【2-14】リフィル殿下の逃避行
アリストリア学園には大図書館がある。
元は〈最強の魔法使い〉が収集していた本の保管場所であった。
その後の時代に、卒業生が寄付した本などが集積していき、いつしか王都でも有数の蔵書数を誇る大図書館となったのである。
校舎に並び立つように併設されたレンガ色の図書館は、王宮を思わせる校舎と違った荘厳さを持ち合わせていた。
周囲には青々とした生垣が連なっていたり、ベンチも置かれている。談笑するには良いスペースだが、図書館を利用する人はあまり多くない。
蔵書のほとんどが魔術に関する専門書のようなものばかりで、娯楽小説などはあまり置かれていない。
それに加えて、明日から休息日が始まるという時に、わざわざ足を運ぶ生徒は少ないのだ。
そんな中、植えられた生垣の裏に息を潜め、身を隠しながら移動する男子生徒がいた。
彼は黄色強めの金髪に、薄い水色の瞳に金と緑を一滴ずつ垂らした色合いの神秘的な瞳を持つ少年である。
彼は髪についた木の葉を払いながら、緑の隙間から通路を――校舎の様子を伺う。
(アイリシカは……よし、いないな)
男子生徒は小柄な体を生垣の影に隠れつつ、大図書館へと入った。
司書がギョッとしたように少年を見る。少年は曖昧にはみかみながら、唇に人差し指を当てて口止めする。
そのまま少年は、図書館の奥へ奥へと歩みを進めていった。
特に本棚を見るわけでもなく、人が居ないところ人が居ないところへ、ひたすらに歩みを進めていく。
少し埃の被った本棚に囲まれ、寂れた古本の香りが漂い、ランタンの輝きも届かないような所まで来た。
行き止まりのような場所に、丁度よく勉強机と椅子がある。
少年は腰を下ろして「ふぅぅ……」と詰めていた息を吐きだして、机に突っ伏した。
「やっと、一人になれたー……」
その少年、ロンド王国第一王子リフィル・シャルル・ロンドは冷たい机に頬を密着させながら、ここに来るまでの出来事を思い出す。
――それは数日前の事。
日も昇らぬ早朝にリフィルを訪ねてきたのは、大賢伯が一人〈全能の魔女〉だった。
彼女はリフィルの護衛の任務を受けており、その件で話がしたい――という事だったのだが……。
『〈星導の魔術師〉様がお亡くなりになった、とのことですわ』
大賢伯の一人にして、当代最高の預言者たる〈星導の魔術師〉の死が、伝えられたのである。
――まさか、あの方が無くなるなんて……!
動揺するリフィルとアイリシカに、〈全能の魔女〉ライラックは真剣な面持ちで、この件の真意を語った。
『〈星導の魔術師〉アルヴィアス様はご存じの通り、王位継承権第二位をお持ちであられましたわ。しかし、彼が亡くなられた今、繰り上げである人物が上がってくるのです。それは――』
シュテルンリッター公爵家のリーンハルト・マークハリス。
現王家のはとこにあたる血筋を持ち、尚且つこの学園の生徒会長であった。
彼の王位継承権が上がった。それはそうだろう、現王の直子がリフィルしかいないゆえ、他の候補者は王族に近い公爵家から選ばれるのが通例だ。
だが、今回は話が違ったらしい。
『これにて、リーンハルト・マークハリスは王位継承権第二位に繰り上げ。つまり――』
〈全能の魔女〉はエメラルドグリーンの瞳をスッと下げ――そして開いた目でリフィルを見据えた。
『――次は殿下です。唯一の直系であられるリフィル・シャルル・ロンド様』
正直、それは考えすぎじゃないか――とリフィルは思った。
だが、護衛を務める者としてはこの出来事を重く受け止めたらしい。
それからライラックとアイリシカは護衛計画を練り込み、リフィルは防御結界が施された魔法具を肌身離さず持つことが決まった。
それからというもの……。
それは部屋に隔離されたので、おとなしく本を読んでいた時の事。
リフィルが本を閉じて立ち上がる。すると、アイリシカがすぐさま反応する。
「殿下、どちらへ行かれるのです?」
「ちょっとトイレに――」
「一人で!? 私も同行します!」
「え」
とか。
それはお昼時、昼食が部屋まで運ばれてきて、いただきます――と席に着いた時。
横からアイリシカが入ってきて、皿にのせられた料理を一つ一つ齧っていく。
焼き魚のソテーだったのだが、魚はもちろん添え野菜やスープ、果ては飲み物ですら口に含んでいったのだ。
「……アイリシカ、その、食べ物を一口ずつ齧っていくのはどうして――」
「毒味です。古今東西、食べ物に毒を入れるのは暗殺の常套手段でありますゆえ。モグモグ……殿下の護衛を務めるこのアイリシカが責任をもってモグっ……あ、殿下っ! この魚のソテー、とてもスパイスが効いていて絶品です!」
「そ、そっか……よかったね……」(食べきるのはどうかと思う)
とか。
それは部屋で寛いでいる時の事。
「紅茶を淹れて参ります」と言ったアイリシカは、特注らしい防御力も重量も高そうな金色の鎧をガッチャガッチャと鳴らしながら、備え付けの厨房へと向かう。
