#1話:実験場の闖入者
プリスマフト王国。
国境の北半分を広大な山脈地帯に覆われた、大陸西方の国家だ。
かつては“竜族”によって治められ、悪魔を駆逐せんと戦った果敢な国であると伝えられているが、悪魔が滅んだとされる現在、伝説は信仰としてだけ残り、すでに数百年の間“竜族”との交流は途絶えて久しい。
北の山脈地帯、信仰上の聖地とされる竜翼山脈の中腹に、その研究所は建てられていた。
ある国家事業のために禁を犯し極秘で建てられたものだ。研究は魔導術に関するものであり、所員も大半が魔導師で構成されている。
今日はその事業、魔導術研究の最終段階ということもあり、直接実験に関与しない所員たちも地下儀式場で成り行きを見守っていた。
魔術。魔力を扱い、様々な現象を引き起こす術。その1つに魔導術というものがある。魔術には他にもいくつかの種類があるが、魔導術は急速に成長している最も新しい術系統だ。
魔導術の効果は設計次第で幅広く応用が利き、多種多様だ。まったく役に立ちそうもないモノも大量に作られているが、モノによっては莫大な富を生む金の卵であったり、戦況をひっくり返してしまうような兵装であったり――あるいは、生活を豊かにするちょっとした工夫にも用いられつつあった。
他の魔術と比べて圧倒的に「扱いやすい」魔導術は、国に、戦争に、生活に必要な技術として広まり始めている。
南方のカルナダ商業連合国では、早くから蝋燭の代わりに魔導術を用いた照明器具を使い始め、金銭的余裕がある層ではより高価な生活用品を揃える者たちも現れた。大半の商品は好事家が娯楽で集めているようなレベルだったが、それらは他国へも広がりつつある。いずれはより安く機能的なものが流通してゆくだろう。
北の雄ラベルド帝国では、兵装系の術が急速に発展していると噂され、他国もそういった武力や技術に対抗し、それぞれのやり方で魔術の研究と普及を進めている。
そんな中、プリスマフトだけが1歩も2歩も遅れている上に追いつく目処も立っていない、というのが現状だった。
そもそもの問題として、プリスマフトは他国に比べ魔術を使える術者の数が圧倒的に少ない。国民が抱く「魔術」に対する忌避感がその原因なのだが、魔術の遅れは国力の圧倒的な差を生む時代へと移りゆく中、術者不足はプリスマフトにとって10数年後の死活問題となるため、どうにかして術者の数を増やそうとしていた。
国民が忌避する「魔術」と「魔導術」のある“違い”を理由に魔導術を浸透させようとし、それを学ばせるための学院も設立。他国から在野の魔導師を講師として招き、術者数の増加を試みているのだが……結果は芳しくない。
元々魔導術は他の魔術から派生したもので、魔導術の修得にはそれら他の魔術の助けが重要だ。にもかかわらず、学院ではそれら他系統の魔術がほとんど禁止されている。プリスマフトの民にとって「魔術」は“悪魔の術”とされているからだ。
だが“悪魔の術”の助けなく魔導術を修得するのは、文字を教えずに本を読ませるようなものであり、凡人はおろか、たとえ才能ある生徒であっても修得が容易ではなく、途中で挫折してしまう。
そんな状態でまともに授業ができるはずもなく、生徒が育つはずもなかった。好待遇で招かれた講師たちもやる気を無くし辞めてしまう。かといって魔術を教えようとすると、今度は学院に子を預ける親がいなくなってしまう。
他国で魔術を学んできた数少ない術師たちも、国のため、あるいは自分たちの地位を守るために様々な活動をしているが、思ったようには成果が上がらなかった。
そんな中、今回の研究は最後の希望と言っても過言ではない。これからの活動の切り札と目されているモノであると同時に、決して失敗の許されない実験である。
しかし、実験成功を目前に想定外の事が起きてしまった。
「あれは……なんだ!?」
多くの魔導師と所員が見守る先、突き立てられた杖の宝玉が蒼光を放つ、その手前。
影が現れた。
先を見通すことのできる、幽かな影。
それは蜃気楼のように蒼光を歪ませ、輪郭をなぞらせる。
そして光と影が溶け合うように巡り、その場からにじみ出てくるように、それは形を得てゆく。
「人……の影……?」
【……ぁぁぁぁああああああああああああああああああ】
突如、叫び声――というわけでもない、ただ大きな、ただ声を出しているだけ、というような、壊れた声が響いた。
声の音程は一定。なんの感情も感じられない、無機質な声だ。
声色から、女のものではないかとだけ、かろうじてわかる程度。
