#20話:おふろのロマン
考え込んでも仕方ないか、と前向きでいられるのはあたたかい湯のおかげだろうか。
不安なことは忘れて、フリネラとお風呂トークを再開した深鷺は、元の世界の様々なお風呂知識を紹介していた。
サウナ。
打たせ湯。
水風呂。
入浴剤。
温水プール。
ユニットバス――――
「確か……お風呂を部屋ごと作っておいて、家を建てるときにはそれを組み立てるだけで作れる浴室……だったはず」
「凄いわねー。あたしもそういうのが作りたいと思ってるんだけどー……まだまだ先の話かなー」
「あと、蒸し風呂とかは多分この世界にもあるかなーって思ってるんですけど」
「うん、あるよー。あたしは温水プール? っていうのが気になるわー」
「温水プールは……ええとこの世界って、泳いで楽しむ習慣ってあります?」
「泉とかで水浴びするついでに泳いだりはする、かなー? 遊びとしては……どーだろ、あんまり聞かないかもー」
「名前の通り、暖めた水で泳ぐ、遊び場です。厳密にはお風呂じゃないので、裸では入りません。ミズギを……下着に似た専用の服を着て入るので、男女共用、混浴です。大きい施設になると、スベリダイとかあります」
「スベリダイ?」
「えーと……板の坂を滑り降りる、子供向けの遊具があるんですけど、それの凄く大きくて細長いものがあって、そこを……その壁にある水道みたいに、水が流れてるんですよ。そこを滑り降りするんです」
指でくるくると滑り降りるようを描く深鷺。
「娯楽施設に随分と力の入った国なんだねー……というか技術レベル高そうー」
「たぶんですけど、魔術抜きでこの世界と比較したら、数百年以上の差があると思います」
でもさっきの鍋はこっちの世界では最新技術です、と深鷺は付け加える。
魔導術というのは元の世界における電気の発明に匹敵する技術なのではないか、とIHヒーターもどきの存在から連想していた深鷺は、約束通り研究の役に立てることはないだろうかと真剣に頭を回転させ始めていた。
(あーでも……のぼせそうー……こういうのはトキちゃんの得意なところなんだけどな……)
成績優秀な双子の妹のことを思い出しながら、また思考が逸れたとあわてて軌道修正する。同じ事をずっと考えているのは苦手な深鷺だった。
(電化製品、照明、テレビ……いやいや、フリネラさんはお風呂専門家だ。電気からは離れよう。あと紹介してないのって、なんだっけ……)
「あ」
「んー?」
「さっきの魔導線の釜って、その、術は……ええと……」
「【加熱】?」
「あ、はい。その【加熱】しか流せないんですか?」
「ううん、あのタイプの導線は魔術の効果をそのまんま流し込めるから、【加熱】じゃなくても問題はないよ」
「じゃあ、なにか、空気を出すような魔導術ってないですか?」
「空気を出す……動かす、じゃ駄目なのかな」
「たぶん……えーとですね……」
深鷺が提案しているのはジェットバスだった。導線の先から勢いよく空気を噴射することができれば、あの釜を流用して、すぐにでも実現できると考えたのだ。
「面白そうなお風呂ねー!」
「泡が当たると気持ちいいですよ。足の裏とかくすぐったいですけど」
勢いを調整して、沸騰しているように見せかけたりするのも楽しいかも、と地獄風呂ごっこを提案したりする深鷺。
これは名案だと思ったのだが、深鷺にとっては意外なことに『空気を生み出す』という効果の魔導術はマイナーであるらしく、少なくともフリネラは術式を知らなかった。
「基本的にその場にあるものを利用する術のほうが使う魔力が少なくて済むし、いろいろと楽なのよねー」
先ほどフリネラのが男2人を吹き飛ばした魔導術【巻き風砲】も、風を生み出す術、空気の流れを生み出す術であり、空気そのものを発生させる術ではないという。【加熱】がどうしても一指魔導書にできない原因も、熱をゼロから生み出しているからであり、他から熱を持ってこれるなら簡単に一指化が可能かもしれない――――らしい。
「でも、面白そうだから作ってみるわ。空気関係の術式を知ってる人にも当てがあるしー。ありがとねー!」
嬉しそうなフリネラをみて、少しは役に立てたと思うことにした深鷺。
頭脳労働は苦手なところをよく頑張った、と自画自賛しつつ改めてリラックスしようと体の力を抜く。
そこで、全然話に入ってこなかったクイシェのほうに向き直り、実はさっきからずっと気になっていた事を聞いてみる。
「ところで……クイシェちゃん、どうしてそんなにくっついてるの?」
ミサギの横にぴったりと、しかしなぜか壁のほうを睨みながら構えているクイシェ。
「き、気にしないでいいよ? ……あ、嫌だった!? ごめんね!?」
「ううん、別に嫌じゃないけど……?」
ザバッと水音をたてて急速に離れたクイシェをおいでおいでーと手招きする深鷺。くっついていること自体は、妹といつも一緒に風呂に入っていたのでさほど違和感がなかった。
しかし、どことなく真剣そうにしているのは少し気になる。
クイシェは今、こんな事を考えていた。
(ミサギちゃんのハダカは、わたしが守る……!)
