【2-13】気持ち悪い式を直したい
アールグレイを先頭に部屋に入ると、そこは本の山であった。
魔道書だろうか、本棚に収まりきらなかったらしい分厚い本が何冊も何冊も積みあがっていて、ロミエの視界を遮ってしまっている。
だが、アールグレイほどの身長があれば見渡せるらしい。彼は本の山頂から部屋を一瞥すると、呆れたようにため息をついた。
「……大叔父殿、少しは片付けられたらどうなのですか」
そう声をかけるものの、返答はない。
代わりに「なぜじゃ……完璧に写しているじゃろうに、なぜ発動せんのじゃぁぁ……」と、老いぼれ掠れた声が聞こえてくる。
藪のように積み重なった部屋の中、獣道のように少しだけ覗かせた床を慎重に選びながら、部屋の奥へと進んでいく。
チラリ、と本のタイトルを見てみると、魔道書以外にも植物学や生物学、地理歴史や医学といった様々な分野の本があった。だが、それにしても膨大な数である。
古本特有の香りと、虫除けハーブの匂いが充満する部屋の中を進んでいく二人。
左右まで高々と本が積みあがっている中、ふと、アールグレイが足を止めるので、ロミエはその背中の後ろからひょっこり顔を覗かせる。
部屋の奥に設置された机には、これまた分厚い本の山々が聳え立っている。それらの隙間や床には、魔道書用の特殊インクの空がいくつも転がっていた。
そんな中、ブツブツと何かを呟きながら開かれた本を睨み込む男がいる。
彼は病的なまでに白い肌で、よぼよぼの老人だった。
教員のローブを纏っているが、対して手入れもしていないだろうボサボサでさびれた白髪を長く垂らしていて、世捨て人のようにも見える。
しかし、彼こそがこの研究室の教員であるハイドセージ・シュメリート。
アールグレイとは分家にあたるらしく、かつては〈魔道書の家系〉を襲名していたらしい。
「大叔父殿、少しだけお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「……ああ?」
ここまで来て、やっと存在を認知したらしい。彼は皺だらけの顔を不機嫌そうに歪ませて、アールグレイを睨む。
「……本家のせがれが、ワシになんのようじゃ」
「生徒会から、本研究室にあてられる研究予算削減についての通告書をお届けに来た次第です」
「研究、よさん、のォ? 削減ッだとォォ……??」
途端、ハイドセージはグワッ! と目を見開き、ブルブルと身体を痙攣させた。
「ならん! ならんならんなら――ん!! 研究には金が要るんじゃ! 断じて、断じて認めんぞォ――ッ!!」
子供が駄々をこねるみたいに地団駄を踏む姿に、アールグレイは呆れたように肩を落とす。
「はァ……ですが、ほとんど成果を出せていないではありませんか」
「なん、じゃとぉ?? 成果ならば出しているじゃろう! 貴様には見えんのかッ、この魔道書の山々が!!」
ハイドセージはそう言って、部屋全体に積み重なった魔道書を指し示す。
「この部屋にある魔道書はほぼ全てワシが書いたものじゃ! 攻撃魔術から生活魔術まで、全て一から調べて魔術式に変換しておる!!」
彼の言う通り、この部屋に積み上げられた魔道書は全て彼名義の物であった。
ロミエが視点情報を切り替えて詳細を確認してみても、学術書などの参考書以外は全て彼名義である。
(こ、これだけの魔道書を書くのに、どれだけかかったんだろう……)
部屋を埋め尽くすほど、数百冊とかそういう次元に圧倒されるロミエ。それこそ、一生かけて続けなければならなかっただろう。
しかし、アールグレイは淡白に――それでいて同情したように視線を逸らして、駄々こね老人に現実を伝える。
「……大叔父どの、魔道書の時代は過ぎたのです。今や、扱いやすく管理もしやすい魔道具が一般的。それに加えて魔術が広く浸透した現在では、魔道書はもう……」
魔道具は魔道書と違い、触媒となる魔石に直接術式を刻み込む。
ゆえに、紙に記す魔道書と比べて壊れにくいし、魔力が無くても扱えるという利点があるのだ。
それに加え、多くの人々が魔術を使えるようになったロンド王国では、わざわざ魔道書を使う人は少ない。
そのため〈魔道書の家系〉もかつてほど重用されなくなり、今では呼ばれることもなくなってしまったのだ。
だが、ハイドセージ・シュメリートは諦めない。
「ああその通りじゃ、だから今は魔法書の研究を行っている最中なんじゃ! 見よ、本物の魔法書に書かれた魔法式を《《完璧に写したんじゃぞォ》》!」
ロミエは掲げられた本をチラリと、アールグレイの後ろから観察する。
(風属性の……風を自在に生み出して、意思を持たせる魔法……かな?)
