伸びる音
俺は九州の工業高校を卒業して、東京へと上京した。工場で働く会社員だ。名前は山本裕二。以後、お見知りおきを。
まあ、会社員といいつつ、巷でブルカラーと言われている作業着を着て、機械設備のオペレーターをやっている。スーツを着るような皆が思い描くサラリーマンとは程遠く、いつもカジュアルな格好で出社している。
社会の歯車としてせっせと働くのは重要なポジションだし、苦労もあるが、出来上がった製品を見ると達成感もある。
……だが、製品を作っても給料は上がらねえわ、ボーナスも雀の涙で、どうやって生きろって話だよ。最近の東京は物価が軒並み上がって、家賃すらまともに払えない奴がごまんといるらしい。
俺は一応工場の寮に住んでいるんだが、その辺はいいとは思える。寮というだけあって、噂というものは伝染しやすく、最近、妙な噂が流れていた。
それは、夜の工場で誰もいない倉庫の備品部屋からカチャカチャと音がするというのだ。だが、部屋へ行っても誰も居らず、電気だけが煌々とついているという噂だ。
ある日の夜、仕事を終えて大好きな二郎系ラーメンを食べ、寮へ帰る道中、同期の瀬戸と遭遇した。
「おいっす、なんばしよっと?」
そう言ってきたのは、同じ九州出身の瀬戸だ。こいつは東京に馴染めていないのか、我が強いのか、訛りが全然矯正されていない。仕事もマイペースなお気楽な奴だと思っている。
「よう!瀬戸ッチ、久しぶりー。ちょっとラーメン食ってきてさ」
俺は瀬戸と同じテンションで応える。これが俺なりのマナーって奴だ。研修グループのよしみだし、隣の部屋ということもあって腐れ縁みたいなものだ。
「おー、おいのぶんも頂戴」
「いや、ねえよ」
「ふーん、そうね、まぁよかけど。じゃ、おいはもう行くけん」
「そっか、夜勤やもんなー、おつ!」
「あー、そがんことばっか、はあ……んじゃ!」
何気ない会話を終え、俺は寮に戻った。シャワーを浴びて着替え、一息ついたとき、ふと工場へ戻った瀬戸を茶化したくなった。
スマホで『今日の夜、お前の背後に……』と打ち、髪が長い女のスタンプを送信する。すぐに既読がつき、『おい、やめとけ、ちびるだろ』と返ってきた。
(こいつ、今、就業時間中だぞ。しかもフォークリフト運転してんじゃねえのかよ)
俺は瀬戸からの返信に笑い転げた。何度かやり取りをした後、深い眠りに就いた。
翌朝、工場へ行くと、何やら噂が広がっていた。
「おはようございます。どうしたんすか、森先輩?」
「あ、おはよう。いやあ、最近パワハラをしてる奴がいるって話をしててさ。犯人探しなんてしたくないけど、皆で噂してたんだよ」
「え?そうなんすか。パワハラか、僕は聞いたことないっすね」
「そ、そうだよね。いやあ、山本君も知らないのか。まあ、噂だから気にしても仕方ないんだけどね。何かあったら教えてよ」
「あ、はい、分かりました」
(パワハラか……噂が尾ひれつくこともあるし、受けた側が過剰に思っているだけかもしれないしな)
その時の俺は、何も知らなかった。そして、寮に帰る頃、夜勤のシフトに就く前の瀬戸と会った。
「おいっす!瀬戸ッチ、夜勤がんばー」
「……よか、もうよかって……」
瀬戸はそう言って、足早に走り去った。
(え?なに……?)
俺は呆然と立ち尽くした。いつも温厚な瀬戸が静かに怒っていたことが、胸に突き刺さる。動揺したが、そう言う時もあるかと自分に言い聞かせ、寮へ戻った。
翌日の早朝から仕事のため床に就いたが、瀬戸のことが頭を離れない。ようやくまどろみ始めたその時だった。
――カチャ……カチャン……ミシミシっ
隣の部屋から、やけに規則的で不可解な音が聞こえた。瀬戸が帰ってきた音のようにも聞こえるが、いつもの鍵の音ではないような気がした。
罪悪感から、謝ろうと隣の部屋へ向かった。
コンコンーー
「瀬戸ッチ?開けてくれ」
反応はない。ドアノブを捻ると、案の定開いていた。
そして、その先の光景に俺は固まった。
――カチャ……ミシっ……カチャン
振り子のように、宙でゆらりと揺れている瀬戸がいた。天井の梁に金具とワイヤーロープが固定され、床には蹴り倒された衣装ケースが転がっている。首が伸び、ミチミチと不気味な音を立てて揺れるたびに、彼がこちらを見ているように感じた。顔は青ざめ、目は充血し、口からは白い唾液が垂れていた。
「わああああああああ!!!」
俺は絶叫し、その場から後ずさる。混乱して名前を呼んだが、彼はもう冷たかった。
騒ぎを聞きつけた人が駆けつけ、救急と警察へ連絡がなされた。
次の日、警察から事情聴取があったが、そんなに日が経ってないのに、根も歯もない事を聞かれたりして、どっと疲れてしまった。
それからというもの、俺は放心状態が続いた。唯一の救いは、交代勤務で仕事をなんとかこなせていたことだ。だが、気づいてしまった。彼が常日頃から暴力を受けていた事実に。
俺が憔悴しきっている中、唯一俺を罵ったのは森先輩だった。
「使えないゴミだな」
ボソリと耳打ちされた言葉が、俺を追い詰める。
夜勤の日、瀬戸にちゃんと向き合わなかった自分を責め続けていた時、またあの音が聞こえた。
カチャ、カチャん。
俺は備品棚からワイヤーと金具を盗み、自室へと戻った。あの日の瀬戸のように。
瀬戸と同じように天井を工作し、ワイヤーの輪に首を掛け、ケースに上ってジャンプした。
――カチャン!ミチミチ
視界が赤く染まる。そこに瀬戸が見えた気がした。笑っているのか?
――バキん!
金具が木材から引き剥がされる大きな音が響いた。取り付けが甘かったらしい。それは、瀬戸が「死ぬな」と言ってくれているように思えた。
天井を見上げ、自分が生きていることに気がついた俺は、大笑いした。
「ははははははっ、はあ……」
すべてを上司に打ち明けた。実は部内でも森先輩のパワハラは問題視されており、瀬戸の遺体に見られた痣や証言の一致により、森先輩を懲戒処分にする方向へ事態は動いた。森先輩の実力が邪魔をして誰も手を出せなかったらしいが、一人の尊い犠牲によって、ようやくそのクソ野郎を罰することができたというわけだ。
自殺未遂までしたが、もうそんなことはしない。あんな嫌な音は、二度と聞きたくないからな……
そうして、俺は遠目に工場から見える窓から、寮の部屋を見つめた。
※首吊りした人の多くは、その後1年以内に同じ方法で自殺に成功する確率90%と言われている。
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