その視線は――――クイシェの超感覚は、壁の外にいる存在の魔力を明確に捉えていて――――
◇
湯気と少女の覚悟が漂う浴場の外側、木造の柵1枚に隔てられた場所。
そこまで、あと100メートルほどのところで、背の高い老人が足を止めていた。
「おぬしも、こんなところで油を売っているとは暇人じゃのう。さっさと仕事に出掛ければいいものを……」
ギュランダムの足下には矢が刺さっている。壁を飛び越えようと助走を付けていたところを足止めされた形だ。
そして足止めした若者……に見えるが、クイシェからはおじさんと呼ばれていた犬系獣人のカウスが、木の陰から現れる。
先ほどカウスが広場に来ていたのは、フリネラに呼ばれてのことだった。
確実に覗きにやってくるだろうギュランダムを追い払う役として呼ばれたのだ。
どうせ暇でしょー? という心外な一言付きだった上、呼んだ当人に吹き飛ばされてしまったが。
対峙した2人。
すぐにカウスが動き出す。遠距離攻撃が豊富な術者とやり合うためには、接近戦が望ましいとの考えだ。
「村を“ケモノ”から守るのは、狩人の仕事だ、ろ!」
言い終えると同時に矢を放つカウス。鏃は付いていないとはいえ、当たればただでは済まないだろう1撃を、ギュランダムは片手を振って生み出した魔術の風で逸らす。
「まだまだじゃのう?」
「これからだ!」
すでに次の矢を番えたカウスは2発目を放つと同時に弓を捨て、ギュランダムに向かって駆けだした。
(遠距離戦では埒が明かねぇ。隙を見て浴場に飛び込まれても困る。格闘戦で仕留めるしかない!)
2発目も同様に逸らしたギュランダムは接近するカウスを見て片足を上げ、魔光を灯したそれを地面に叩きつけた。
「【咲き土】!!」
ギュランダムの周囲の地面が腰の高さほどまで一気に盛り上がった。名の通り、花が咲くようにめくれ上がる土がカウスの行く手を阻む。
「ふっ!」
そのまま次の術の集中に入っているギュランダムを見て、カウスは後ろ手に構えていたロープを投げつけた。ロープは咄嗟に打ち払おうとしたギュランダムの輝く左腕に巻き付いたが、ギュランダムは構わず術を発動させる。
「【巻き風砲】!!」
ロープを思い切り引き戻しながら体を拗って風の渦を回避するカウス。片足が渦に持っていかれそうになったが、バランスを崩しながらも地面にへばりつくように着地した。
腕を引かれてバランスを崩されたギュランダムと睨み合う。
「漢のロマンを邪魔するとはそれでもおぬしは男か! 女の裸を目の前にして覗かんどころかそれを妨げようとは!」
「目の前にはねえだろうがエロジジイ! 痴漢のロマンなんぞ知ったことか! テメーはなんでそんな自信満々に当然の如く変態的なことを偉そうに!」
そう言っている間にもロープによる引き合いと魔導術の発動は続いている。
【咲き土】によって掘り返された土壁は、ギュランダムの【散土弾】により飛び散った。
カウスは叩きつけられる土から片手で顔を庇いつつ、ロープを巧みに操り、ギュランダムの体制と位置関係をコントロールする。
互いに位置を変えながら、拳とロープと魔導術が入り乱れる。
威力と間合いにおいてはギュランダムが優勢だったが、左腕に巻き付けられたロープにより行動を制限されていた。
現役の狩人であるカウスに劣らぬ超人的体力を誇る老魔導師ギュランダムだが、日々魔獣を相手に鍛え上げられているカウスの『縄縛戦闘術』には苦戦を強いられているようだ。
縄縛戦闘術は相手の動きを阻害しつつ、自分は相手の動きを利用・制限して常に有利な状況を作り出す接近戦闘術だ。
一瞬でも隙を見せれば絡んだロープを利用され、あるいはさらなるロープにより拘束箇所を増やされるが、当然ロープを切ってしまえば解放される。
しかしロープを切るという行動自体が隙につながるため、ギュランダムには多彩な魔術というアドバンテージがありながらも縄を切る暇すら無かった。
「この先の光景は……老い先短いわしに用意された冥途の土産なんじゃ!」
「土産は後で持っていってやるから先に冥途へ渡れ!」
心底嫌そうに叫ぶカウス。心底惜しそうに嘆くギュランダム。
(騒ぎ過ぎた……急がねば風呂から上がってしまうではないか……!)
どうしようもなくエロジジイなギュランダムは、焦りを見せると片足を上げた。魔光がその足に灯る。
「ぬぅ……!」
「は、もらったぜ!」
【咲き土】の発動後、土が防壁へとめくれ上がるまでには一瞬のタイムラグがある。
足に灯った魔光を見て、この隙を使ってギュランダムを完全に拘束できると踏んだカウスは、【咲き土】の発動を待たずに防壁の発生地点を越えるよう、ギュランダムへと飛びかかった。
「これで終わりだ!」
「かかったな小僧め!!」
ニヤリと笑い合う2人。
笑みを崩されたのはカウスのほうだった。
「“【巻き風砲】”!!」
「なっ!?」
飛び上がり、空中で身動きの取れないカウスに向けて正確に右手が向けられている。完全拘束のためにロープは動き出しており、今回は回避する術がない。
ギュランダムの足の魔光はただ魔力を活性化させただけのフェイクだった。踏み降ろした足は、足音を立てただけでそれ以外何も起きない。
そしてカウスに向けられたギュランダムの手は魔光を灯していなかったが、それでも術式は完成されていた。
「非活性発動……っ!!」
「ふはは、奥の手じゃ」
「こんなくだらねーことに使うんじゃねーよッ――――!?」
風の渦に正面から巻き込まれたカウスは激風に揉まれる中でロープも手放してしまい、そのまま宙高く吹き飛ばされていった。
「あ」
バシャーン、と響く水音。
「「きゃ――――――――ッ!!」」