#15話:クアラ村の結界実験
(お、お手伝いじゃなかった……! 罪滅ぼしだった……!?)
ギュランダム宅に招かれた深鷺はお茶を一服薦められながら、ギュランダムの話を聞いた。
村を覆っている【獣払い】の結界が壊れたことについての話だ。
結界についての簡単な説明を受けた深鷺は、2人と共に外に出る。外には小さな結界がいくつか用意されていた。
「ごめんね、クイシェちゃん。わたしのせいで……」
カウスに抱えられていた深鷺が村の境界を越えた瞬間に結界が壊れ、クイシェと村人達が早朝までその修復作業に追われていたということを聞いて、深鷺はしゅんとなっている。
「あ、あれはわたしがうっかり忘れてたのが悪いんだよ。それにまだミサギちゃんが原因だって、決まったわけじゃないし……」
「村の人たちにもすっごい迷惑を……」
「だからそれは……」
結界を越えなければ村に入れないのだから、たとえ憶えていたところでクイシェは結界を壊しただろう――――と、ギュランダムは、非難めいた目でこちらを見てくる弟子が取ったであろう行動を予想しながら、頭を下げる深鷺を止めた。
「あー……それを今から確かめるんじゃが、仮にミサギが原因で結界が壊れたたんじゃとしても、ミサギに非があるわけじゃなかろうよ。責任を問う気もないしの」
深鷺の足下手前に、腰掛けるのにちょうど良いような大きさの赤い半球体がある。半透明で、立体映像のように実体感のないドーム状の薄い膜のようなものだ。
それは地面に円状に配置された綺麗な小石をなぞるように存在していた。
「さて、これが結界じゃ。この結界は村を覆っている【獣払い】のような効果は持たせておらん。ただ境界としてだけある結界に、わかりやすく魔導術【赤っぽい】で色を付けただけじゃな。規模も小さいからさほど金もかかっとらん、遠慮無く壊すがよい」
「う……」
先ほど説明を受けている間、深鷺は結界の設置にかかる費用が気になったので聞いていた。
この世界の金銭感覚がわからないのでわかりやすく喩えて貰うと……
「ふむ……平均的農民の生活費、およそ3ヶ月分というところかのう」
「は、働いて返します……」
2度の破壊で半年分である。
いきなりの借金で途方に暮れそうな深鷺だったが、ギュランダムとしてはもともと払わせる気もなかった。
そもそもこの村が毎日の実験やらなにやらで消費している金額に比べれば大金と言うほどでもなかったし――――深鷺の隣で自分を睨んでいるクイシェの視線をどうにかしたいというのもあり「結界を改良する良い機会じゃ。実験に協力するなら弁償せずとも良い」ということになった。
もとより今日は改良実験のために呼びつけたのだが。
「……」
深鷺は両膝を着いて四つん這いになると、恐る恐る手を結界に近づけてゆく。
爪の先端が触れた瞬間、結界は音もなく砕け散り、色を失いそのまま消えてしまった。
「ふうむ。まあ確定じゃのう……」
クイシェが違和感を感じ、触れれば結界を壊してしまう存在。
異世界から来たという不思議な少女は、ギュランダムにとって、より興味深い存在となっていく。
「ごめんなさい……」
「だ、だからミサギちゃんは悪くないの!」
具体的に損害額を聞いてしまった深鷺はどうしてもその大金に意識が向いてしまう。
深鷺が落ち込み気味な原因はギュランダムの喩えが“農民”の生活費だったことにもあった。
深鷺がファンタジー世界の農民に対して漠然と抱いている『領主の圧政や戦争被害に苦しみ、不作で栄養失調で体の弱い娘が病床の親を世話していて、おとっちゃん……』という負のイメージが罪悪感を割り増しさせていたのだ。
後半は中世ファンタジーというより時代劇かもしれなかったが。
「落ち込む必要なんぞないと言っとるだろうに」
呆れつつ、しかし考えてみればこれが一般的な反応だろうかと、ギュランダムは思い直す。
長い間この村で実験ばかりしていたせいか、金銭感覚がおかしくなっていたかも知れない。そういう意味でも深鷺の存在は村によい影響を与えてくれる可能性が……などと思いながら、深鷺に次を促す。
「さあ次じゃ次。今度はこの結界の、この色の違う青い部分だけに触れてみとくれ」
