#12話:食いしん坊ミサギの食事と疑問
夕暮れどき。
お手伝いを終えてクイシェの家に戻ってきた深鷺は、クイシェに案内されて部屋の説明を受けた。といっても特別な注意事項があるわけでもない、普通の部屋だ。
棚とベッド。小さなテーブルとイスがある。
テーブルには白い花が花瓶に生けてあった。棚にはなにも入っていない。
壁には額縁がかけられている。絵には風景や人物ではなく幾何学模様が描かれていたが、この世界では普通なのだろうと、深鷺は特に気にしなかった。
ベッドの頭あたりには、深鷺が密かに期待していた“魔術的な品物”が用意されていた。それは深鷺から見て電気スタンドのようなものに見え、実際に同じ用途で用いられる魔導術の家具だった。
「わー、ついた!」
電気の代わりに魔力で灯る、というだけで特別特徴のない単なる照明なのだが、“魔力で灯る”というだけで深鷺は楽しそうだ。薄暗くなり始めている部屋の中で、深鷺はスイッチ代わりになっているらしい石をずらしては意味もなく明かりを付けたり消したりしている。
自分が使っているから、という理由で無意識に配置しただけのその“魔導具”がことのほか深鷺に喜ばれている姿を見て、クイシェが他にも魔導具が余っていなかったかを思い返し始めたのはいうまでもない。
◇
部屋の紹介が終わると、さっそく夕食の時間である。
食堂では照明の魔導術が用いられた。天井近くにいくつかの光球が浮かんでいる。それは深鷺の部屋に設置された魔導具とは違い、クイシェが魔導術【浮灯虫】で生み出した光球だ。
広い食卓の上には【保温】によって作りたての温かさを保持したままの食事が並んでいる。
クイシェが用意した夕食は昼間とは違い、種類豊富で豪華だった。
食卓の中央には大皿があり、緑と赤の葉菜が敷かれた上になにかの肉がどっさりと盛ってある。
他には乳白色の豆や、紫色に染まった大根おろしのようなもの、柑橘系の果物に見えるが色が真っ黒なものなどが、それぞれ小皿に載せられていた。
パンらしきものはあってもお米の姿は見えず、しかし特別白米派というわけではない深鷺としてはそれほどショックを受けていない。それよりも深鷺は、見たことのない料理の数々を前に興味津々だ。
食いしん坊な深鷺は食べ応えのありそうな食卓を普通に喜んでいたが、一方クイシェのほうは用意した自分の料理を改めて見て、ちょっと調子に乗りすぎたんじゃないだろうかと後悔し始めた。
それはつまり、
(2人分にしては多すぎだよね……)
と。
「「今日の巡りに感謝します――――いただきまーす」」
席に着いた2人が両方の祈りを並べた挨拶をして、食事が始まった。
「……作り過ぎちゃったかな……?」
クイシェは食卓に並べた皿の数々を見ながら、恐る恐る深鷺に問う。
無理して食べなくても良いよ? と続けるつもりだったクイシェだが、
「全然! 美味しいからいくらでも食べられるよ!」
と深鷺が即答したので、続かなかった。
深鷺はお世辞でも気遣いでもなく本音で答えている。深鷺が普段食べていた量に比べても、確かに少し多いかもしれなかったが、ほんの少し、程度である。食の豊かな生活を送っていた深鷺には、多すぎると思えるほどの量ではなかったのだ。
そして、この先しばらくはこの世界で暮らさなければならないので、違う食文化を持つこの世界の料理が美味しく感じられるというのは、とても嬉しいことだと深鷺は感じていた。
日が沈んでゆく間、深鷺は異世界料理に舌鼓を打ちながら、今日のお手伝いで疑問に感じていたことをいくつかクイシェに聞いてみる。
台車で運んだ紙と、インクについて。
「え、とね。それはグリモア紙とマジックインクの原液だね」
「……油性ペン?」
グリモア紙は名の通り、魔導書に使われる紙だ。
以前は羊皮紙を専用の塗料で仕上げて作られていたのだが、今はその用途から通称『グリモアの木』と呼ばれるようになった樹木から、専用紙が調合されている。
グリモア紙の製紙技術は現在普及の真っ最中だ。その用途が魔術用ということで普通の紙より高く売れ、また羊皮紙よりも楽に作ることができ、しかも羊皮紙を用いた魔術用紙より品質が良いので需要が高まっている。
マジックインクも名の通り、魔導術に使うインクだ。
原液を薄めて使うもので、大瓶に入っていたのがその原液だった。
この村でも栽培されている同名の植物から作られる、魔導書製作に欠かせない液体である。
昔は特定の魔獣の血液や、場合によっては術者自身の血を使って書かれていたが、今ではこのマジックインクが主流となってきている。品質が安定していて、比較的安価で大量に確保できるのが強みだ。
