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見えない優しさ


仏頂面でニュースを読み上げるキャスターの声に、ケーキを切り分けるフォークの音が重なった。窓の外はそろそろ夜の色が顔を出し、明るい昼の雰囲気と静かに混ざり合っていた。



 「冬路がさ、帰りが早くなるらしいんだ。だから夕飯しばらく任せていいってさ」



 昨日の残りのフルーツケーキをフォークで切り分けながら愁兄が言った。昨日、出来立てを大騒ぎしながら食べた時よりもこうして時間が経過してから食べている今の方がケーキの心地よい酸味と甘さを感じるのは何故だろう。



 「冬路が?部活忙しいんじゃないの?」

 「さあ?昨日突然言い出して。今の時期は皆融通きくし、父さんも帰り早いしあえて引き受ける必要もないんだけど」



 いつものように、我が家同然で家に居座る愁兄と昨日の残りのケーキを食べながらポツポツとなんでもない話をしていた。夕食どきになって、最近当番が定着しつつある愁兄にそれを告げると、先ほどの答えが返ってきたのだ。



 「…でも、ソロパートを任されたって言ってたのに…」

 「色々あるんだろな。友達とけんかでもしたとか?」



 以前、冬路がその話を嬉しそうにしていたのを思い出して口に出すと愁兄はテレビに目を向けたまま言ったそれはなんだか見当違いな気がしたが、何事もなかったようにケーキを口に運ぶ愁兄の後姿を見て、愁兄自身もそれに気づいているような気がした。

  



 放課後、下駄箱に手を掛けると冬路と居合わせた。カバンの他に小さなケースにフルートを入れて。



 「冬路も今帰り?」

「しばらく帰宅部♪」



 楽しそうに笑顔を向ける冬路に違和感を感じながら靴を履き替える。別に「一緒に帰ろう」と言ったわけでもないのに、ごく自然なことのように私を待っている。冬路はそういう奴。わざと運動靴の紐を結び直して時間をかける。近距離にいるのに黙ってしゃがみ込み紐を結ぶ。冬路が待っているのを知っているから。



 「愁兄に聞いた。しばらく夕食当番するんだって?」

 「今の時代自炊くらい出来ないとと思ってさ。真沙美おばちゃんに弟子入りしようかな」

 「うちの母さん厳しいぞ。けど部活は?ソロパート任されたんじゃないの?」



 待っていてもらったくせに「ありがとう」も「ごめん」も言わない。当然のように腰を上げて隣に並ぶ。冬路はそんな私に、嫌な顔一つしないことを知っているから。



 そのくせ私は何も知らない顔して痛いところを平気で突く。あくまで自然な流れで、だけどきっと気付かれている。それでも私は貼り付けた笑顔を引っ込めない。冬路がそれをそっと見逃してくれることを知っているから。冬路はそういう奴だから。



 「だからフルート持ち帰ってきた」

 ケースを持ち上げて見せて笑う冬路におおげさにおどけてみせた。

 「じゃあ聞かせてよ。生演奏!」

 「いいけど、高いよ?」

 「うわっマジで?」

 「そうだなぁ…次の試験の数学の範囲見てくれたらいいよ」





 そう言ってニッと笑う冬路の顔を見て、胸がギュウッとなった。思いのほか酸っぱいいちごを食べてしまったときみたいに。腐れ縁のせいなのか、私は分かってしまった。冬路が苦しんでることに。私に見せた笑顔に陰が混ざっていることに。近過ぎる位置だから簡単には騙せない。







 「そういうことだから、次の数学は諦めてくれ」

 「ど~ゆ~ことだ!」


 夕食後、冬路の演奏と引き換えに数学を見てやるという話をすると、一人仲間はずれにされた夏樹はご立腹で冬路に掴み掛かりそうになる。



 「俺は数学と引き換えにフルートを差し出したんだ。お前、何も差し出すものないだろう?」

 「大げさな。別にいいじゃん勉強見てもらうくらい交換条件なんかつけなくたって!」

 「親しき仲にも礼儀ありだ」



 必死になる夏樹が面白くてつい、からかうことを言うと標的を私に移したらしい夏樹はそれでも冬路の服を放さずに私に向き直る。



 「なぁ、俺と明日香の仲だろ~?」

 「「どんな仲だよ!」」



 夏樹の問題発言につい、兄妹揃ってつっこんでしまった。兄と目が合うと、なんだかおかしくなって二人して小さく笑った。



 「な~、俺マジで数学ヤバイんだって~!」

 「数学なら、私が見てあげる」



 すっかり凹んだ夏樹がその場にしゃがみ込むのと、正に天の声が届いたのはほぼ同時だった。だけどまぁ、それが本当に天の声かどうかは正直微妙だけど…。



 「…マジで?ちー姉が?」

 「夏樹の数学見てたら明日香が赤点になるでしょ」



 天の声の正体である千春さんは座り込む夏樹の前で得意気に仁王立ちのポーズをとる。いつもは小さいお人形さんみたいな千春さんがそんなことをしても可愛らしいだけだけど、今日に限って少し大きめの白衣を着込みメガネまで装着しているその姿は妙に説得力があった。



