＃１０話：異世界と異世界
最初、ギュランダムもクイシェも深鷺がなにを言っているのかよくわからなかった。
「異世界から来た……？」
プルセアリスではない世界。違う大陸ではなく、違う“世界”だ。
深鷺はそれを「陸や海や空では繋がっていない、別のところにある世界」などと表現してみた。
そしてその異なる世界から、何故かこの世界へ飛ばされたのだろう、と。
深鷺は自分でも理由がわからないこの移動現象の説明に苦労した。深鷺は「魔術があるのだから悪魔や精霊を“召喚”する術もあるのだろう」と思っていたのだが、ギュランダムとクイシェが知る限り、この世界にはそういった召喚を行う術の類は知られていないらしいのだ。
それは深鷺がどうやってこの世界に呼び出されたのかを知る手がかりが少ない事を示しており、深鷺の気分は落ち込んだ。
しかし、とりあえずはなんとか２人に異世界の事とそこから自分が飛ばされてきたということを、信じるかは別として納得はして貰えた。
そうして説明していることからもわかるように、深鷺の方はもはやここが異世界であると確信している。【言語移植】の他にも先ほどの手帳サイズの魔導書に記されていた【浮灯虫】など、小さな術を色々と見せて貰った。
そんな技術が一般に広まっている地域が地球にあるわけがない、と深鷺は判断したのだ。
だがこの世界の住人の方はどうだろうか。自分１人が異世界だと言って簡単に信じて貰えるとは思わなかった深鷺はそれをどうにか証明しようと思った。しかし、簡単に照明できるものは思いつかなかった。
せめてなにか文明の違いを見せられるもの、たとえば携帯電話などの電子機器、あるいは服一着でも身に纏っていればそれだけで技術の差を見せることができたかも知れなかったのだが――――なにせ深鷺は、着の身着のままどころではなく全裸でやってきたのだ。明確に文明の差を感じさせる物品はなにも提示できない。
だが、まずはそれを信じて貰えないとどうやって帰ればいいのかという話に進むこともできない。
そこで深鷺は、自分の世界を示す事柄を国名や言葉、文化、歴史、文明、と思いつく限り２人に話して聞かせた。
言葉であれば、鍋、テーブル、本、クイシェ、髪の毛、ギュランダム、髭、などを指し、それを日本語で発声する。【言語移植】の効果中は、意識しなければ術者の言語能力の方を無意識に選んで会話をするようになっているらしかったが、日本語で喋るように意識することで日本語での会話も可能だった。
筆記用具を用意してもらい、文字も書いた。慣れない羽根ペンでひらがな、カタカナ、漢字、Englishなどを、思いつく限り書き出してゆく。
「確かに聞いたこともない言葉で、見たこともない文字じゃ。儂は昔、大陸中を旅したこともあるが、こんな文字はまったく記憶にないのう……」
深鷺の説明を聞いたギュランダムとクイシェは戸惑いを隠せずにいた。
いったいどんな事情であんな山奥に隠れていたのかと、２人とも色々な可能性は考えていたが、いざ問いかけてみれば自分たちの理解を超えた内容だったのだ。
深鷺は、夕暮れどきに学校から自宅への帰路を歩いていて、気が付いたときには暗闇の中で座り込んでいたという。
そこが山の洞穴なのかと聞けば、どうやら違うらしい。
暗闇の中では柱に囲まれ、目の前に小さなデントウなるものらしき棒が立っていた。そのデントウとは明かりを灯す道具らしかった（つまり電灯だ）。
実際は杖だったのだが、深鷺は先端が光っていたためにそれを照明器具だと認識していた。図で説明することで、ギュランダムはそれが杖らしい事に気が付き、指摘する。
「……言われてみれば杖でした」
ファンタジーな世界だという事をもっと念頭に置くべきだ、と深鷺は反省した。
その場には、暗くてハッキリと見えたわけではないが、かなりの人数が隠れてこちらを見ていたらしく、そして自分はいつのまにか裸だった。そこで怖くなり悲鳴をあげた。そして気が付いたら山奥にいたのだという。
時刻は日が落ちる直前で、それはクイシェの超感覚が違和感を捉えたとき、結界が破壊された時刻と一致した。
深鷺は山奥を人里求めてさまよい歩き、坂を滑り落ちたところで歩くのを諦め、ちょうど見つけた洞穴に身を隠す。
あとは２人が知るとおりの展開で、洞穴に隠れていたところに謎の奇声が聞こえ、どうしていいかわからずに怯えていたのを、クイシェに助けられたのだ、と。
「……」
謎の奇声のくだりではギュランダムが視線を逸らしてた。クイシェの目が冷たい。
そしてクイシェに助けられたという感謝からは、今度はクイシェの目が泳いだ。感謝の視線が気恥ずかしくて耐えられない。
「……まあ、とりあえずその話を信じないことには始まらんのう」
「わ、わたしは信じるよっ！」
「となると……次は元の世界に戻る方法が知りたい、というわけなんじゃろうが……わかると思うが、儂らにはまったく心当たりがない。すまんのう」
先回りされてしまった問いへの回答に、深鷺は肩を落とした。
「そうですか……ですよねー」
「……ちなみにじゃが、そちらの世界からこちらの世界へ飛ばされた、という可能性はないのかのう？」
異世界のことを説明する際に、ギュランダムが「深鷺は広い大陸のどこかそういった“閉じた文化”の地方から来たのではないか」と思っているフシがあったので、深鷺は『自分の世界では陸の果て海の果て、空の果てまでもがすでに調べ尽くされた高度な文明を持つ世界だった』と誇張気味に説明してあった。
