↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

毛根シネマティック・ユニバース(MCU)~秘密結社事件記録~

毛根を破壊する者達~とある戦士の日常~ (Mr.Morita incident)

作者: kawauso2017
掲載日:2026/11/03

 朝、剃田(そりた)の一日は、着替えから始まる。


 白衣を脱いで、ロッカーに掛ける。


 代わりに、黒い服に袖を通す。


 研究室にいるときは白。


 外に出るときは黒。


 それが、結社の決まりだった。


 黒い服は、路地裏の暗がりによく溶ける。


 鏡の前で、襟を整える。


 自分の髪は、短く刈り込んである。


 長すぎず、短すぎず。


 目立たないことが、何よりも大事だった。


 ここでは、剃田という名前は使わない。


 仕事上の名前は、別にある。


 イレイザー。


 消す者。


     ◇


 次に、装備の確認をする。


 腰の袋を開ける。


 中には、直径二センチほどの黒い球が並んでいる。


 毛根破壊玉。


 接触した瞬間、周囲十五センチ以内の毛包を、完全に不活性化させる。


 再生剤は、効かない。


 再構築治療も、効かない。


 ただし、本物は、まだ貴重だった。


 一つ作るのに、時間も、金も、かかる。


 だから、袋の中の大半は、ダミーだった。


 見た目は、本物と同じ。


 当たれば、ちゃんと砕ける。


 ただ、毛根には、何もしない。


 剃田は、本物とダミーを、指で分けて数えた。


 数は、合っていた。


 最後に、ヘッドセットを耳に掛ける。


 耳の後ろに沿う、細い一本の弧。


 骨に直接、声を伝える型だった。


 喉元には、米粒ほどのマイクが貼りついている。


 囁くような声でも、本部には届く。


 軽く指で触れると、視界の端に、小さな文字が浮かんだ。


 『通信良好』


 『コード:イレイザー』


 『本日の担当:張り紙地区・第七セクター』


 張り紙地区は、街のあちこちにある。


 どの地区にも、番号が振られている。


 剃田は、小さくうなずいた。


     ◇


 壁には、規則が貼られている。


 毎朝、目を通すことになっていた。


 一、投擲前には、必ず「目標確認」と発声すること。


 一、使用する本物の玉は、一人につき一発とすること。


 一、標的が希望する部位以外に、着弾させないこと。


 一、こちらから標的に、みだりに声をかけないこと。


 剃田は、三つ目の項目を、しばらく見つめた。


 当たり前のことだった。


 当たり前のことほど、守るのが難しい。


 剃田は、それをまだ、本当には知らなかった。


     ◇


 昼間の仕事は、地味だった。


 殻の厚みを測る。


 投擲の練習をする。


 もちろん、ダミーで。


 十二メートル先の的に、何度も投げる。


 ぺち。


 ぺち。


 ぺち。


 的の真ん中に、黒い殻が散らばっていく。


 悪くない。


 腕は、鈍っていなかった。


     ◇


 夕方。


 剃田は、第七セクターの巡回に出ていた。


 どこかの換気扇が、低く回っている。


 夏の夕方は長い。


 暑さが、黒い服の中に、じっとりとこもる。


 そのとき、耳の後ろで、骨が震えた。


 『バリカン・ゼロより、各員へ』


 本部の声だった。


 『路地裏、張り紙地区・第七セクター、Bポイントで、現在フサフサの元禿チャンピオンが被験者に名乗りを上げている!』


 剃田は、足を止めた。


 『近くの者は急行せよ!』


 視界の端に、地図が浮かんだ。


 Bポイント。


 シャッターの下りた酒屋の脇。


 掲示板のある場所だった。


 ここから、走れば数分。


 現在フサフサの元禿チャンピオン。


 剃田は、その言葉を頭の中で繰り返した。


 ニュースで見た顔が浮かんだ。


 未明の路地で、何者かに再生剤を噴霧された男。


