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いちごの気持ち

 


 微かに日の光が残っていることを窓を眺めてボウッと確認した。リビングは怪しい熱気に包まれているのに妙に静かで、カリカリとペンを動かす音だけが響いている。 



 「しんど~。もう俺やだ!」



 初めに静寂を破った夏樹がテーブルにペンを投げ捨て、そのまま後ろの床に倒れこむ。試験一週間前からの最後の追い込みは、一番精神的に応える。



 「さっきもそう言って一人で休憩しただろ?」

 「そうだよ。もうちょっと頑張れよ、国語」



 「絶対に嫌だ!だいたいいくら考えても公式も無いし暗記のしようがないし、できねーよ!」

 夏樹の苦手科目はその性格上、少なくはない。じっとしているという行為が苦手なので、文章を読みじっくりと考えて解答を導き出す国語はその筆頭で、他に自分の感性や表現力を使い、それを形にするまでの地道な思考作業を必要とする美術や音楽も苦手分野だ。一方一卵性の双子ながら落ち着きのある冬路は国語も美術も音楽も苦手ではない。ただし、これといった得意科目もないが。



 「三人とも頑張ってるか?」



 扉が開くとエプロン姿の兄が甘い匂いを引き連れてきた。ちょうど私達が試験一週間前のカウントダウンに入った日に兄の試験は最終日だった。試験休みの今日、兄は朝から母をキッチンから追い出し、張り切ってお菓子作りだ。



 「唯兄ー、もう俺頑張れない~」



 弱音を吐く夏樹よりもすばやく、ソファーに座った兄の元へ駆け寄り、付箋のついた教科書を渡した冬路は、兄が教科書を読み出すのを確認すると授業で行われたノートやらプリントやらを用意し始めた。



 「唯兄、ここ教えて」

 「いちご同盟かぁ懐かしいな」



 今回の国語のテスト範囲は詩と物語文の読解が主なものだった。兄は黙ったまま教科書を読んでいく。冬路だけでなく、夏樹も私も慌ててノート片手に兄がそれらを読み終えるのを待った。パタン、と教科書が閉じられる。私達は一斉に兄に注目し、息を呑んだ。大きく深呼吸をした清々しい顔をした兄は、やがて私たちに教科書を返してこう言った。


 「…何度読んでも良い話だ!」


 冬路の手から、力なくノートが抜け落ちた。

 おとめ座の兄の好きな科目は、家庭科と国語だ。




 気持ちの良い風に吹かれ、朝の空気を吸い込んだ。珍しく早めの出発をした今日は自転車の速度にも余裕を感じる。いつもと違い、横に座るように後ろに乗った私は、鞄を抱えて小さな覚悟を決めた。



 「ちょっとさ、そのまま聞いてよ」

 「んー?」



 多分とんでもない話が飛び出すのは予想がついたと思うけど、夏樹は軽い返事を私に返す。つい甘えて見落としそうになるその優しさはうちの兄、唯と似ている。

 ゴクリとつばを飲み込むとなるべく軽く済ませてしまおうといっきに口に出した。



 「私冬路が好きなんだ」



 一瞬、夏樹の体がピクリとして目だけで私を見たのが分かった。だけど気付かないふりをする。夏樹も私に動揺を見せないようにする。何事も無かったように少し体を硬くしながら自転車をこぐ。

 「ちゃんとするから、夏樹にだけは知ってて欲しかったの。私達が、今まで通りのままいられるように」



 ふいに自転車がゆっくりと止まって、前を向いたままの夏樹がポツンと言葉を落とした。



 「…分かんねぇ。その‘好き’は分かんねぇよ。俺はみんな好きで、みんな友達だけど…その好きとは違うんだろ?」



 夏樹がどんな顔してるか、考えなくたって分かる。私はどっかでそれを分かってた。だけど、言った。そんな顔をさせたいわけじゃないけど、それでも私は女の子としてのワガママを夏樹にきいてほしかったんだ。