一歩歩くたびに鎧が擦れて、ガッチャガチャンと金属音が響いていた。
「……アイリシカ、その鎧、着たままだと邪魔だと思うんだけど……」
「いえ、これでも(ガッチャガッチャ)動きやすいのですよ(ガッチャンガッチャ)」
「そ、そっか……」
とか。
挙句の果てに――それは、夜のベットでの事。
夜の明かりが射しこむなか、ゆったりとした寝間着姿のアイリシカが、リフィルの天幕ベットへと入り込んできたのだ。
「あ、アイリシカ!?」
「ご無礼を承知の上です。しかし、こうするしか――」
もぞもぞっとシーツを上げて、アイリシカが身を寄せてくる。
彼女のサラサラとした金髪がリフィルの頬を撫でていき、こそばゆい。
リフィルのすぐ真隣には、夜明かりに照らされ透き通るような美しい肌を持ち、それでいて期待上げられた肉体の少女が、ゆったりと身体を横にしている。
二人同じ天幕の下で、枕を共にしていたのだ。
さすがの状況にリフィルも息を飲む。心臓がバクバクと脈だって、動揺が全身を駆け巡った。
なにせ、リフィルの隣でアイリシカが寝ている。
彼女は愛剣を鞘にも納めず、その磨かれた刀身をさらけ出したまま握っているのだから。
……その刀身が、リフィルの体の上へ束縛するように乗っかっているのだから。
少し身じろぎするだけで、自分の肌が切り裂かれかねない。
下心なんて吹っ飛びそうになる。安眠には程遠い時間であった。
そんな生活を、ここ数日間ずっと続けている。
流石にリフィルも耐えかねて、過保護すぎるアイリシカから逃れるために、こうして図書館の奥地までやってきたのだった。
とはいえ、長居をしてもいつかはバレる。
アイリシカが嗅ぎ付けてくる前に、早くこの場を離れないといけない。
あまり気が乗らないが立ち上がり、別の隠れ場所を探すべく歩き出す――
「……へ」
「あっ……」
本棚の影から現れた、小柄な少女と目が合った。
勉強に来ていたのだろうか、ペンと分厚い本を抱えた少女はその場に固まってしまう。
「……えっ」
少女はすぐさま、目の前に立つ人物の正体を察する。
同時に、彼女は深い青色にエメラルドグリーンが混ざったような瞳をキョわっと見開き、ビクビクと肩を震わせた。
彼女はわなわなと口を震わせながら、おっかなびっくりその名を口にする。
「で、でででっ、でん、か……!?」
「あ、その……えっと、すまない。その……黙っていては、くれないだろうか……?」
唖然とする少女。その黒っぽい灰色の髪にリフィルは見覚えがあった。
(たしか……ロミエ・ハルベリィさん……だったっけ)
彼女とは一度顔を合わせている。数週間前の魔道具暴走事故にて、事故の詳細を一日で解決してくれた人だ。
現在は生徒会に入っているらしく、証としてケープコートに会員証が付けられている。
(この人は、たぶん味方な気がする)
リフィルは一度……いや、二度彼女の魔力を《《見ている》》。
その経験から言って、彼女は信用に値する存在だとリフィルは判断していた。
それに彼女は──いや、
(ひとまず、この場を離れないと……)
その時である。
静かな本棚の隙間から「ガッシャ、ガシャンっ」と図書館には似つかわしくない金属音が響いた。
ドクンと心臓が跳ねる。リフィルは顔を青くして、その背中に冷たい汗を滴らせた。
「あ、ああっ、あい、アイリシカが……来る……っ!」
間違いない。アリストリア学園でこんな音を出す人物なんて一人しかいない。
(に、逃げなきゃ。で、でも入り口は抑えられてそうだし、かと言って窓から出ても追いつかれるだけだし……)
そうこうしている間にも、鎧の擦れる音はどんどん近づいてくる。
アイリシカはどういうわけか、リフィルの考えている事を的確に見抜いてくるのだ。
ガッチャ………………ガチャン……ガチャ、ガッチャン――
やっぱりだ、真っすぐこっちに向かってきていた。
(お、終わりだ……)
またあの束縛生活に戻らないといけないんだ……。
護衛のためとはいえ、逆に精神を擦り減らすような生活はしたくない。
けど、ここまで来たら諦めるしか――
「その……誰かに、狙われてる……です、か?」
項垂れるリフィルに、ロミエが遠慮がちに問いた。
狙われている……うん、あながち間違いじゃない。リフィルはコクコクと頷く。
するとロミエはアゴに手をそえて、何か考える素振りをする。
「——その、ここに居て……ください」
ロミエはそれだけ言い捨てて、その場を去って行ってしまった。
ここに居てって……? 少女の意図が分からなくて、リフィルは首を傾げる。
しかし、そうしている間にもアイリシカの足音——鎧音は近づいてきており、それはもう通路二つ隣まで来ていた。
(ああダメだ、見つかる……)
もうダメだ――苦し紛れに椅子を盾にするも、この距離じゃ身を隠しきれない。
本棚の影から、金色の煌めきが現れる。そして、凛と張りのある声がリフィルを揺らした。
「殿下! やっと見つけまし……あら、ここには居ませんでしたか」
(えっ……?)
