【2-22】精霊王返還「閉じよ、門」
暗雲立ち込める空。深紅に輝く門のすぐ隣に、新緑に輝く門が召喚された。
それは風の精霊王。鋭い風を率いて現れたその門は、顔を背けたくなる程の熱風をロミエたちがいる広場まで届ける。
幻惑や夢だとかじゃない。この気配──魔力は、間違いなく精霊王のものだ。
(2つ目の精霊王召喚っ。ど、どうやって……っ!? は、早く対処を……でっでも、ショルさんが……ショルさんの氷をどうにかしないとっ。で、でも、空間が耐えられなくなっちゃうしぃぃ……)
ロミエの背中に冷たい汗が伝った。そうこうしている間に、顕現した緑の門が開き始める。
開かれた扉の隙間から流れ漏れてくる力の片鱗ですら、強い突風となってロミエの灰色の髪を突き抜けた。
(──ショルトメルニーャかこの世界、どちらを優先する?)
──ショルさんを助けないと!
──ダメ、世界が壊れたら元も子もない。
──でっでも、ショルさんはともだちで、早く助けないと死んじゃう……!
──再生魔法を使えばいい。死ぬ前に傷を塞げば助かる。
──そう、だけど……痛いし、早く助けてあげないと……
──痛いのは我慢できるでしょ。それに、たかが1人の人間よりも優先することがある。
──……で、も……ショルさんは、ショルさんが……。
──この世界が壊れたら、一人の人間どころか世界全体が危ない。だから、答えは明白。
──でも…………でも……。
──合理的に考えなさい。
(……………………世界は、壊れたら直せない。ヒトは、再生魔法で治癒できる)
その選択はあまりにも残酷だ──そう訴える心を、ニヒリアは閉ざす。スッと目を鋭くし、門を睨んだ。
既に開かれていた火の精霊王は健在で、なおも業火の槍を学園に落としている。そこに風の精霊王まで加わると、いよいよその威力に空間が耐えられなくなってしまうだろう。
もし空間が崩壊してしまったら、それこそ学園を包む程の大規模な亀裂……いや、この次元に穴が空いてしまう。
そこから出てくる悪魔の大軍は、この街どころか王都を──果てはこの世界を飲み込み占領する。
「……させない」
顔を上げたロミエの瞳に迷いや憂いはない。
とうやら、心の内で葛藤している間に周囲の人々は逃げてしまったようだ。いつの間にか、エルベンスの姿もなくなっている。
(逃げられた……でも、丁度いい)
お陰で誤魔化す必要が無くなった。
いまこの広場にはショルトメルニーャしかいない。彼女自身、自分の体内に突き刺さる氷の激痛でそれどころじゃないだろう。
2つ目の門が開き始めたことにより、空間の魔素の乱れも加速する。同時に、ショルトメルニーャが悲鳴を上げたが、ロミエはそれを黙殺する。
チクチクと痛む胸に上がりかけた左手を抑え、ニヒリアは右手を掲げて唱えた。
『我が名はニヒリア。この世界の管理者権限を執行。要件、〈世界の本〉を召喚』
開かれた窓より召喚された〈世界の本〉。
青く発光するそれを手に取って、開いたページに幾何学模様を書いていく。
一つ目の式が完成すると、開かれたページに右手をかざし、同時に魔素を操った。
そして、精霊王に《《命令》》する。
『火の精霊王イグニシア、風の精霊王シルウァーヌスに告ぐ。創世神ニヒリアの名の下に、閉じよ、門』
――――――――――
人にはそれぞれ得意属性がある。
魔力の波長が合う属性は容易に使え、逆に相反する属性の魔術は全く使えない──という人も少なくない。
〈精霊王召喚〉もその例に漏れず、得意属性に則った門しか開けないのが理。そもそも、召喚すること自体限られた人間にしか出来ないのだ。
しかし、それを覆した人物がいる。
その人物の名は〈深紅の魔術師〉ルディアス・リース。
シュヴァルツェン王朝出身の彼は〈火〉と〈風〉の二つに適正を持った、極めて珍しい存在だ。それに加えて〈王朝の守護者〉とさえ謳われるほどの魔術の才能を持ち、魔道具の補助込みではあるが、異なる精霊王召喚を2つ同時にできる逸材である。
新緑の風を巻き起こす門が開かれ、突風がルディアスの前髪をたなびかせた。
彼は唖然と目を見開いているアナスタシアに振り返ると、ニヤリと八重歯を覗かせ子供のように鼻を高くした。
「どうですどうです? 別属性の精霊王を同時召喚だなんて、他の誰にも出来ない神業です。とくとその目に焼き付けるがいい!!」
「……閉まったけど」
「……ん? 閉まった? 何が」
「いやほら、門が閉まってってるけど……」
「は?」
この小娘は何を言っている。精霊門が閉じるわけがないでしょう!
