることを思い出した深鷺。
そんなことよりも、その獣が明らかに野性的で、肉を食べそうな印象であることの方が重要だ。
狼の実物を見たことがない深鷺だが、今見ている生き物が少なくとも見た目通りゴリラ並みか、あるいはそれ以上に大きいことはわかった。
そして牙が生えている以上は肉食か、少なくとも雑食だということも。
(オオカミの餌になるなんて嘘だから! 来ないでー!)
だいぶ距離があるものの、見つかってしまえば獣の足から逃げ切れる自信はない。身近なところで、犬が本気で走れば人間が逃げ切るのは不可能だという実感を思い出す深鷺。
あのつぶらな瞳でちんまい体のチワワですら、常人の全速力よりも軽く速かった気がする。熊だってあのサイズで人間より速い。狼顔のこの獣もきっと、人間より速いに違いない。
見つからないようにと念じる一方で、獣の嗅覚ならとっくに見つかっているのではないだろうか、と深鷺は思った。それでも見つからないように、見つかっていませんようにと念じることしかできない。
狼もどきと目があったような気がした。
(ひー!)
竦んでしまって動けない深鷺だが、どちらにせよ動くわけにはいかない。
大丈夫、ここは穴の中。影になってるから中は見えてないはず。
(見えてません見えてません見えてません……見つけないでー!)
必死で願っていると、突如天使の声が轟いた。
◇
『≪≪ミサギちゃん、今行くから! そこで動かないで待ってて!!≫≫』
雷鳴の如き凄まじい大音声が発せられる。
クイシェの喉に使われた魔導術【咆吼】は、猛獣の声真似を自衛手段として持つ小さな魔獣が用いる拡声の術を人間用に改良したものだ。
とある小型の魔獣が、その体躯に見合わない大音量で吠えるための術だが、人間よりも頑丈な喉で用いられるのを前提としている術である為、人間が使うにあたり改良が必要だったのだ。現在、かろうじて扱えるレベルにはなっているが、喉への負荷を完全に無くすことができていない。
本日2度目の【咆吼】により少し喉を痛め、咳き込みながら状況を説明するクイシェ。
それを聞き、各々仕事をやりやすい位置へ移動していく狩人たち。
「魔獣は、大型1匹が東から、接近中! けほっ……他は……まだかなり距離があるので、とりあえず大丈夫です」
「逃げてる奴もいるんじゃないか?」
「クイシェ本気モードだし」
「トラップを仕掛ける時間は……?」
「ないね。というか6足だったら要らないけど」
本気モードと言われたクイシェだが、その全身はまばゆいほどの光に包まれていた。しかしその光によって目がくらむことはない。その光は魔光だからだ。
深鷺に魔獣が近づいていることを感知したクイシェは、自分たちが間に合わないと悟ると、自分が持つ人間としては規格外な魔力を誇示しつつ大声で自分の存在を知らしめた。
縄張りに現れた魔力を持つ存在を感知した相手は、何らかの行動を起こすだろう。クイシェの魔力量を感じて強敵と思えば逃げるかも知れない。逆に好物が現れたと、嬉々として襲いかかるかも知れない。
多くの魔獣は魔力を好物とする。魔獣の種類によっても差があるのだが、種によっては魔力のみを摂取していれば生きていけるようなものも存在している。
クイシェが活性化させた魔力に釣られ、極上の獲物がいることを知った魔獣はこの場所にやってくるだろう。逆に、魔力の量に怯えて逃げ出した魔獣もいるはずだ。
「フ、フリネラさん、ごめんなさい。言われたそばから……」
「いいよー。叫ばなかったらミーちゃんが危なかったんでしょー?」
刺した釘を即座に引っこ抜かれた形であるフリネラも、クイシェの判断に異論はなかった。
狩人たちは優秀だし、自分もそこらの大型魔獣1匹程度にどうこうされるほど弱くはないつもりだ。問題は、クイシェに危険が及ばないかどうかであるが、無防備なミサギの方に危険が迫っていたというなら、当然の判断だろう。
魔獣と戦うことになった狩人たちにも不満の影は見当たらない。もともとそれが仕事であり、あるいは趣味や生き甲斐だ。
深鷺の近くに感じていた魔獣はどうやらこちらに向かい始めたらしく、ひとまず安心したクイシェだったが、すぐに顔色を変えることになった。
「……あれ!? なんでっ、ミサギちゃん!?」
深鷺が、クイシェ達がいるこちらに向かって移動し始めたのだ。