【ああああああああああああああああああああああああ】
所員たちが息を呑む。今までの失敗ではこのような事態は起きなかった。だがどちらにせよ想定外のことが起きているのであればそれは失敗だろうか。あるいはここからでも持ち直すことができるだろうか? かといってすでに起動している術式に干渉する事などできはしない。
成功するにせよ失敗が確定したにせよ、彼らは見届けることしかできない。それでもできる限りのことをしようと、なにか見落としが、そして解決方法がないだろうかと魔導師たちは思考を巡らせる。
【ああああああああああああああああああああああああ】
あるいは、すでに失敗かと諦めたものもいるようだ。
肺活量を無視した途切れのない音が、いつまでも響き続けて終わらない。
多大な労力、資金が注ぎ込まれてきたが20年間なんの成果も出すことができず、懐に決して余裕があるわけではない国からの予算は今年で打ち切りだ。
そして今までも全ての資金を国からの予算頼りにしてきたわけではなく、彼らの資金繰りもすでに限界に来ている。
今回が最後のチャンスだ。
このまま成功するか。それとも全ては夢と消えてしまうか。
【ああああああああああああああああああああああああ】
魔導師たちの視線の先で、人影は厚みを増していく。
影の出現と共により鮮烈に輝き始めた蒼光により、いよいよ誰も目を開いていることができなくなった。
目を閉じていても感じられるなにも照らさない白い光と、全てを埋め尽くす蒼い光。
耳には人の物とは思えない壊れた声が、いつまでも響いて止まずにいる。
そして数分後。
いつのまにか声は収まり、光の奔流も途切れていた。
杖に集められた魔力が許容値にたちしたのだと、魔力の測定を担当した研究員は願った。そうであれば実験は成功したはずである。
しかし、それにしては杖の先に取り付けられた宝玉が宿す蒼光は淡く、弱い。
予定では常に太陽の如き輝きを宿すはずであったが、これでは松明にも劣る程度でしかない。
それ以前に認めなければならない問題があるのだが、彼は現実を直視することができずにいた。彼だけではない。この場にいる全員が、肩を落とすのは先送りにした。
現在の儀式場において唯一の光源が、映し出す姿。
「なんで女の子が……?」
淡く、蒼く光る杖の傍らに、少女がぺたんと座り込んでいた。それも裸で。
「■■……■■■■?」
少女はなにか喋っているようだが、柱の合間から中心まではかなり距離があり、よく聞き取れない。
所員たちはその姿を見てざわめき始めた。
「どこから入り込んだんだ?」「まさか。ここに侵入なんてできるわけがないだろう」
「なにか良くないモノかもしれん」「光と共に現れたんじゃないのか」「魔獣の類か?」
「実験はどうなんだ! 失敗なのか!?」「計測光担当者。あれで成功なのか?」
他にも警備兵はなにをやっているんだ、といった文句や、そんなことよりも実験はどうなったのか、等を問い合うやりとりが小声で行われる中、少女は彼らに気が付いていないのか、不思議そうな顔でなにかを呟いている。
「静かにしろ!」
皆に指示を与えていた男がその場を静める。少女はその声で回りの気配に気が付いたようだった。
「■■■■■?」
きょろきょろと辺りを見回す姿はどこか不安そうである。少女の傍にある杖の宝玉のみが光源となっているため、少女から見て暗い部屋の柱の奥にいる所員たちのことは見えていないのかもしれない。
少女は所員たちを静めた声の方を向きながら、自身の体を蒼白く浮かび上がらせている杖へと手を伸ばした。
「「「「触るなっ!!」」」」
咄嗟に声を上げた魔導師たちだが、誰1人として結界より内側に入り少女を捕らえようとした者はいなかった。得体の知れない存在に対してどう対処して良いのか誰もわからなかったのだ。
ビクッと、身を竦めた少女が目を懲らすように柱の影を見ると、1人の魔導師と目があった。
「…………!」
息を呑んだのは果たしてどちらだったろうか。
目が慣れてきたのか、少女が再度あたりを見渡すと、幾人もの魔導師たちが目を合わせる事になった。
少女に――深鷺にとって不幸なことに、彼らには幼い少女の裸身を凝視している事に対する道徳的な意識は浮かんですらおらず、むしろ得体の知れない存在から視線を逸らす事ができなくなっていた。
深鷺が、素っ裸で暗がりから無数の視線を浴びるという有り得ない状況に意識が追いついた途端。
「きゃあああああああああああああああああああああっ!?」
感情に満ちた絶叫が響いた。