ルディアスがクルリと振り返ると、ちょうど二つの門が「バダンッ」と閉じられたところだった。
「……は??」
ルディアスはポカンと目を見開く。
〈精霊王召喚〉はまだ解いていないし、証拠に魔力は消費し続けて──次の瞬間、その繋がりが強制的に遮断された。
同時に、精霊門はそれぞれの魔法陣の中へと消えて行く。
「召喚が、閉じられた……だと?」
にわかには信じがたい光景を前にしたルディアスは、目を限界まで見開きつつも、頭だけは冷静に動かした。
(確かに精霊王の同時召喚を維持するのは難しい。失敗すると呼び出せないことは有る……が、門は召喚されてその力を顕現できていた。召喚は確実に成功していたはず。同時維持できる魔力も完璧に補えていたし、同調魔力にも揺らぎは無い……妨害されたのか、何者かに)
〈精霊王召喚〉を術者に干渉せず、他所から妨害するなんて芸当、出来るはずがない。
しかし現実として、「妨害された」としか言いようがない事象が起きたのだ。
それができる人物に――存在に、1人だけルディアスは心当たりがあった。
(カフェで見つけたあの小娘……報告にあったあの少女に妨害されたのか……?)
それは黒っぽい灰色の髪に、頼りなく落ちる緑がかった青い瞳を持った人物。白いワンピースに空色のスカートを着こなし、ハーフアップの髪留めにフリルリボンをあしらった少女だ。
「……神の仕業か」
「かみ……?」
「おや、知らないんですか? この世界の神、ニヒリアを」
「……別に、きょーみ無いし」
「貴女のお友達ですよ?」
「……?」
(ふぅむ。やはり、周知はしていないようですねぇ)
ロンド王国と言えば、神への信仰に対して特に厳しい国として周辺諸国に認知されている。
建国のルーツにもある通り、英雄を殺し欠陥だらけの世界を残した創世神を許して受け入れるなんて不可能だろう。
あの少女が神であるとしたら、その存在を秘匿するのは当たり前な事だ。
自身の存在がバレたら孤立する――そう考えるのは自然なこと……だが……。
そこまで考えて、ルディアスは「ん?」と首を捻った。
(あの神は人の感情が理解できたのか?)
ルディアスが知る〈神〉は、冷酷無慈悲な存在として伝わっている。
かつて栄華を誇った旧人類を滅ぼし、新たに生み出した複数の人種を実験的に競い合わせ、この世に混沌を巻き起こした存在である――と。
そんな神が、わざわざ人の目を気にするのだろうか。
(……孤立することに何を恐れる? 囮を倒し、〈精霊王召喚〉に干渉できる程の技量を持ちながら、かの存在は何を恐れている?)
──そもそも、なぜ戻ってきたのか?
ルディアスが思考を巡らせるものの、明確な答えは出てこなかった。
考えるだけ無駄ですな――肩を竦め、怪訝そうな顔をするアナスタシアに向き直る。
「私の〈精霊王召喚〉を妨害したのは、あなたのお友達だと言っているのですよ」
「…………そ」
相変わらずアナスタシアは「興味ナシ」と言いたげに、顔を背ける。
(この小娘に……いや、神の情報を伝えても面白そうですねぇ。こちらでの仕事が無くなってくれるのならば、それも悪くない)
第一王子殺害には失敗してしまったが、ルディアスはさして動揺していない。というか、〈精霊王召喚〉を妨害されたという出来事だけでも、シュヴァルツェン王朝を揺るがすには十分だ。
それに、「神が再臨した」なんて情報が出回れば、ロンド王国内で勝手に揉めてくれる。
火種は常に燻り続けているうえ、イスベルクとアナイアの動向的にもコトが始まる日はそう遠くないだろう。
そうなれば──
ルディアスがニヤリと口角を上げてほくそ笑む。これなら自分の目的も達成できそうだ。
彼はトーチ型の魔道具を布にくるめながら、アナスタシアに語り掛ける。
「……神について、教えてさしあげ――」
その時、ルディアスの首筋に冷たい視線が刺さった。
(殺気……ッ!)