 スキンヘッド大会の、元チャンピオン。


 希望の部位は、聞くまでもない。


 頭だ。本当は毛根破壊玉より剃りを入れたかった。しかし、今回は仕事だ。


 剃田は、決意し走り出した。


     ◇


 酒屋の裏手には、細い路地が伸びている。


 剃田は、表通りを避け、路地の奥から回り込んだ。


 息を整える。


 暗がりの中から、そっと覗く。


 掲示板の前に、男が一人、立っていた。


 五十代の後半くらいだろうか。


 頭は、きれいに剃り上げられていた。悔しかった。私以上の技術力である。


 磨き上げられた頭が、夕日を受けて、橙色に光っている。


 フサフサでは、なかった。


 だが、耳の上に、うっすらと影があった。


 剃っても、剃っても、生えてくる影だ。


 男は、辺りを見回していた。


 顔が、何度も、こちらを向いた。


 剃田は、指先の球を、握り直した。


 今、投げれば、頭に当たるかもしれない。


 だが、顔に当たるかもしれない。


 十五センチ。


 頭を狙って、額に当たれば、眉が消える。


 鼻に当たれば、鼻毛が消える。


 この男が欲しいのは、頭だけだ。


 剃田は、投げなかった。


 背中を向けてもらえれば、話は早い。


 「すみません、後ろを向いていただけますか」


 そう言えれば、どれだけ楽だろう。


 だが、規則がある。


 こちらから、みだりに声をかけてはならない。


 剃田は、待った。


 日が沈んでいく。


 空の色が、橙から紫へ、紫から紺へ変わった。


 街灯が、ぽつりと一つ灯る。


 蚊が、剃田の首のまわりを飛んだ。


 叩けない。


 音が出る。


 剃田は、首筋を刺されながら、動かなかった。


 男のほうも、首を叩いていた。


 男の頭には、蚊は寄りつかなかった。


 十分が過ぎた。


 二十分が過ぎた。


 三十分が過ぎた。


 やがて、男が、動いた。


 路地の入口に立つ。


 そして、こちらへ、背を向けた。


 背筋を伸ばす。


 顎を引く。


 頭を、少しだけ前へ傾ける。


 磨き上げた頭頂部が、街灯の光を受けて、まっすぐに光った。


 剃田は、思わず、息をのんだ。


 見事な姿勢だった。


 差し出された、頭だった。


 男は、息を吸った。


 そして、叫んだ。


 「頭に当てろやー!」


 声が、路地の奥の剃田の胸まで、まっすぐに届いた。


 やはり、頭だった。


 剃田は、腰の袋から、本物を一つ、取り出した。


 喉元のマイクに、小さく告げる。


 「イレイザーより、本部・バリカン・ゼロへ。標的発見しました。これより、サンプル採取活動に入ります」


 『了解』


 骨が、短く震えた。


 距離、十二メートル。


 剃田は、腕を振りかぶった。


 そして、規則どおりに、口を開いた。


 規則で許された、ただ一つの声だった。


 「目標確認」


 男が、振り返った。


 「え、もう?」


 剃田の腕は、もう、止まらなかった。


 球は、小さく弧を描いた。


 ぺち。


 男の顔の、真ん中だった。




 鼻の頭だった。




     ◇


 静寂が、路地を満たした。


 剃田は、投げた姿勢のまま、固まっていた。


 十五センチ。


 鼻の頭から、十五センチ。


 頭の中で、勝手に円が描かれていく。


 鼻の中。


 鼻の下。


 眉。


 まぶた。


 円の中に、頭頂部は、入っていなかった。


 やがて、剃田は、ゆっくり腕を下ろした。


 「あの」


 小声で言った。


 「振り向かれると、困るのですが」


 「頭に当てろ、と言いました」


 「はい。ですので、背を向けていただいていた、のですが」


 「声が聞こえたので、振り返りました」


 「目標確認の声は、規則でして」


 男は、目をしばたいた。


 それから、携帯端末の画面を鏡にして、自分の顔を見た。


 額の下に、眉毛がなかった。