これは、それほどの文明であればこちらの世界で説明の付かない現象も有り得ることなのでは、という意図の質問だった。
「絶対にない、とは言い切れないです……わたしの世界には急に人が消えていなくなる現象を神隠しなんて言ったりしましたし……でも迷信と思われているようなものですよ？」
もし地球側の現象だった場合、こちらから帰還する手立ては存在しない可能性が高いだろう。
下を向いてしまった深鷺に、クイシェは深鷺の手を掴んで励ます。
「……だ、大丈夫！ 来ることができたんだから、帰る方法だってあるはずだよ……！」
「クイシェちゃん……」
ギュランダムが場の雰囲気を切り替えるように立ち上がった。
「まあ、クイシェの言う通りじゃ。調べてみればもしかするとそういった事例が過去にあったかもしれんし、手がかりがないかもう１度よく思い出してみるのも良いじゃろう。儂が思うに、おぬしが言うデントウの杖があった部屋はなんらかの儀式場じゃと思う。大がかりな儀式が行われていたなら、ある程度の規模の魔術師団や国が関係しているはずじゃ。そのあたりを当たっていけば、この世界に来た原因はわかるかもしれんよ。儂らも力を貸そう」
深鷺はクイシェの手を掴み返し、２人にお礼を告げた。
「なあに、こちらとしても興味深い話じゃ。なにか見つかるまではこの村にいると良いじゃろう」
こうして深鷺はクアラ村にお世話になることになった。
部屋は深鷺が目を醒ましたこの建物に用意される。かつては宿屋として使われていた建物で、部屋数が多い。
クイシェの自宅でもあり、村人たちの倉庫としても使われているものらしく、それらを含めて管理はクイシェが任されているそうだ。使われていない部屋は現在もごくまれに訪れる旅人の宿泊用に使われている。
クイシェはさっそく深鷺のために自室の隣部屋を片付け始めた。当然、そこに住まわせて貰う深鷺も手伝い始めようとするのだが、
「あ、あの、ほら、魔術関係でいろいろ専門的なものとかもあるから、お手伝いはいいよ」
「そっか……壊しちゃったら大変だもんね」
実は、すでに空いている部屋があるにもかかわらず、あえて自室の隣の部屋を空けようとしているクイシェ。そんな露骨な行動を知られたくないと適当な理由を付けて断ったのだが、深鷺は引き下がらない。
「じゃあなにか、他に手伝えることないかな」
「ええと、ミサギちゃんはお客様だからなにもしなくても……」
「や、居候だからむしろ働かなきゃ駄目じゃないかな。働かざる者食うべからずって言うし」
仕事がないと落ち着かない、という感じの深鷺を見てクイシェは頭を巡らすが、この家で手伝って欲しいようなことはなにも思い当たらなかった。しかしこのままただ待たせるのも確かに酷かもしれない。
そこでクイシェは外に仕事を探しに行くことにした。
「えーと、それじゃ、ちょっと待っててね？」
「うん、ありがと！」
クイシェは小走りで家を出て行った。どうやらなにかしら手伝いはさせて貰えるらしいと、深鷺は安心する。
居候云々というのも確かに本音なのだが、実のところ深鷺はお手伝いなりなんなりに集中し、嫌なことを考えないようにしたいのだった。やることがないと色々と考えてしまう。自分が知る限り、神隠しにあった人も異世界に飛ばされてしまった物語の主人公も、必ず元の世界に帰ってめでたしというわけではない。それになにより、これはフィクションではない。
（……ってだから、考えたくないんだってばー！）
１人になってしまったせいか、ついつい思考が内面に向かってしまう。無理矢理思考を切り替える深鷺。
（……といっても、わたしに手伝える事ってなんだろう……農作業とか本格的なのは未経験だけどいけるかな？ あとは……料理？ 洗濯？ 掃除……は断られたんだった。でも、どれも現代技術の恩恵無しだとあんまり経験ないんだよねー……）
まあ、お手伝いなのだから本格的な作業を任されることはないだろうと気楽に構えることにした深鷺。自分ができることを脳内に列挙していく。
（アクセサリが作れる。道具があればベンチくらいは作れる。料理は食材が同じだったら良いけど……そういえばこの世界、お菓子はどんなものあるのかなー……）
色々と考えていると、ここがどんな村であるのかもまだ知らないことに気が付いた。辺境の村であることと、山に囲まれていること。そして見る限り、現代に比べれば文明レベルでは劣っているだろう、ということしかわからない。
窓から外を除いてみると、土と木と草で構成される村風景が広がっている。木造の家の先に畑、更に遠くに森があり、山がある。
村は広々としていて質素で、まるで昔遊んだことがあるテレビゲームのＲＰＧで見た村風景を、そのまま立体化したような――――というほどではないだろうが、近いものを感じる風景だった。
（剣と魔法の中世ファンタジー……そんなイメージでいいのかな）
剣はまだ見ていないが、魔法は実在する。そしてなにやら“魔獣”というモンスター的な存在はいるらしい。あとは社会が封建制だったり絶対王政だったりすれば完璧だろうか。
（ついでに魔王とかいれば、勇者召喚モノだよね。……あれ？ その場合わたしが魔王倒すことになるの？ いやいや、それはない……）
そうこうしているうちにクイシェが戻ってきた。気が付けば結構な時間が過ぎていたようだ。
クイシェは少し息を切らし気味に告げる。
「あ、あのね。村中の人が集まっちゃったから、広場まで来てくれる？」
