第3話 ぼくの家族
それからさらに2週間ほどたったある日の夕方。
お母さんが料理する音と、お鍋から上がる湯気、そしてリアムが絵本のページをめくる音。
そこには、温かく静かな時間が流れていた。
「リアム、そろそろお父さんが帰ってくるわよ。机の上を片付けましょう」
「……んーー」
お母さんの声に、絵本に夢中のリアムが気の抜けた生返事を返す。
めずらしく夕暮れ時に目を覚ましたミカは、さっそく小さな手をぱたぱた、足をけりけり。
「……あー……」
(も~全然動けない! これじゃいつ周りを探検できるようになるの…)
日々の鍛錬を頑張ってる僕だけど、赤ちゃんの体はなかなか自由が利かないし、すぐに疲れて眠くなってしまうのだ。
(早く自由に動き回りたいのに―)
溜息をつきたい気持ちで手足を動かしていると、食卓で本を広げていたリアムがミカの動きに気づいてベッドに近づいてきた。
「ミカくん! 起きてたの?」
指先でそっとミカの小さな手に触れる。
ミカは手足をさらに動かして、返事をするように声をあげた。
「あー!」
(起きてるよー!)
すると台所のお母さんが鍋をかき回す手を止め、笑顔で振り返って二人に声をかけた。
「あら、ミカも起きたのね。リアム、お片付けは済んだ?」
そのとき、玄関から重い足音が響いた。
「ただいまー!」
「あっ! お父さん! おかえりなさい!!」
お父さんが外仕事から帰ってきたのだ。
「ただいまリアム! 良い子にしてたか?」
しっぽを振る子犬のように飛びつくリアム。だが、お父さんがリアムの頭に伸ばしかけた手が止まった。
ベッドの上でぱっちりミカと視線が合い、その顔がぱっと明るくなる。
「おお、目を開けてるじゃないか!!」
大きな声にびくっとしたが、それも許してあげよう。
なんせお父さんは、生後約1ヶ月目にして、ようやくミカの「起きている姿」に立ち会えたのだ。
「待って! あなた、まず手を洗ってちょうだい!!」
お母さんの慌てた声にはっと停止したお父さんは、視線をミカに向けたまま、いそいそと手を洗いに行ったのだった。
戻ってきたお父さんは、そっとミカを抱き上げ、その顔を覗き込む。
「おお、ミカ! ミカ、お父さんだよ!」
「なんて黒目がちな美しい目だ。こいつは将来、美男子になるぞー!」
にこにこと親バカ全開で話しかけるお父さんに、じーっと観察を続けていたミカは「あー!」と抗議の声をあげた。
(ちょっと! 赤ちゃんに向かって美男子って……)
(もー…ハードル上げないでよね)
ちなみに、お父さんが起きているミカに会うのが初めてなら、当然ミカがお父さんの顔を見るのもこれが初めてだ。
(お父さん、でっかい! 熊みたい!)
大きな父の腕の中には、優しいお母さんとはまた違う安心感がある。
そこへ、慌てたようなリアムの声が重なった。
「お父さん! リアムは? リアムは!?」
必死に服の裾を引っ張るリアムに、お父さんは「わはは、もちろんだ!」と、空いた手でその頭をくしゃくしゃに撫でた。
「リアムも眉毛がりりしい、かっこいい男の子になるぞ!」
お父さんに褒められ、さっきまでの焼きもちが嘘のように誇らしげな顔をするリアム。よく見ると、ちょっとほっぺたが赤くなっている。
「……あー」
(リアム、かわいいなぁ)
おおよそ赤ちゃんの感想ではないが、ミカは本気でそう思った。
お父さんがおどけたように、リアムにミカを紹介する。
「ほらリアムお兄ちゃん、ミカくんだよー」
「もう! とっくに知ってるもんねー!」
「あー!」(ねー!)
ミカが応えると、リアムはもっと嬉しそうに、ミカの柔らかい頬を指先でつついた。
この時のミカは、まだ知らなかった。
この眩しいほどの笑顔が、たった1年で静かな仮面の奥に隠れてしまうなんて。
家族みんなに見守られ、幸せを感じていたミカ。
リアムの肩の上で、以前見かけた「小さな光」がゆらりと揺れた気がしたが、赤ちゃんの悲しさ。
温かい腕の中で、ミカはそのまま、うとうとと眠りに落ちてしまったのだった。