すぐ傍に、同じような結界が用意されていた。先ほど破壊された結界とは違い、赤いドームを遮るように小さな青いドームが存在していた。
真上から見ると、首が胴にめり込んだ雪だるまのような形状だ。青いほうが頭部となる。
屈んだ深鷺が手を触れると、その青い部分だけが先ほどと同じように消えてしまったが、他の赤い部分には影響がないようだった。
「そのまま空いた穴から手を入れてみてくれるかの」
深鷺は言われるままに手を進めた。赤い結界の中で手をわきわきと動かす。結界は壊れる様子がない。
「これでなんとかなりそうじゃのう」
「わー……お師匠様、結界を結界で区切ったんですか?」
赤い結界を別の結界で区切り穴を空け、その穴を埋めるように青い結界を配置する。深鷺が触れた結界は青だけ。赤い結界は区切られているので青とはつながりを持たない。触れた結界だけが壊れ、他の結界はそのままとなった。
「うむ、やってみると意外とできるもんじゃのう。これを村の結界に応用すれば、深鷺用の出入り口ができるというわけじゃ。人1人分くらいの結界であれば壊れてもすぐに張り直せるし、壊さずに撤去するのも容易じゃ」
結界術とは境界を定める術である。
もともとは一部の魔獣が自分の縄張りを他の魔獣に主張するため、あるいは弱い魔獣が天敵の接近を感知するために使っていたものだ。そして本来、そのくらいにしか使い道のない術だった。
結界術の利点は、1度設置すると結界の要として配置した品が崩れない限りは半永久的に機能し続けることにある。
特殊な石や植物を用いて地脈とのつながりを持たせ、地脈から微弱ながら魔力を吸収し続けることで、術者の魔力による維持を不要とする仕組みだ。また、結界は自身の血を用いて設置した術者ともつながりを持ち、常にその状態を知ることもできた。
そして現在、結界術の神髄は魔導術との組み合わせにある。
例えばこの村の結界【獣払い】は結界の名称ではなく、魔導術の名称である。
結界が示す境界を“効果範囲”とし、地脈から魔力を供給する。そこへ魔導術によって『獣を寄せ付けない』効果を与えれば、その効果が永続的に続くのだ。
ただしそのためには、微量な魔力しか供給できない結界術に合わせた低コスト魔導術の開発、土地ごとに供給可能な魔力の測定、それに応じた最適な位置と効果範囲の選定、という様々な準備が必要になる。
供給される魔力が少ないため派手な効果を持たせることもできず、また球体以外の形状を作ろうとすると途端に難度が上がるという問題も抱えていた。
「そのあたり、まだまだ研究の足りない分野でのう。この村ではそのテストも兼ねて、定期的に結界の張り直しも行っておるんじゃ。予備の要石も大量に用意してあるからさほど気にせんでもよいぞ」
今回の件は、別の結界を用いて結界の形状をコントロールするというアイディアを試す良い機会となった、とギュランダムは続けた。
この村の住人はそうした様々な魔術の研究と実験を行う術者ばかりであり、そのための予算も充分に用意されていると説明され、クイシェが昨晩言っていた『実験的な村』というのはこういうことだったのか、と深鷺は納得した。
いずれは国中の村に結界を張ることで獣、魔獣による被害を阻止したり、重要な施設への防犯結界の設置、などの事業に使われていく予定の研究である。その研究が1歩進むと考えれば安い出費だった――――と、クイシェの視線にさらなるフォローを催促される形で、ギュランダムは語った。
「村の結界を改造するのは1日2日ではできんが、そうそうこの村から出る用事もないじゃろう。ミサギが外に行く必要が出てくる頃までにはなんとかなると思うぞ」
「ありがとうございます! よかった。わたしは正直なところ、出入り禁止になると思ってました……」
「いや、どちらにせよ村の外に出るのはお勧めせんのじゃが……」
村の外は獣や魔獣と出くわす可能性がある。深鷺が山奥を彷徨い歩いて無事だったのは運が良かったのだと、ギュランダムは外の危険性を説いた。
深鷺は熊に襲われるのではと震えていた事を思い出し、危険性を再確認しつつ、その他にも用意されていた結界を指定されたように壊す作業を続けていった。