 「…女教師千春…かぁ」



 ボソッと呟いた愁兄のいかがわしい本のタイトルのような言葉にも千春さんは機嫌を損ねた様子もなく、ニッコリと微笑んで夏樹に力強い言葉をかけた。



 「中学の数学なら任せて。科学もいけるし」

 「ちーはそっちが専門だからなぁ」

 「まぁね。ね、私大人っぽく見える?」



 実はこう見えて科学部に所属する程思いっきり理数系の千春さんが普段部活で使っているらしい白衣姿で子供のようにクルクルと動く度に、無造作にまとめた髪が揺れた。

 その様子を見ながら何故か、私は急に胸が痛くなって唇を噛み締めた。どうして私はこんなに彼女と違うのだろうと思った。ずっと知っていたことなのに。









 苺を好きなのは沢山の魅力を持っているから。どんな苺もどこかほんのり甘くてフレッシュなさわやかさがあるから。色々な苺が好きで、それはどんな顔になっても私を嬉しくさせるものだと思っていたから。

 彼は苺みたいにフレッシュで、爽やかな甘さがあって、その優しい顔に憧れていた。涼しい顔して毎日のようにフルートを持ち歩き、楽しそうに吹いて見せる努力家な所を尊敬していた。けれどもどんな彼も私を嬉しくさせるものじゃない。私のいやな彼もダメな彼も必ずある。

  



 「…え」



 音楽室の扉を開けて思わず驚いたのは私の方だった。そこにはいつもと変わらない様子の高村君がいて、部員達と一緒に冗談を言いながら雑談をしていた。彼は私の姿を見止めると何事も無かったようにニッコリと微笑んでみせた。



 「森下さん遅刻だよ」

 「あ…ごめん」



 

 一瞬不思議そうな顔をした部員達は途端に笑いだした。慌ててしまうのは私ばかりで、それなのにどういうわけか、この変わらない空気が嬉しかった。また私はこの空間にいることが出来ると思うとたまらなく嬉しかった。

 



 「森下さんでも慌てるんだ意外」

 「そんなに、珍しいかな?」

 「だって森下さんって超優等生な感じだし、最初なんか何話せば良いか分かんなかったしさ」

 「あー私もそれ思った」



 鈴木さんの言葉に笑いながら西村さんが同意を示した。その言葉で私ははじめて自分のつくられたイメージを知った。そんな小さなことがたまらなく嬉しかった。





 「そんなに?私だって失敗もするし、優等生なんかじゃないよ」

 「そうだよねぇ。森下さんフルートは上手いけど科学は苦手だし。この前の小テストなんか…」

 「キャー言わないで!」



 くだらない会話がとても楽しくて、それでも私はその中に高村君がいないことに気付いていた。



 「…ちょっと外の空気吸ってくる」



 何気なくを装って高村君がその場を去ったがそれは珍しいことではないので私以外、誰も来にかけることはなかった。



 止めれば良いのに、知らないふりをすれば良いのに私は彼を追って慌てて外に出た。彼はいつもの屋上にいて、一人フェンスに手を添えてその先の景色を眺めていた。そこでも懲りない私は切ない彼の背中に声をかけた。



 「あの、高村…君?」



 呼び掛けても気付いた様子は無いので恐る恐る近づいて同じようにフェンスの上から顔を出し景色を見つめた。


 「…俺、普通に出来てたかな?」

 「……え?」


 ポツリと呟く彼にすぐに返答が出来なかった。


 「普通に、見えたよ。驚いちゃった」

 「そっか。…なら良かった」

 「…どうして?」



 疑問を声にだしてしまってからはっとした。それは聞いてはいけないような気がしたのに、どうしてか高村君は最初からすごく話しやすくて、普通なら躊躇してしまうようなことも口に出すことが出来た。一方的に自分のことを話したり、話題をするのではなく、賑わっていた集団から何のためらいも無く抜け出してただ近くにいてくれる。最初から隣にいるんじゃなく、手を伸ばせば届く距離でずっと待っててくれる。高村君はそういう人。




 「…森下さんはさ、あそこ好きでしょ?」

 「うん」


 大きく頷くと、高村君は久しぶりに見せる優しい顔で笑った。


 「そこが無くなったら困るでしょ?」

 「…でも」



 今日、音楽室に入って昨日のことは全て夢だったんじゃないかとさえ思った。あの暖かな心地良い場所でずっと、彼への罪悪感を残しながらも時間と共にそれを忘れていくことを望んでいた。



 「俺、フルート吹いてる時の森下さんが一番好きなんだ」



 無邪気に笑って見せた高村君はまっすぐに私の眼を見つめていて、その眼に捉えられて彼から眼を離せなくなった。



 「だから…辞められたら困るんだけど、黙ってもられなくてついぽろっと…」

 「…ぽろっと?」



 そこまで言うと彼は照れたように笑いながら下を向いて頭をかいた。それは私の見たことのない彼なのに、妙に高村君のような気がした。


 最後まで読んで頂きありがとうございます。

ご指摘など頂ければ幸いです。

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