 「みんなじゃ嫌なの。私だけ特別じゃなきゃ嫌なの。イチゴショートの上に乗ってるイチゴみたいに」

「…それなら、今まで通りじゃ嫌なんじゃねぇの?」



 硬い声を出しながらも夏樹の足はゆっくりとペダルをこいだ。いつもより穏やかに拭く風を受けてコマ送りの景色を眺めながら大きく溜息をついた。



 「そこが複雑なんだなぁ。…でも、今のままが一番好きだからそれでいいの♪」

 「やっぱ分かんねぇや」



 足を休めないままで嘆いた夏樹におどけて「もう少し大人になったら分かるよ」と言ってやりながら実は胸のつかえが取れたみたいにほっとしていた。


 ショートケーキのイチゴは主役の座に乗っているのに、甘くない。イチゴは甘いはずなのに、生クリームと掛け合わされてみずみずしい酸味がきいている。冬路は私にどこまでも優しい。いつまでも優しい。優しすぎて、どんなに待っても酸味を与えてはくれない。それがあってこその特別なのに、それだけは絶対にくれない。



 私の言葉は、ひどく自分勝手でワガママだったと思う。だけど聞いて欲しかった。他の誰でもない夏樹に。それは夏樹と冬路が双子だからとか、そんなおかしな理由じゃなく。やがて肩を使ってため息をついた夏樹はさっきより大きくペダルを漕ぎはじめた。


 「明日香、いつまでも寝てんじゃねーよ。とばすぞ!」

 「はぁ?私ちゃんと乗ってないんだけど!」

 「振り落とされねーように踏ん張ればいいだろ!言っとくけど全速力だ!」



 迷いの無くなった背中に必死で掴まって文句を言いながら笑った。




 それは帰り支度をしていたときのこと。あたりはざわついていて、我先にと帰る者、分からない問題の教え合いをする者、数人で集まり今日の勉強会という名のお喋りの場所の相談をするものもいた。



 「明日香さ、今から大丈夫?」



 急に声が聞こえて振り向くと廊下の窓越しに冬路が片手に鞄を持ち立っていた。



 「何?」

 「フルート、聴いてくれない?」



 いつもと変わらないくせに、どこか気落ちした冬路はよく見ると杖のようにフルートを掴んでいる。乱暴に鞄を持ち上げては内心荒くため息をつき、廊下に出る。


 「屋上に行こう」



 微笑んだ冬路が先を歩く。昇降口ら向かう生徒たちの波に逆らい階段を上る。扉を開けると明るい空が広がって、静かに風が吹いた。突っ立っている冬路に構わず奥に進み、フェンスを背もたれにして座り込む。両足を広げてみると気持ちがいい。日中なら太陽の光でぽかぽかしていただろうコンクリートの床は、今はもう冷えて冷たい。


 「何ボーっとしてんの?座れば」


 床を叩いて呼ぶと、隣に座った冬路は同じように両足を前に投げだした。


 「女の子が足広げてる」

 「うるさい!たまにはいーの!」



 ふんぞり返って腕組をして、スカートから出た細くない足をいっそう開き、鼻で息を吐いた。子供みたいに頭を思い切りそらしたのは染まった頬を見られたくなかったから。

 心地よい沈黙の後、冬路のフルートの音が聞こえた。ここはお気に入りの場所なんだって、音色でそれが分かる。以前聞いたときとはまた音色が違っている。優しい音色が少し悲しい。涙が乾いたような、空っぽで、清々しくもある。そう思うのは冬路がそれを許してしまっているから。そーゆーのがなんだかとても冬路らしい。



 「ふられちゃったんだ」


 フルートを無造作に隣に置いた冬路が軽い口調でポツリと言った。


 「好きだったんだけどなぁ」

 「フルート、辞めるの?」



 本当は最初から、冬路のフルートを聞いたときから気付いていたと思う。冬路は吹奏楽にも、フルートにすら大して興味を抱いていない。その証拠に冬路のフルートは聞くたびに気持ちのままに、まったく別の音色を奏でる。冬路にとってはその曲風もスキルアップも全くもって意味をなさない。唯一無二の関心要素は彼女、森下真未の評価だったから。