気づかれていない……?
アイリシカは使われた形跡のある椅子を一瞥すると、本棚の影に去っていく。
(た、助かった……?)
その時、ふと、リフィルの視界に《《魔力の流れが映り込んだ》》。
空間に染み込むみたいに完璧に調和した魔力が、リフィルの周囲を囲んでいる。
その魔力を見て、リフィルは「あっ」と目を見開いた。
(この魔力は……やっぱりあの人、味方なんだ!)
リフィルは人の魔力が見える。漂う魔力が誰のものかを見分けることもできるのだ。
彼は二度、この魔力に助けられている。
一度目は入学式当日の講義室、魔道具が暴走した時。
そして二度目、悪魔の襲撃に晒されて重傷を負い、目覚めたとき。
自分の身体にこの魔力が……《《彼女の魔力》》が流れていたのだ。
リフィルはそろりと立ち上がり、本棚の影から周囲を伺った。
どうやらアイリシカは遠ざかっているらしい。そのことに安堵しつつ、助けてくれた少女がいないか見回してみる。
だが、彼女の姿は後も形も見えない。
(一言、感謝を伝えたかったな……)
命を救ってくれた恩人だ。王族として、謝辞をのべるのは当然だし、何よりアールグレイの欠陥すらも直してくれたらしい。
リフィルは魔術や魔法にあまり詳しくない。それでも、彼女の能力が特別であることはなんとなく感じていた。
それに加えて……彼女の苗字。
「……ロミエ・ハルベリィ嬢」
リフィルは恩人の名前を口にする。
いつか感謝を伝えたい。そして聞かなければならない事がある。
(〈星導の魔術師〉の……ハルベリィ公爵家はアルヴィアス殿だけだったはず……)
一応子供はいたらしい。しかし、帝国との小競り合いで運悪く命を落としてしまったと聞いている。
そのあたりも謎だ。彼女自身、そんな事情は知らないのかもしれない。
それに、ロミエには個人的にも聞いてみたいことがある。
リフィルが今まで見てきた中で、彼女が一番美しかったのだ。
(誰よりも綺麗な魔力……どうやったんだろう)
願わくば、その方法を知りたい――と、リフィルは願うのだった。
――――――――――
古本の香りが漂う薄暗い場所から、天窓から日が差し込む勉強スペースへと入ったロミエ。
古本の香りも素敵だけれど、日に照らされた机や椅子から漂う、暖かな木々の香りも素敵だ。
1度深く深呼吸を挟んだロミエはキョロキョロと顔を動かして、一緒に来た人物を探す。
「あっ……」
その人物を見開いた瞳に写す。……だけど、どう声をかけていいか分からない。
「あ、う……」と口ごもり、背伸びしたり身体を揺らしてみたりして、存在をアピール(?)……してみる。
「お、ロミたん。課題の本はあったか?」
「は、はいっ! あり、ましたっ」
キルトエが見つけてくれたので、とてっとてっと駆け寄る。
今日は皆で、図書館にて勉強をしに来たのだ。
明日からの休息日を満喫するため、先にやっておこう――と意外にもキルトエの提案により、ロミエ達三人は各々の課題を持ち寄ってきている。
「遅いじゃない、そんな奥まで行ってたの?」
ショルトメルニーャがツンと眉を立てる。
追われてた殿下を助けてたから――なんて言えないので、取って来た分厚い本を顔の前に持ってきながら、ボソポソと口を動かした。
「ま、魔法書……写さないといけない、から……」
ロミエはハイドセージの研究室に入ることとなり、魔法書の複写をすることとなっている。
キルトエとショルもそれぞれの授業で課題があるらしく、3人は近くの4人掛けの机に座って、課題を開始するのだった。
明日、街へ買い物に行くために。
ちなみに、アナスタシアはバイトなので来てません。
殿下はアイリシカの驚異的な嗅覚? 行動予測? から逃れることが出来ず、結局捕まりました。