しかし、刻まれていた幾何学模様は所々乱れていて、とても完璧とは言えなかった。
何より魔力を伝達するために必要な溝が出鱈目だ。……出鱈目すぎる。あんまりだ。
(なんか……気持ち悪い……。全然綺麗じゃないし出鱈目だし……完璧じゃない)
ロミエはムッと眉を寄せる。
魔法とはいわば、この世界を動かす法である。
魔術は法の上でしか成り立たないのに対して、魔法はその法と言う名の〈土台〉を形成し、操ることが出来るのだ。
だからこそ、この世界を創り出したロミエとしては、上辺をなぞっただけの不完全な魔法式に憤りを感じていた。
(うぅっ、直したい……直したい直したい直したいぃぃ……完璧じゃないの気持ち悪いよぉぅ……)
例えるならば、綺麗に整理した本棚を一度崩して、名前や種類関係なく出鱈目に収められる――みたいな感じだろうか。
不快。不愉快。気持ち悪い。
一体どこが完璧なのだろう? こんな気持ち悪い式で完璧っていうのやめて欲しい。侮辱されてる気がする。気持ち悪い。直したい。一から組みなおしたい。
「うぬぬ……」と唇を薄く噛み締めるロミエ。
だが、ここで指摘して直したとしても、ロミエの描く魔法式は――ニヒリアが刻むものは完璧すぎる。
あまりにもこの世界に馴染みすぎるのだ。元となった魔法書以上に完璧な魔法式を書いてしまうだろう。
それは、そんなことをしたら〈天才〉だとかもてはやされて……いつか、失敗する。ニヒリアのように。
――だ……けど、だけどぉぉ……
(気持ち悪いぃぃ……ううっ、直したい、ムズムズするぅ……)
「うぅぅ……」と、内なる葛藤に抗うロミエ。
アールグレイは特に気付く様子もなく、そのままハイドセージに問う。
「ですが、全く上手くいっていないのでは?」
「じゃっから新しい資料が必要なんじゃ! ありったけ魔法書を集めて、そこから傾向を導き出すことによって、魔法書の複製を作ることが出来るはずなんじゃぁ!!」
魔法書集めても元がダメだから意味ない――と指摘したいロミエが「あぅあぅ……」と力ない声で喘ぐ。
その声音を、ハイドセージの鼓膜が拾った。拾ってしまった。
アールグレイの後ろに隠れた小柄な人影に気がつくと、ハイドセージは少し身を乗り出して声を荒げる。
「なんじゃ? ニコか。戻って来たならそう言わんか!」
「……へ?」
まったく関係のない名前を呼ばれ、目を点にするロミエ。
ニコというのは、たしか生徒会書記長ニコ・リシュリューのことだろか?
ロミエは話したことがないが、自己紹介の時に自分と似ている気がして、親近感を抱いていた先輩である。話しかけにいくつもりはないけれど。
だが、どうしてその名前が出てくるのだろう?
ロミエが目をパチパチさせて固まっていると、代わりにアールグレイが訂正してくれる。
「ニコ書記長ではありません。一年生のロミエ・ハルベリィ嬢です」
「ロミエ・ハルベリィ……ん? ハルベリィ……? ッ、チミか! 黄昏のガキが作った魔法具に難癖つけた奴じゃろう!!」
「な、なななっ、なんくせぇっ……!?」
えっ、そんな風に伝わってたの!?
魔法使えるってバレないで良かったぁ――程度にしか思っていなかったのに、周りはそんな風に受け止めていたなんて!
