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いちごの酸味

 

季節じゃないくせに、今は水泳部という名の陸上部なくせして今日は珍しく夏樹は部活で帰りが遅い。少し遠くに新しく出来たという温水プールに急に部活仲間と行くことになったのだと、昼休みに嬉々として報告に来た。

向かいの家にそれを告げに行くと、愁兄は穏やかな笑顔で「夏樹も頑張るなぁ」と笑った。



 「夏樹腹空かせて帰って来るだろうな。何か、甘いものでも作ってやるか…」

 「スポーツの後だからさっぱりした物がいいのかも。フルーツケーキは?家にバナナも桃もレモンもあるし」

 「妙な色合いになるだろう」

 「私も、いちごが欲しいと思った♪」



 早くに帰った兄がリビングで腕組をしながら楽しそうに本日のおやつについて考える。その隣で千春さんが相変わらず可愛らしく柔らかな微笑みを浮かべながら自分の希望を押し通す所だった。「夏樹のためのケーキ」がもうそろそろ千春さんリクエストの「フルーツケーキ」に決定しつつあった。



 「ちー、夏樹のために作ってやるんだぞ」

 「夏樹のためなら好き嫌い克服を兼ねてプチトマト入れる?ナスもあるし」

 「嫌がらせだ」

 「夏樹…どんなリアクションすると思う?」

 「買出しに行く。今の時間だとタイムセールに行けるかもしれないから、愁に一応足りないものないか聞いて来い」



 千春さんの恐ろしい提案に慌てふためきながら兄が腰をあげた。この仏頂面の兄の表情をここまで豊かにしてくれるのは千春さんくらいだ。おじさんあばさんはおろか、両親だってこんな兄をめったに見れない。兄は昔から幼馴染の千春さんには素直だ。

妙に所帯染みた兄のセリフにガッカリしながら私は自分の言い渡されるであろう役目を理解して二階の双子の部屋にそれを言い渡しに行く。

    



 夏樹が帰ってきたのは、我が家で兄と千春さんの共同制作が終盤にかかる頃、姉の提案を律儀に受け継いだ順応な弟冬路と私がこちらの家で作った夏樹の嫌いなナスをメインにした本日の夕食がテーブルに並べられた頃だった。母とおじさんおばさんの分をそっと小分けにした料理をキッチンの隅でラップをかけると「ちー姉のより美味そうだ」と笑った。無駄な努力になりそうだが、夏樹の嫌いなナスは二人で知恵を搾り出して隠した。




 「今日は明日香が飯当番?」 



 帰ってくるなり嗅覚を働かせる夏樹は見事に汗だくだったので、先に風呂に入るように言った。自転車でプールまで飛ばし、プールで泳いだ後は再び今度はそこから家までの道のりを自転車で飛ばして帰ってこなければならない。その上、帰りには心臓破りの坂を上る。気が競っている夏樹は絶対にその坂を立ち乗りでまでいち早く家に着こうとするから、汗をかかないはずがない。



 「あと俺。頑張って作った。部活頑張った夏樹のために」

 「ゲッ!お前何かへんなもん入れただろ?」

 「冬路!ばらすなって言っただろう!」

 「こら夏樹、いつまでも玄関先で騒いでないで唯兄とちー姉呼んで来い」



 それなのにいつまでも汗を吸ったジャージで騒ぐものだから愁兄にまで怒られて、ふてくされながら風呂に向かう夏樹を冬路と笑って見送った。

 やはり、いたるところに隠したナスたちはあっさり夏樹に発見されてしまい、私と冬路はブーイングを食らった。その様子を見た千春さんに箸を止めないまま杏子さんそっくりの口調で「好き嫌いは駄目よ」と言われ、兄弟達から次々に激励の言葉が飛ぶ。



 「腹減ってるんだろう?」

「飯、食えよ」

 「…拷問だ」



 ポツリとつぶやく夏樹に思わず笑って私も兄弟に従って手を貸す気がないことを示した。



 「夏樹、もう諦めろ」


 食卓には私達の自信作が並んでいる。ナスのグラタンにナスとオニオンのスープにナスのサラダ。まさにナス尽くしだ。



 「ほら、さっさと食べちまえ。食べ終わったらケーキがあるぞ」

 「マジで?唯兄は味方だって信じてた♪」

 「ケーキに、ナスを入れようかも相談したの。でもそれは、ちょっと可哀想で」



 千春さんの問題発言に夏樹だけではなく、その場にいた全員がひっそり胸をなでおろす。言葉にしなくとも、心は一つだ。



 「それで、いちごの酸味のフルーツケーキにしたの」




 兄がケーキをエサになんとか夏樹は夕食を平らげさせられる。今日のフルーツケーキは千春さんが言ったようにバナナやりんごと違って、いちごだけは酸味がきいていた。皆甘いのに、いちごも甘いはずなのに、酸っぱかった。それが妙に、胸に染みていった。









