【2-20】深紅の門
人は詠唱なくして魔術を行使できない。いかに優れた使い手だとしても、それを完全に省くのは不可能だ。
ゆえに、魔術師は喉元を拘束されたら何もできない。そもそも、そこまでの接近を許した時点で、魔術師は無力である。
それはエルベンスも例外ではない。魔道具を持っていない今、喉元に炎の牙を突き付けられている状態では、ロミエの言うことを聞くしかなかった。
「|ん~、んん~んーんんん~!《ねー、これアゴ痛いんだけど~!》」
エルベンスは氷で拘束された手足をバタつかせながら、口に押し込まれた氷の塊を取るように懇願する。
しかし、ロミエはいつも通り眉を下げた頼りない表情で、フルフルと首を横に振った。
「あ、あなたの魔術、怖い……ので……」
「でも、ロミィは全部防いでたじゃないの」
氷の枷から解放されたショルトメルニーャが、まだ冷えたままの手首をさすりながら呟いた。
彼女はロミエと一瞬目を合わせたと思ったら、「その……ね」と視線を泳がしてしまう。
「ま、まずはっ、助けてくれてありがとう。いきなり連れ去られて、真っ暗だしどうなるか……でも、なんでわたくしは人質にされたの?」
ショルは「知ってるんでしょ?」と、ワナワナともがくエルベンスを一瞥しながらロミエに問う。
「あの子もだし、シアも別の男に連れ去られちゃったし……」
「……えっ、シアさんは別の人に……ですかっ!?」
マイトの情報だと、もう一人の刺客――ダクティリオスという名の呪術師は学園を襲撃しているはずだ。
(戻ってきてたの……? でも、殿下の暗殺が目的なんじゃ……)
しかしそうなると、いよいよアナスタシアの行方が分からない。
感知魔法は便利だが広範囲を見ることは出来ないし、協力者がいなければ当ても無い。
シアの行方が、これっぽっちも分からなかった。
(わたしが離席した、から……? ……ううん。関わっちゃった、からだ……)
ギュムっと唇を噛み締めるロミエ。そんな横顔に、ショルは声をかけた。
「ねぇ、その魔法書でどうにか出来たりはしないのかしら。こう、シアの魔力を辿れるみたいな……」
ロミエが魔法書を作れることをショルも知っている。何より、その真価をついさっき目に焼きつけていたのだ。
魔法なら行方を突き止められるんじゃないか――しかし、ロミエは俯きざまに首を横に振る。
「……魔法でも、出来ない事ばっかり……です。魔法が使えても、わたしは……」
――何もできない。
そう言おうとした時である。
ゴゴゴゴゴゴゴ――と重厚な地響きと共に地面が揺れる。
石畳の地面が、壁が、天井が。小刻みに小刻みに、しかしその揺れは大きく強くなっていく――空間自体が、震えているようだった。
「な、なんなの……!?」
「んーッ!?」
「きゃっ……」
三者三様の悲鳴が響く。
ショルはきょろきょろと視線を動かし、エルベンスも氷の枷が付いたままの両手を頭にかぶせ、怯えているようだった。
コケてしまったロミエは、地面に四つん這いになりながら「おかしい」と頭を捻る。
(地震……みたいだけど、違う。この辺りは〈土の精霊王〉の管轄じゃない。火山も王都から遠い場所だし……)
「地面が揺れる」という現象は存在する。しかし、それは独りでに発生するものでは無く、何らかの要因が根底にある。
土地の移動による隆起を発端とするならば、〈土の精霊王〉の管轄における土地でしか起こらない。
世界に溜まったエネルギーの発散を発端とするならば、〈火の精霊王〉が設置した火山の周囲でしか起こらない。
王都の立地はそのいずれにも属さない土地で、地震が発生する理由が無いのだ。
ゆえに――大地が揺れるなんて設計に入れていない。
アーチ形の石レンガで敷設された旧水道は、その端々から砂埃が落ち始める。
「に、逃げないと……っ」
しかし、ロミエが入ってきた出入口まではそこそこ距離がある。崩れる……とは思いたくないが、そうなったらたまったもんじゃない。
どうにか、少しでも近くの出入り口が知りたい。
再び感知魔法で周囲の地形をスキャンして出口を探す。
「……っ。あ、あそこにっ隠し扉が、あります……っ!」
壁に向かって駆けるロミエ。途中、焚火跡に足を詰まらせながらも、石レンガの壁をペタペタと探った。
(この先に空間が――あっ)
コトン、とレンガの一つが押し込まれ、隠し扉が開かれる。その先には、上へと続く螺旋階段が伸びていた。
その間にも地面は揺れ続け、天井から断続的に砂埃が落ちて来ている。
「ここからなら……っ。ショルさん、こっちに……っ」
「待って、この子を置いていけないわ!」
その言葉に、エルベンスがフンフンフンと頷く。手足口を氷によって拘束されているので、階段なんて登れないだろう。
しかし彼女は敵だ。第一王子を暗殺しようとしている刺客であり、何よりロミエのともだちにまで危害を加えたのである。
けど…………エルベンスだって人なんだ。
この世界に生きる住民であり、ロミエが――ニヒリアが守るべき命である。
「……わかり、ました」
「んーっ! ……ん、んん~……?」
「ありがとう、ロミィ。ほら、急ぐわよ」
足の氷を解除して、エルベンスが動けるようにする。そうして、ショルが手を引きながら三人は螺旋階段を駆け上がった。
地面が大きく揺れ動くなか、右回りに伸びる螺旋階段を登るのはなかなか大変だった
ロミエはクルクルと登る間に4回は躓きつつも、どうにかこうにか登りきる。
地震のせいで歪んで開かなくなった鉄扉を、魔法で強引に突破。街の一角にある路地に出ると、その道の先に噴水のある広場が見えた。
アリストリア学園にほど近いこの場所の中心には、磔にされたニヒリアの石像が置かれていて、開けた石畳の広場にはいくらか避難してきた人がいる。
そして彼ら彼女らは、一様に学園の空を見上げていた。
しかし、ロミエはその場にへたり込んでしまう。
「大丈夫なの?」
「う、うんっ。疲れただけ……だからっ。さ、先に、行ってて……」
一日中歩き、走り回ったせいでロミエの体力は限界だった。エルベンスを連れて広場へ避難していくショルを眺めつつ、ふと左手を髪に触れた。
せっかく可愛らしく結んでもらったハーフアップの髪も、所々ほつれてしまっているし、ふんわりとしたリボンには砂埃が付着している。
アナスタシアが選んでくれた白いワンピースと空色のスカートも、埃や煤なんかで汚してしまった。
(せっかく……大切にしたかったのに……)
帰ったら、洗って保管しよう――あでも、リボンはショルさんが貸してくれてるんだっけ。
(ともだち……いいな)
明日を考えられる幸せに、ロミエは眉を下げて「ふへっ」とはにかんでしまう。
「あ、あれは……」
広場に出たショルが学園の方向を見上げ、目を見開いた。しかし、その目は恐怖よりも感動の色彩が強い。
「ん、んー……」
エルベンスも同じく、驚愕に目を見開いている。
(な、なに……が、起きてるの……?)
