#19話:湯沸かし魔導線と二指魔導書
「わー……思ったより“ワフウ”ー」
「わふー?」
なんとなく外国風の風呂を想像していた深鷺だったが、親しみのある光景に喜んだ。
「建物に回せる予算があんまりないから簡単な露天風呂になっちゃったんだけど、それでもいろいろこだわってるのよー」
フラフラとネコ尻尾を揺らしながら、楽しそうに解説するフリネラ。
入り口からは足場として平らな岩が続いていて、回りには素足で踏んでも足を痛めないような、丸みのある石が敷き詰められている。
平らな岩の上を進めば浴場の真ん中に石造りの大きな浴槽が掘られていて、ほかほかと湯気が立ち上っていた。広さは馬車と馬がそのまま入っても、まだ少し余裕がある程度。団体客が来るとキツそうだが、家族連れくらいならかなり広々と使えるだろう。少しくらいなら泳ぐこともできそうだ。
水音のする方を見てみると、どうやら壁に取り付けられた流しそうめん台のようなものが水道になっているらしい。どこからか水を引いているようだ。
そして壁際に並ぶ、大小様々なサイズの容器が目に入る。
鍋、釜、鍋、釜、缶、壺、釜。
「この、周りにあるのは……」
「全部、今までに作ったお湯を沸かすための魔導具、あるいは風呂釜そのものねー」
ひときわ大きな釜に近づいて中を覗いてみる深鷺。人1人が浸かれる大きさだ。
「これは中に水をためて、鍋を熱して直に湯を沸かす風呂釜なんだけど、温度調節がうまく行かなくてお蔵入りになってるのよ」
「ゴエモンブロ……? えーと、下で火を焚いて沸かすんじゃないですよね?」
「まさかー、ここは魔導師の村なのよー? もちろん魔導術で沸かすに決まってるじゃないー」
ちょっとまってねー、とフリネラは壁に取り付けられていた水道を備え付けの板でせき止め、そこから釜までの間に筒を渡す。
せき止められた水が溢れて筒を通り、鍋に流れ込む。
やがて釜に充分な量の水が溜まった。
「でもって、こう……あ、釜は熱くなるから気をつけてね」
釜のふちから、両手を乗せられるくらいの板がちょこんと飛び出している。フリネラは板にある長方形の窪みに、傍らの箱から取り出した魔導書をはめこんだ。
表紙の図に指を合わせて魔力を流し込むと光が生じ、その光は釜の表面を巡り始める。
(またこの光だ……それにこの模様、どこかで見たような……)
表面にはうっすらと幾何学的な紋様が刻まれていたらしく、光はその紋様に沿って流れているようだった。
深鷺の視界には何ら光ることのない鍋の表面が見えているが、同時に光も見えているように感じる。
これが“魔光現象”であるということを、まだ深鷺は知らなかった。
(……あっ! これ、『召喚』された場所の、床の模様と、なんか似てる……?)
フリネラは魔力を流し続け、しばらくすると水面が泡立ってきた。
「……という風に、釜を直接熱してお湯を沸かすの。ちなみに、村で使ってる調理鍋とかは、これと同じ仕組みのを流用したものねー」
「え、そうなの?」
クイシェが頷く。
「うん、そうなの。そういえば、お鍋とか見せてなかったもんね」
(この村の台所ではIHヒーターが使われてるのか……)
磁力線ではなく魔導術での加熱だが。
よくよく思い出してみると、クイシェの調理中は薪の弾ける音もなければ煙も出ていなかったように思う。火をくべる炉だって見かけていない。自宅もそうだったからと、深鷺は特に違和感を感じていなかったようだ。
「……あ、体冷えちゃうね。ごめんごめん、お風呂入ろっかー」
紹介に夢中になってた、と反省しながら、2人を真ん中の湯へ促すフリネラ。
3人はゆっくりと浴槽に浸かり、体を伸ばしていく。
深鷺は2人の真ん中に位置取り、伸びをしながら深く息を吐いた。気になること、不安なことはいろいろあるが、今は至福の時、という感じだ。
クイシェの長い髪は布でまとめられ、湯に浸からないようにしてある。深鷺はあの水晶色の髪が水面に漂うとどうなるのかがちょっと気になった。
フリネラは首から背中と二の腕あたりにかけてと太腿に、獣人の証である猫っぽい体毛が生えている。
猫が水に濡れたときのへちゃっとした貧相なイメージは、猫系獣人であるフリネラにはまったく見られず、むしろ体のラインが際立っていた。
(これが40なかばのボディライン……?)