顔を土気色にして俯いてしまうロミエ。心配になったアールグレイが声をかけようとしたが――突然、ロミエの小さな身体が浮かび上がる。
「わぷ……!?」
「なっ、いきなりなにが……!?」
「驚いたじゃろう。これが魔道書の力なんじゃァ!」
老いぼれた顔に、さらに彫を深めながら自慢げに笑みを浮かべるハイドセージ。彼は魔道書を掲げ、そのままロミエを自分の机まで持って行ってしまう。
「してハルベリィ……いや、ロミエとやら。貴様は魔法式が読めるのか? 読めるんじゃろう?? 読めちゃうんじゃろう???」
トスン、と本の上に着地したロミエに、ハイドセージが詰め寄って来た。
(やばいやばいやばい、魔法式読めるってことはどうにか誤魔化さないと、誤魔化さないとぉぉぉ……!)
ワッと顔を覗き込まれて、ロミエは半ば涙目になりながらも、フルフルと首を横に振る。
「あ、あれは……そのぉっ…………さ、〈最強の魔法使い〉様の本を、読んだことがあっただけで……」
「ほおゥ? 読んだのか、読んだんじゃな??」
「え、えっとそのっ……お、おぼっ、覚えてただけ、でぇぇ……」
「ならばことさら丁度いい。ワシの研究対象もそれじゃからなァ!」
「しゅ、シュメリートかんさちょぉぉぉ~~……」
「助けて」とは言えず、涙色に染まった瞳をアールグレイに向けるロミエ。
その視線にあてられ、彼は本の山を越えてハイドセージの肩を掴む。
「大叔父殿、ハルベリィ嬢が困っている。すぐに解放するのだ……ッ」
「構うな。それに、後輩が本当に魔法が読めたら嬉しいじゃろう? ワシは嬉しい。研究費が増えるからのぉ~」
「…………それが目的か」
目頭を押さえるアールグレイ。
(……だが、確かに。もし本当に魔法式が読めるとしたならば……その才能を、埋もれさせるわけにはいかん。評価されるべきだ)
彼は少しの間「うーむ……」と考えた末、そのキリリとした目をロミエへと向ける。
「ロミエ・ハルベリィ」
「は……はいっ!」
フルネームで呼ばれ、少し上ずった声を返すロミエ。
アールグレイは気にする様子もなく、その深いアメジストの瞳を落とす。
「無理にやれ、とは言わん。出来んのならばすぐに言え。だが……もし読めるのならばその力を、能力を活かせ。それが貴様の――ロミエ・ハルベリィ、貴女の力なのだから」
それは紛れもない彼の本心であった。
能力を持ったものはそれを限りなく活かすべきである。評価されるべきだ。そのための支援や助力を、アールグレイは惜しまない。
なにより、後輩の成長を、進歩を喜ばぬ先輩など居ないのだから。
「え…………ぁ、でも……」
(わたしは、私はニヒリアなんです。欠陥だらけの世界を創った、貴方の欠陥を作ってしまった出来損ないなんです――なんて……言えない)
きっと、今この期待に応えてしまっても、それから膨らんでいく期待に、ロミエは応えられる気がしない。
いずれ失敗する。どうせ失敗する。どうせどうせ、出来損ないなロミエにはニヒリアには、出来る事なんて――
「——たとえ、いま完璧に読めなくても構わん」
「…………へ?」
堂々巡りするロミエの頭に、アールグレイの言葉が差し込んだ。
「多少の失敗はしょうがない。そもそも、少しでも読める事だけでも凄い事なのだぞ? もっと自信を持たんか」
読める事自体が凄い──それはニヒリアの記憶を持っているから、ロミエがニヒリアの生まれ変わりだからだ。
それに完璧じゃなくても良いだなんて――
ロミエは少し顔を上げて、すぐに下げる。
勇気が出なかった。踏み出す勇気が。魔法を使って、また誰かの期待に応え続ける勇気が。
なのに……
「だから誰も否定などせん。する者がいたのなら私が助けよう。先輩だからな」
ふっ、と薄く微笑むアールグレイ。
彼は一瞬、ハイドセージを一瞥して「……協力、してやれないだろうか」と、ロミエに向けて頭を下げる。