ロミエもゼエゼエと肩を揺らして足を引きずりながらも、どうにか広場までやってきた。
何故だろう、昼過ぎなのに暗い。さっきまで日がサンサンと街を照らしていたのに、今や分厚い暗雲によって閉ざされている。
そして――その暗い雲の中、アリストリア学園の直上に、巨大な赤い門が開かれていたのだ。
(あ……れは……)
ロミエもまた目を見開いて、数歩後ずさってしまう。
あれはまさか――。
ロミエは限界まで見開いた青緑の瞳に、深紅の門を映す。
「……精霊王、召喚」
赤く輝く扉は〈炎の精霊王〉を呼び出す門。
それが今や、学園の一点に向けられて赤い炎撃を落としているのだった。
――――――――――
時は少しだけ遡る。
魔術専用の森にて、今後の護衛計画立案の一環で、ライラックとアイリシカが模擬戦を繰り広げていた中、木々の隙間から真っ黒な霧が流れてくる。
それに即座に反応したのは、生徒会監査として模擬戦の立ち合いをしていたアールグレイ。彼は即座に防御結界を張るように声を挙げた。
アールグレイ自身もまた、近くにいた第一王子リフィルとライラックの侍女ハルヤ、そして同じく教員として立ち合いをしていた基礎魔術学担当のカテリナを一緒に防御結界で覆い囲む。
しかし、アールグレイの防御結界――アリストリア学園の生徒でも指折りの実力者である彼の防御結界は、黒霧にほんの少し触れただけで破壊されてしまった。
今皆を囲っている結界はカテリナによるもの。
黒霧にさらされた時間は数刻だったものの、魔素濃度が極端に高かったらしく、魔術師でないアイリシカとハルヤは魔力中毒の症状でグッタリとしていた。
(私が完璧にできていれば……)
黒霧に魔法が含まれていたことなんて知らないアールグレイは、深く肩を落として瞼を痙攣させる。
しかし、今はそれどころじゃないと己を叱咤して、改めて周囲を見渡した。
黒霧のせいで朝方のように薄暗いが、少しだけ色が薄まっている気がする。
「……少し、晴れてきたか?」
「そのようですわね。けど、魔術師でない二人は耐えられないでしょう」
「あの……学園は、大丈夫なんでしょうか……?」
リフィルの言葉に、アールグレイとライラックは頷けない。
「黒霧は学園の方から流れてきました。濃度もおそらく、向こうの方が……」
「この黒霧は、誰か……何者かの手によって……意図的に、発生されたのでは……」
朦朧とする意識の中、アイリシカが言う。
確かに黒霧は、特定の条件下でごく稀にだが自然発生することがある。しかし、この場所では条件に満たない。
その事をアールグレイが説明すると、カテリナが難しい表情で結界に触れる。
「微量だけれど、魔法の影響があるかしら。アール監査長の結界が破れたのも、そのせいなのよ」
なるほど、魔法の力が加わっていたのか。
そう納得するのと同時に、「なぜカテリナ教諭の結界は破れないのか」という疑問が湧き上がるが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
アールグレイは今一度、結界を見上げる。
半円状に囲った結界の周りは、徐々に黒霧が晴れていっており、空もチラリと覗いている。
しかしどうやら様子が変だ。まだ昼過ぎで青空が広がっていたはずなのに、今や暗雲に覆われている。
すると──そこに、一つ大きな魔法陣が展開される。
学園の上空。曇り空にグワリと開いた深紅の魔法陣の中から、薄く細長く、深紅の炎を纏った扉が降りてくる。
「あれ、は……」
その現象をアールグレイは知っている。
ライラックもリフィルもテルトアはもちろん、魔術の心得がないアイリシカやハルヤですらも、何となく分かった。
(ん。なんか、いっぱいいっぱい強い魔力?)
ライラックの肩にグダリと乗っていたキャリアは、ひょっこりと顔を上げてその門を見た。
氷霊キャリアスノーテンは知っている。その門の先から流れてくる魔力の持ち主を──その王の名を口にした。
「炎の精霊王、イグニシア!」