 「分かんないけど、高校ではやらないと思う」


 置かれたフルートがコンクリートを転がって止まった。少しだけ陰った空を見つめる冬路を見て、ため息をついた。



 「最後にするとか決めたわけじゃないけど、明日香に聞いて欲しかったんだ」



 その言葉をつい嬉しく思いながら、苦笑した。



 「私が冬路を好きだったの、知ってたでしょう?」

 「・・・ありがとう」


 二人で空を見上げながら言った言葉は照れくさくて、スカッとした。

 明るい太陽はないけど、爽やかな青空。ショートケーキのイチゴを食べた後の爽快感に似てると思った。酸っぱくて顔をしかめるのに、そのイチゴは何だか特別に感じる。



 「・・・俺が森下さん好きだったのも知ってたの?」

 「そのためにフルート吹いてるのもお見通し。腐れ縁なめんなよ」



 今更慌てたように身を乗り出す冬路に余裕かまして自慢にもならないことをえばってみせた。


















 苺がすき。そう言っておきながら私は苺をよく知らない。大事に育った真っ赤な苺。小さくて酸味の強いものも、大きくて甘いものも、それぞれに皆いいのに。

 優しい彼を好きだったのに、憧れていたのに、それにあぐらをかいた私は彼をよく知ろうともしなかった。





 音楽室。私はベランダでフルートを吹きながらも室内の様子に神経を走らせていた。ちょうどそこには高村君が鈴木さん達と楽しくお喋りをしていて、私はその何気ない会話の内容を一字一句聞き漏らさないように休憩を装ってフルートを止める。



 「マジで?じゃあ夏樹とミヤって付き合ってないの?」

 「マジ。幼なじみだからさ、夏樹にしたら兄弟みたいなもんじゃね?」

 「あー夏樹も鈍いしミヤも男前だからなぁ」

 「本当。俺より男前で困る」



 芝居がかって大げさに溜息をつき落ち込んでみせる高村君に一同は手を叩いて喜んだ。


 「あはは。そりゃそうだ!だいたい全速力の自転車に余裕で後ろ向きで座ったりね」

 「スカートの下にジャージはく理由がよく分かった」



 “ミヤ”というのは、彼の幼なじみの姫宮明日香の愛称だった。最近彼女と彼の兄弟の夏樹君が仲良く自転車の二人乗りで登校してくるようで実は彼等が付き合い始めたのではないか、と噂になっていたのだ。最も本人たちはそんなことを気にする様子はこれっぽっちもないらしい。



 「でもミヤさ、最近女の子って気がしてきた!」

 「分かる!なんかたまにそんな雰囲気あるし」



 何とも無い会話を背に半分安心しながら不安を残し私はそこに混じらずじっと耳を澄ませていた。



 「あれって夏樹の影響だと思ってたんだけどなぁ」

 鈴木さんが再びニヤリと高村君を見て「本当は付き合ってんじゃないの?」と期待を込めた目を隠せない。



 「ないと思うなぁ」おどけてみせた高村君が「今の夏樹じゃ明日香に太刀打ち出来ねぇよ」と笑いをとる。何気ない風に室内を振り返って高村君を見つめた。特に変わった様子もなく、楽しそうに会話を続けている。気付かれないうちに視線を外し、ため息をつきながらベランダの手すりに体重を預けた。向き直って頬杖をつきながら校庭を見ると部活動中の生徒達が練習に精を出している。試験期間が終わったため、久々に体を動かせるのが嬉しくてたまらないみたいに。



 よく見ると噂の的の夏樹君も友人とふざけあいながらトラックを回っていた。その姿を見て彼はきっととても自分に正直でそれをストレートに表情にも表わすんだろうと思った。友人や幼馴染の姫宮さんにはふざけてみたり優しさを見せたり素直に親愛を表現する。逆に全くの他人である私にはそんなものは微塵も見せなくて他人に見つめられた嫌悪からかゾッとする程の冷たい顔を見せた。




 高村君は違う。同じ顔してポーカーフェイス。いつでも賑わう輪の中に入れるのに、ふいに何のためらいも無くそこを抜け出す。入部当初一人で小さく座っていた私に声をかけてくれたのは高村君だった。いつでも笑ってくれるから、その優しさに気付かなかった。不安なときも落ち込んだときも隣にいてくれたのは高村君だった。何をするでも無くそこにいてくれたことがどれだけ嬉しかったか。本当はフルートの練習に付き合うことはあの音色だけのためじゃなかった。フルートを吹くときのあの音色は高村君の感情だった。それなのに、大事なことに気付かなかったのは私だった。


 「森下さん、今いい?」


 驚いてはっとすると、高村君が隣にいた。いつもと何も変わらないままで。


 「…うん」

 「俺さ、吹奏楽部辞めるよ」


 その台詞はどこかで予想がついていただけに、重くのしかかって私は何も言えなかった。今の今まで私が高村君を注意深く見つめていたのは、このセリフを言わせないためだったのに。高村君を受け入れらなかった私は彼の音色は手放したくなかった。