 男は、数秒間、動かなかった。


 「私は、頭と言った。顔とは、言っていない」


 「はい。申し訳ありません」


 「眉毛は、頼んでいない」


 「はい」


 「鼻毛も、頼んでいない」


 「はい」


 「四十年、守ってきたのは、頭だ。眉毛は、守っていない」


 「それは、そうなのですが、眉毛も、結果的には」


 「結果的に、とは、何だ」


 男の声が、路地に響いた。


 剃田は、何も言えなかった。


 男は、怒っていた。


 怒って、怒って、それから、膝から崩れた。


 「私は」


 声が、震えていた。


 「ただ、頭を、取り戻したかっただけなのに」


 剃田は、何も言わなかった。


 言える言葉が、一つもなかった。


 男の肩が、小刻みに震えている。


 眉のない顔で、男は、地面を見つめていた。


     ◇


 長い、沈黙があった。


 剃田は、喉元のマイクに、指を当てた。


 ほとんど、息だけの声で告げる。


 「イレイザーより、本部・バリカン・ゼロへ。被害報告」


 『どうぞ』


 「頭皮への着弾希望でしたが、思わぬ事故にあい、顔面喪失……」


 『……顔面?』


 「破壊箇所、鼻毛、眉毛、まつ毛等、顔面全体に及びましたが、その他は被害軽微」


 耳の後ろが、しばらく、震えなかった。


 『……了解』


 剃田は、腰の袋に、手を入れた。


 本物は、一人につき、一発。


 だが、規則には、続きがあった。


 上級研究員の判断がある場合は、この限りではない。


 剃田は、上級研究員だった。


 「上級研究員権限により、毛根破壊玉の追加使用を申請する」


 『……了解。任せる』


 剃田は、本物を、もう一つ取り出した。


 それから、ダミーを、三つ。


 頭頂部に本物を一発当てれば、十五センチの円が、頭のほとんどを覆う。


 残りの三発は、毛根には何もしない。


 それでも、この男には、一発ずつ、確かめてほしかった。


 一歩、男に近づく。


 「あの」


 男は、顔を上げなかった。


 「少し、お待ちください」


 剃田は、球をつまんだ。


 「本来は、一人につき、一発の予定なのですが」


 言いながら、自分の声が、少しだけ揺れているのがわかった。


 「この状態でお帰りいただくのは、さすがに、私としても」


 その先は、言葉にならなかった。


 「頭のほうは、確実に仕上げます。お立ちいただけますか」


 男は、ゆっくり、立ち上がった。


 涙を拭いた。


 そして、背を向けた。


 背筋を伸ばした。


 顎を引いた。


 磨き上げた頭を、静かに差し出した。


 さっきと、同じ姿勢だった。


 ただ、眉毛は、なかった。


 「お願いします」


 「かしこまりました」


 剃田は、三歩下がった。


 今度は、外さない。


 ぺち。


 頭頂部。本物。


 「次、いきます」


 ぺち。


 後頭部。ダミー。


 ぺち。


 左の耳の上。ダミー。


 ぺち。


 右の耳の上。ダミー。


 耳の上の影も、もう、二度と生えてこない。


 「以上です」


 剃田は、深く頭を下げた。


 「ご協力、感謝いたします」


 男は、振り返らなかった。


 歩きかけて、足を止めた。


 「一つ、聞いてもよろしいか」


 「お答えできる範囲であれば」


 「これは、永久か」


 剃田は、少し考えた。


 嘘は、つきたくなかった。


 「現状では、再生できません」


 「再生剤でも」


 「効きません」


 「再構築治療でも」


 「効きません」


 男は、うなずいた。


 「それなら、いい」


 「ありがとうございました」


 それだけ言って、男は、路地を出ていった。


 足元には、黒い殻が、いくつも散らばっていた。


 本物の殻も、ダミーの殻も、見分けはつかない。


 剃田は、それを、一つずつ拾った。


     ◇


 「イレイザーより、本部・バリカン・ゼロへ」