フリネラがポージングを始めてようやく、深鷺はフリネラの体を凝視していたことに気が付いた。
「見とれちゃったー? ふふふー」
「あはは……」
「?」
慌てて眼を逸らす深鷺。クイシェは気づかずに、先ほどの話を続ける。
「あのお鍋のおかげで、料理がだいぶ楽になったの」
「あたしとしては失敗作気味なんだけどねー」
深鷺にはどのあたりが失敗作か思いつかなかった。風呂釜としても、なんの問題もないように思う。温度調節といっても熱し続けなければ良いだけの話だ。あるいは加熱しすぎてしまうのなら水を足せばいいだけに思える。
火を使わないだけ燃料費も浮くだろうし、恐らく火を用いるよりも短時間で沸いたはずだ。
「一番の問題点がー……専用に調整して作った【加熱】の魔導書が、どうしても二指魔導書になっちゃうのよねー。わたしが目指しているのは“どこでも誰でもお風呂が楽しめる道具”だからー」
「二指魔導書ってそんなに難しいんですか?」
「難度的には専業魔導師にはそれほどって感じなんだけど、1カ所に集中すればいいだけの一指と、指ごと個別に意識を分けなきゃいけない二指との間には壁があるのよね。二指ができてしまえば、それ以降はなんていうか反復訓練でどうとでもなるんじゃないかって思ってるんだけど……」
この特殊な実験村に住んでいる魔導師たちですら、一指魔導書までしか扱えない者が3割もいるそうだ。
術師として優秀かどうかは、研究者としての優秀さと比例するわけではないので問題はないらしい。
魔導術自体まったく扱えない深鷺にはよくわからない感覚だったが、どうやら魔導師全体の内の半数ほどは一指魔導書しか扱えない、と考えれば良いそうだ。
「まあ、そのあたりのことはこの村で他に研究してる人がいるから、そっちの成果を期待しても良いんだけどねー」
魔導術の修得を容易にするための研究を行っている人がいるらしいと聞いて、深鷺はその人に術を習ってみようかと思いつつ、先ほど思い出した事について質問する。
「あの、ところで、あの表面の模様ってどういう意味があるんですか?」
釜の表面を指しながら言う。
「いま、これをみて思い出したんですけど……わたしが最初に飛ばされた場所の床に、たぶん同じような模様があったんです」
「えーとー……真っ暗な儀式場らしきところ、だっけー?」
フリネラはギュランダムと深鷺からそれぞれ聞いた話からイメージした儀式場を元に、床に紋様が刻まれていた場合の事を考えてみる。
気が付いたら暗い部屋にいたこと。周りには柱が立っていたこと……
「それで、大勢いる中に囲まれるようにして真ん中にミーちゃんがいて……杖があったのよね?」
「はい。クイシェちゃんのお師匠さんが言うには、多分杖だろうって」
「それだとー……たぶんだけど、周りにいた術者達がその杖に向けて魔力か魔術を流してたか、流す予定だったんだと思うわー。この線は『魔導線』って言って、魔力を流すための道なの」
魔導線。あるいは単に導線とも言う。
魔導書にマジックインクで書かれている線と基本的には同じもので、魔導術の前身となった技術の1つだという。
この釜に描かれた導線は魔力そのものではなく“【加熱】の効果”を均等に分配するために用いられている。
もし導線を用いていなければ魔導書を置いた板部分からしか熱が伝わらず、鍋全体を加熱するよりも先に、接している魔導書自体が焦げてしまうと、フリネラは説明した。
「儀式のほうは……それ以上はわからないけど、杖かミーちゃん、あるいはその両方に“魔術”でなにかをするつもり、あるいはした後、だったんでしょうねー」
「わたしを山に飛ばしたり……とかですか?」
「うーん……そんな術が存在すれば、だけどね……」
瞬間移動に類する魔術は、フリネラが知る限り存在していないらしかった。
「魔導術、じゃなくて魔術、なんですか?」
「導線自体は凄くシンプルで応用性の高い技術でねー。やろうと思えばいろんな術と組み合わせられるのよー。というか、魔導術の関連技術のほとんどがが、他の術系統を元に作られてるってことなんだけどー」
説明を聞きながら、深鷺は自分の膝のあたりに視線を落とす。
(魔力が流されたか、流されるはずだった杖とわたし? ……どういうことなんだろ……)
水面をじっと見つめて考え込んでいる深鷺。
クイシェはなにか声を掛けようとしたが、突然ハッと柵のほうに目を向け、小さく呟いた。
「…………やっぱり、来た……!」