どちらも魔導術の普及に応じ、あるいはそれを見越して生産者や加工者が増えてきているという。
「へー……すごいね、この世界。ここは辺境だって言ってたけど、辺境の村ですらちゃんと、しかもあんなに大量に紙とかインクとか……魔術の道具? が揃ってるなんて」
倉に積んであったグリモア紙とインクの量を思い出しながら、思ったよりも進んだ文明の世界なのかも、と深鷺は考え始めていたが、クイシェはそれを否定する。
「あ、違うの。この村はちょっと特別だから」
「そうなの?」
クイシェはこの村を、この世界の標準と考えるのはよくないという。
「なんていったらいいのかな……この村、専門家しかいないっていうか……実験の為にある、ような…………わたしもこの村以外のことは知らないから、あんまりよくわからないんだけど……あ、あのね。多分明日になったらわかると思うから」
「ん、わかったー……はー、いっぱい食べた! ごちそうさまでした!」
「う、うん。沢山食べてくれて嬉しいよ」
昼間の食べっぷりも気持ちの良いものだったが、クイシェは深鷺の健啖ぶりを見て頑張った甲斐があったと胸をなで下ろした。用意した皿は全て綺麗に空っぽである。
おそまつさまでした、という言葉は知らないので、クイシェの口からは出てこなかった。
◇
食器を片付けようとする深鷺を止めることができなかったクイシェは、仕方なく2人並んで食器を洗う。とはいえ1人でもそう時間がかかるほどの量ではなく、すぐに終わってしまった。
深鷺のことをあくまで“お客様”として扱いたかった心情のクイシェとしては心苦しかったが、いざ並んで作業をしてみるとそれはそれで仲が良い様な気がして、満更でもなかった。
(友達は対等な関係……だったら一緒にやったほうが、友達らしいのかなあ……)
「おーしまいっ」
クイシェがぼーとしている間に、あっという間に食器が片付いてしまった。
深鷺の横顔を見ていて、クイシェはふと思った。考えはそのまま口から出る。
「それにしてもミサギちゃんって、元気だね……怪我とか無かったけど、それにしても昨日の今日で……村中回るのだって、結構大変だったでしょ?」
「うーん、そこそこ。重量級新聞配達って感じかな? 古紙回収とか?」
やったこともないアルバイトをイメージして返答する深鷺。大変だったかと聞かれれば大変ではあったが――――深鷺は答えを返しながら、なにかを誤魔化しているような気になった。
一度口を閉じ、考え直す。
「……うーん。や、本当のところは、なんかやってないと嫌なこと考えそうだったからってだけなんだけどね……」
「あ……ご、ごめんね?」
「気にしないで♪」
愚痴を聞かせているのは自分の方なのだから、と深鷺は少し甘えていることを自認する。
自分を支えようとしてくれているように思えるクイシェは、同世代の気安さも相まって、深鷺にとってとてもありがたい存在だ。
「……って、そうだ、すっかり忘れてた。もう1つ聞きたいことがあったんだ」
後始末が終わって振り向いた深鷺は、先ほどのクイシェの言葉にひっかかりを憶えた。そして疑問を1つ、思い出す。
「な、なに?」
「……わたし、怪我とか無かったの?」
「怪我?」
「ほら、山で見つけてくれたときさ。わたし、怪我してなかった?」
言われて、クイシェはそのシーンを思い出す。
――――もしかして、言葉がわからないのかな――――
――――どんな事情があってこんな僻地の山奥で裸で隠れなければならないのか、まったく想像は付かなかった――――
――――見たところでは“怪我はしていない”ようなので、そのことにはとりあえず胸をなで下ろす――――
「――――うん、わたしが見つけたときは、怪我らしい怪我は見当たらなかったよ? ミラナさん……村のお医者さんも、体が冷えてる以外には特に問題ないって言ってたから大丈夫だと思ってたんだけど……ど、どこか悪かった?」
「ううん、全然健康体」
とたん、心配そうに眉尻を下げるクイシェに、軽くガッツポーズなどして極めて健康であることをアピールする深鷺。
しかし、疑問は残る。
(足を捻ってたのは……たとえ腫れていても、あの暗さじゃわからなったかも? でも、手足に傷がまったくないっていうのは変じゃないかなー……?)
と、そこでお腹が一杯になったためか、眠気が深鷺を襲った。
「……ふぁ」
疲れもあるのだろう。あくびがでた深鷺を見て、クイシェは睡眠を薦めた。
確かに疲労と眠気を感じていた深鷺は、素直に促されるまま寝間着に着替え、初めて眠るベッドへ潜り込んだ。
「ミサギちゃん、おやすみ」
「おやすみー……」
体に関する疑問はとりあえず解消されることのないまま、深鷺は新しい部屋で眠りに就いた。