 『どうぞ』


 「上級研究員権限で、複数玉、使用しました」


 『本物は、何発だ』


 「顔面の一発と、頭頂の一発。計二発です。残りの三発は、ダミーです」


 『……そうか』


 「無事、目的の頭髪を破壊完了」


 『了解』


 「残念ながら、今回は、予定外の場所に着弾被害を起こしました」


 骨の奥で、研究員Aが、長く息を吐く音がした。


 『……報告書は、明日でいい』


 剃田は、路地の出口を見た。


 男の背中は、まだ、通りの先に小さく見えていた。


 眉のない顔で、あの男は、家に帰る。


 明日の朝も、鏡の前に立つ。


 剃田は、喉元のマイクに、もう一度、指を当てた。


 「これより、作戦σに移ります」


 『……σ?』


 「はい」


 『わかった。好きにしろ』


 通信が、切れた。




     ◇


 剃田は、男の後を、距離を取って歩いた。


 十二メートル。


 いつもの距離だった。


 男は、ゆっくりと歩いていた。


 歩きながら、手帳を一枚、破った。


 ペンを走らせる。


 やがて、男は、一軒の家に入っていった。


 玄関の明かりが灯る。


 しばらくして、奥の窓にも、明かりが灯った。


 洗面所の窓だろうか。


 剃田は、門の前に立った。


 門柱に、郵便受けがあった。


 「イレイザーより、本部・バリカン・ゼロへ」


 『どうぞ』


 「目標宅の郵便受けに到着。これより、作戦遂行します」


 『……了解』


 剃田は、手帳の紙を、もう一度だけ見た。


 『鼻毛・眉毛カツラ 開発被験者募集』


 それだけだった。


 剃田は、紙を二つに折った。


 郵便受けの口を、指で押し上げる。


 かたん。


 小さな音がした。


 窓の向こうで、誰かが、くしゃみをした。


 大きなくしゃみだった。


 剃田は、門の前で、深く頭を下げた。


 誰にも、見られていなかった。


     ◇


 帰り道。


 夜の住宅街は、静かだった。


 剃田は、喉元のマイクに、指を当てた。


 「イレイザーより、本部・バリカン・ゼロへ」


 『どうぞ』


 「無事、任務完了。カツラチラシ、投函済み」


 『……そうか』


 「本日の業務、完了します」


 『ご苦労だった』


 「以後、直帰します」


 ヘッドセットを、耳から外した。


 視界の端の文字が、すっと消えた。


 イレイザーの一日は、ここで終わる。


 ここから先は、剃田の時間だった。


     ◇


 「ただいま」


 玄関を開けると、台所から、味噌汁の匂いがした。


 「おかえりなさい。遅かったわね」


 妻が、鍋の前から振り返った。


 「ちょっと、残業でね」


 「ごはん、できてるわよ」


 居間から、小さな足音が駆けてきた。


 「おかえり、パパ!」


 娘だった。


 剃田は、しゃがんで、娘の頭を撫でた。


 柔らかい髪が、指の間をすべった。


 食卓には、三人分の茶碗が並んでいた。


 「いただきます」


 三人の声が、そろった。


 娘が、今日あったことを、次から次へと話した。


 剃田は、うなずきながら、聞いていた。


 娘が笑うと、眉が、くっと上がった。


 困った顔をすると、眉が、八の字に下がった。


 剃田は、箸を止めて、娘の顔を見た。


 「パパ、どうしたの?」


 「いや」


 「眉毛、ちゃんとあるなと思って」


 「え、なにそれ」


 娘は、けらけらと笑った。


 妻も、つられて笑った。


 「変なパパ」


 「そうだな」


 剃田も、笑った。


 笑いながら、首筋をかいた。


 蚊に刺されたところが、今になって、かゆくなってきた。




 窓の外では、夏の夜が、静かに更けていった。


毛根シネマティック・ユニバース(MCU)~集う男達~ coming soon

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。