 「すぐにってわけじゃないよ。発表会が終わってからにするし」


 黙って手すりを見つめる私を気遣うように付け加えた。


 「…それは、辞めるって…もう変わらないの?」

 「だってもうここにいる理由がないし」

 「え?」


 彼の言葉に顔を上げるとそこにいるのはいつもの高村君なのに、何か違う気がした。


 「やっぱり俺、フルートって別に好きじゃないしこれから頑張って皆みたいな演奏できると思わないんだ。それって、真面目にやってる人達に悪いし」

 「それでも私、高村君のフルート好きだよ」


 私がそれを言うのはズルイと思った。だけど、伝えずにはいられなかった。


 「俺も、森川さんに聞いてもらえて良かったと思う。ありがとう」



 高村君はズルイ。そんなこというから、そうやってズルイ私を責めもしないで笑うから、私は我武者羅に彼を止めることも出来ない。決まってしまった決定事項でさえも泣き喚きでもしたら、考え直してくれるかもしれないなんて考えもキレイに消えていく。だけど、彼をそうしてズルイと思う私は勝手だ。


 「だから止めないでよ」



 その笑顔に、一点の曇りを見つけてしまったから、私はもう今度こそ何も言えなくなる。

 彼には言葉に出来ないほどのたくさんのものをもらった。私は高村冬路を好きだ。だけど、それは彼の望む形とは違う。それだけのことが、ひどく悔しくて切ない。




 定期発表会の後、高村君はあっさりと吹奏楽部を後にした。高村君のいなくなった部内はなんだか妙な違和感があって、それがより一層高村君の大きさを実感させられた。部活動の終わった音楽室で一人陰っていく街並を見つめながらフルートを吹くと感傷的な気分になった。



 「やっぱ森下さんのフルートは上手いなぁ。聴いてて安心する」



 いつの間にか座り込んで聴いていた鈴木さんがいて、目が合うと微笑んで拍手をしてくれた。

 「こんな景色見ながらだと、なんだか寂しくなるなぁ」と笑って見せると鈴木さんは大人びた顔をして窓の外を見つめながらポツリと「私は冬路がいなくなったから寂しくなった」と言った。核心を突かれて驚くと鈴木さんは照れ笑いしながらもまっすぐに私を見た。



 「私冬路のこと好きだったんだ。さっきキレイサッパリ振られてきた!冬路はさ、森下さんを好きだったんでしょ?」


 思わず息を飲むと鈴木さんは慌てて胸の前で片手をぶんぶん振る仕種で否定を現した。


 「変な意味じゃないよ。冬路見てたら分かっちゃって」

 「…そんなに、分かるの?」

 「普通は分からないと思うな。冬路隠すタイプだから…でも、好きな人だと分かっちゃうんだよね。(あぁまた森下さん見てるなぁ)とか」


 そうして微笑む鈴木さんは女性の顔をしていてどこか大人に感じた。



 「私…私も高村君をすごく、すごく好きだったの。でもそれは高村君のくれる好きじゃなくて…」


 言いながらそれでも高村君を好きだと思う自分がひどく勝手に思えて、目の奥が熱くなった。


 「尊敬してたの。憧れてたの。『フルートが吹いてみたい』なんて、単純な理由でど素人で入部して大変だったのにすぐコツ掴んじゃってどんどん上手くなるし、なのに少しも鼻にかけない所も、友達と輪の中にいても躊躇いなく抜けてきて、一人だった私のそばにいてくれたこととかすごく嬉しくてこんなすごい人になりたいこんな優しい人になれたらって…」



 話してる間に我慢出来なくなって涙が頬に向かってラインを描く。暗くオレンジ色になりつつある空が眩しかった。



 「冬路は器用貧乏なの。あいつたいていのことはそれなりに上手くこなせるの。だから極められないの。二年も同じクラスだったから知ってんだ」



 私を見た鈴木さんがわざとらしく得意気な笑顔をつくって見せる。



 「その冬路が、森下さんにはちゃんと向かっていったんだ。それで良くない?森下さんもちゃんと向き合ったんなら良いよ」



 「なんてふられた私が言うのもなぁ」と額にシワを寄せてぶつぶつ文句をいう顔がなんだかおかしくて、声をあげて笑うと鈴木さんに睨まれた。それがまたおかしくて今度は二人で笑ってしまった。



 最後まで読んで頂いてありがとうございました。

これをもってこの話は完結です。

 初めての連載で色々と行き届かない点も多々あったかと思いますが

完結させることが出来て本当に良かったと思います。

 ありがとうございました。

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