 知っているのは赤い苺。苺といえば、赤!みたいな定義が出来るほど、皆々赤い苺しか知らない。赤い苺しか、苺じゃないと思っている。

 赤い苺の葉に隠れて、苺にも白いヶ所がある。だって最初の苺は緑色だったから。緑の苺も白い苺も皆食べたことが無い。だから分からない。だけど、きっと赤じゃない苺はすごく酸っぱい。

 ショートケーキの中に入った苺より、もっと酸っぱい。



 

 音楽室のベランダに出て校庭を見下ろしていると、仲良く自転車にまたがる男女の姿を見かけた。よく見ると女子の方は以前高村君にノートを借りに来ていた姫宮さんで、男子の方は高村君の双子の兄弟だった。けんかしながらじゃれあっている姿は遠目から見てもなんだか可愛らしくてつい微笑んでしまう。やはり一卵性の彼等は室内でフルートを奏でる高村君がいなければ見分けがつけられない。彼女といるときのその人は優しい雰囲気をまとっていて、それが教室で彼女と話していた時の高村君とそっくりだった。擦れ違いざまに私が見たあの目からは想像も出来なくてつい見入ってしまった。




 「あはは、冬路どうしたの?なんか超雑音っぽい音!」

 「…うるさい」

 「ねぇ何で?マジで急にへたくそになってる!」



 甲高い笑い声で音楽室を振り返った。見るとフルートの演奏者の別のソロパートの女子生徒と高村君が練習をしている所だった。“雑音”という音はあいにくベランダで浸っていた私には聞こえなかった。けれども、最近ぐんぐんと腕を上げていた高村君が“雑音”を聴かせるはずがない。慌てて彼等の元に行き、彼の音を聞かせてもらおうと思った。



 「鈴木さん、高村君、雑音ってなに?」

 「それが冬路ときたら急に下手くそになってんの。マジうける!」

 「鈴木の聞き間違いだろ」



 両手を叩いて笑う同じフルートの鈴木さんにムッとした高村君が言い返すが、鈴木さんには聞こえていない。



 「高村君最近すごく上手になってきたのに。さっきのもう一度聞かせてくれない?」

 「そうだよ冬路、森下さんに聴いてもらえば間違いないじゃん。私西村達んとこで合わせてくるから」



 気を使って席を外してくれた鈴木さんにお礼を言って私は高村君に向き直ると、彼はムスッとした顔のままでそっぽを向いた。



 「悪いけど、今日は森下さんの前で吹く気ないから」



 最近起伏が激しい高村君の言葉に驚いたが、機嫌の悪い彼をどうにかなだめて半端強引に屋上に連れ出した。




 「高村君、そんなに落ち込まないでいいよ。調子の悪い日なんて誰にでもあるし、最近の高村君すごい上手になったし、ちょっと足踏みしたって大丈夫。皆色々言うかもしれないけど…音楽、フルートを好きだって気持ちがあれば、怖くなんかないよ」



 ここで聴く高村君のフルートが私は一番好きだった。だるそうにフルートを片手に持ちふてくされながら空を見つめた高村君は私の言葉なんか聞こえてないみたいだった。



 高校から全くの素人でフルートを始めた高村君の上達ぶりを本当にすごいと思い、尊敬している。だからここでつまずくことがあったとしても、それでも彼はきっとそれを乗り越えてあの味わい深い演奏をしてくれると思っている。そう信じていたから、彼を慰めようとした。入部当初からずっと練習に付き合っていた私は彼の努力を知っている。

私を振り返らないままでぼそっと呟いた声は沈んでいるみたいだった。



 「こんな演奏、森下さんには聞かせられない」

 「…ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ…」



 私の言葉は彼を追い詰めてしまった気がして暗い顔をして俯く彼に慌てた。



 「気分が乗らないときだって、あるもんね?」

 「そうじゃなくて、森下さんだから聞いて欲しくない」



 振り返って私を見た高村君は苛立ちを隠すように激しい目をしたが、やがて何かを諦めた大きな溜息をついた。



 「今まで黙ってたけど、俺音楽そこまで好きじゃないし、フルートもクラリネットも、興味ないんだ」

 「…じゃあ、どうしてフルートを?」



 突然の言葉に立っているのが困難な程の衝撃を受けて目の前が真っ暗になった。ウソだと、言って欲しかった。いつものようにふざけて「冗談だ」と言って欲しかった。そうしたら私は脱力しながら笑って文句を言えるのに。それからいつものようにここで彼のフルートの音色が聞けるのに。とても澄んで、柔らかな音色。のびのびとして、だけど繊細で優しい音色。彼のフルートが一番綺麗に聞こえるこの屋上で、彼は信じられない言葉を口にした。そしてそれはウソじゃない。それは何より、私をまっすぐに見つめる彼の瞳が証明していた。




 「森下さんがフルートしてたから。森下さんを好きだから。だから、森下さんが一番嫌いな理由で、フルートしてた」


 最後まで読んで頂いてありがとうございます。

ご指摘など頂けたら幸いです。

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