咄嗟に身体を捻る――が間に合わない。
どうにか体をのけ反らしたルディアスが見たのは、一直線に飛翔してくる一本のナイフだ。よく見ると宝石がはめ込まれており、どうやら魔道具らしい。
この手法にルディアスは心当たりがあった。しかし、もう遅い。
ルディアスの喉元にナイフが迫り、その切っ先が触れ――る寸前で、「カタンっ」と叩き落された。
「……こ、れは」
パチリパチリと瞬いたルディアスに、話しかける人物がいる。
「ギッひひっ。あるじあるじ、危機一髪って、感じだったですか?」
「…………えぇ。流石に、今のは本気で死ぬかと思いましたよ」
呼吸を整え時計塔の壁際に寄りつつ、ルディアスは声の主を見上げる。
その視線の先、ドーム型の天井の手前に架かる梁の上に座っているのは白髪の少年。彼は特徴的なジト目を面白そうに細めると、軽い身のこなしで飛び降り、着地した。
「それで、ラル。あなたには屋敷で護衛をしておくようにと言いつけていたはずですよ? なぜ、こんな所に来ている」
「ラル」と呼ばれた少年は、ルディアスの前に来ると恭しく頭を下げる。
「奥様の陣痛が始まりました」
「それを早く言いなさい今すぐに撤収です帰りますよ。あぁ追撃されるでしょうから防御は任せますね」
すぐさま飛行魔術を唱えようとするルディアスに、顔を上げたラルはピッと人差し指を諭すように上げた。
「ですがですが、仕事をほっぽり出すのはダメって言ってたですよ?」
「あぁん? 誰ですかそいつ。後で半殺しにしてやりましょう」
「奥様です」
「……………………いまのは」
「仕事、ほっぽり出すのはメッですよ?」
「…………」
ルディアスは考えた。第一王子殺害の計画を立てる時の何十倍もの速度で考えた。
「……分かりました、代役を用意します。なのでさっき私が言ったことは……」
「ではでは、早速見つけに行こうです!」
「……あの、さっき私が言ったことは言わないで……」
「それでは奥様の命令に背くことになってしまいますですけど、いいですか?」
「………………久しぶりに、ビンタを食らうのも悪くない……かぁ……」
「とほほ……」と肩を落とすルディアス。その姿に、ラルと呼ばれた少年は「ギッひひっ」と肩を揺らしながら肘でこついた。
「あるじあるじ、嬉しそうにしちゃってるですね」
「当たり前です。久しぶりに会えるのですから、ビンタされたって嬉しいに決まっています」
そう言って、ルディアスは改めて飛行魔術を詠唱した。対してラルは何も言わずフワリと浮き上がると、ルディアスの隣に滞空する。
その様子をアナスタシアはボンヤリと見上げながら、すぐに視線を落とした。
「いずれ助けが来るでしょう。それまで、そこでおとなしくしておきなさい」
「……なに、べつに自力で逃げたっていいじゃん」
「さてはて、どこまで逃げるんでしょうかねぇ~」
こいつ――とアナスタシアはルディアスを睨むが、代わりに返ってきたのはニヤリと上から目線の瞳。
「あなたと同じ瞳をもっていた人を知っているのでね。ま、もういませんが」
ルディアスはそれだけ言うと、飛行魔術で飛び去ってしまう。ラルもそれに続き――一瞬だけ「やれやれ」と肩を竦めて――静かになった曇り空へと飛んで行った。
その姿をボンヤリと眺めていたアナスタシアは、ふと立ち上がって時計塔の端に立つ。
揺れは収まったものの、街のオレンジ瓦は所々が剥げてしまっていた。混乱も収まっていないらしく、今も多くの人々が道を行き交っているのが見える。
(……いま、なら)
ゴクリ、と冷たい唾をのみ込み、アナスタシアは右足を上げ――戻した。そのまま、元の壁際へと戻り、膝を体に引き寄せて座る。
(……それができたら、なんでもできる)
ルディアスとかいう男は、どうやらすごい魔術師らしい。〈精霊王召喚〉とか飛行魔術とか、その難しさをアナスタシアは知らないが、彼が持っていた圧倒的な自信が眩しかった。
……眩しすぎた。
彼が言っていた〈神〉だとかもどうでもいい。自分なんかには、関係ないことなのだから。
「……どーでもいーや」
アナスタシアは不細工に笑いながら、レンガの床をなぞるのであった。