彼としてもロミエを助けてやりたい反面、親族であるハイドセージの力になりたかったのだ。
しかし、魔法式を微塵も理解できないアールグレイではどうにも出来ない。
ゆえに、ロミエの力に期待した。意志を、決定を求めたのだった。
そのことをロミエは知らない。
ただ、彼が本気でロミエに頼んでいること。本気でロミエの力を信用しようとしていること。……先輩として、助けてくれると言ってくれていることは、分かった。
(……その期待に、シュメリート監査長の期待に……応えたい。失望なんか、させたくない……だから――)
ロミエは震える右手を抑えながら、しっかりと顔を上げてハイドセージを、そしてアールグレイを見る。
「…………読みます、読めます。魔法式……よめっ、読みみゃふっ!」
(噛んじゃった……! こんな時にぃぃ……)
「うう……」と、盛大に噛んでしまい、赤く腫れた頬をさするロミエ。
普通に痛いし恥ずかしい。そのまま顔を覆ってしまった。
その手を、ハイドセージが強引に掴み上げる。
「よぉし良く言った! 早速魔法書を読むんじゃァ!」
「ひぁっ、ぅぁっ……ぃぁ……っ」
「な、大叔父殿ッ、女性が嫌がっているのだから離さんかぁッ!!」
──────────
研究棟を歩く、手枷みたいな無骨な腕輪を右手に付ける1人の少女がいた。
彼女の名はニコ・リシュリュー。肩あたりまで伸びた黒い癖ッ毛を、適当に二つに結ったみすぼらしい少女である。
彼女もまたロミエの様に超が付くほど人見知りで、特に自分よりも背の高い人を前にすると喉が痙攣して会話ができない。
アールグレイと出会ったときは怖すぎて泣いてしまった程である。
流石に三年も時間があれば慣れたけれど、それでも他の人と話すのは難しい。
そんなニコにも好きな事がある。文字を書くことだ。
それは物語であったり、魔術式であったり、数式であったり、記録であったり──《《書く》》という行為そのものが好きなので、特にこだわりは無い。
三年生である彼女は、今日も研究室へ魔道書を書きに行く。
彼女が所属する研究室はとても広いとは言えないし、様々な本が積みあげられていて、とてもじゃないが綺麗とは言えなかった。
だけれど、ニコはあの空間が好きだ。
(うしゅしゅ……文字がいっぱい、いっぱい書ける……)
彼女は小さく肩を揺らして、〈ハイドセージ〉研究室のドアを開く――そして、立ち止まった。
「…………はえっ??」
目の前に、本がない。
床に、本が積み上がってない。
潰れた絨毯がハッキリと姿を表し、埋もれていた木製の机が姿を表していた。
山のように積み上がっていた本は部屋の隅にまとめられ、魔道書は魔道書、それも属性や用途ごとにまとめられているではないか。
「……魔法の力とは、凄まじいな」
聞き覚えのある声がして、ニコは部屋の奥を見る。
紫がかった銀髪の同級生。ニコと同じ生徒会役員のアールグレイが、整った部屋を感心したように見回していた。
本のせいでほとんどスペースが無かった教授の机も綺麗に整頓され、特殊インクの空き瓶も適切に捨てられている。
そのそばに立っていたヨボヨボの老人、ハイドセージがニヤリと笑みを浮かべながら、ドアの前で唖然とするニコに目を向けた。
「お、今度こそニコが来たようじゃな」
「そぉぅっ、そぉ……その、これはぁ……ぃいったい……?」
「魔法書がついに完成したんじゃ!!」
「えうぇっ!?」
魔法書が完成した!?
教授がずっと研究していた事だ。これまで全く上手くいっていなかったのに、ついに上手くいったんだ!
―—すごい! おめでとうです!
そう言おうとして──ふと、教授の席に座る人物に目がいった。
黒っぽい灰色の髪の少女、一年生だろうか? 一応、生徒会会員証を付けているが、ニコは人の顔をほとんど見ないので知らない人物だ。
彼女は1冊の本を大切そうに抱え、「えへ、かんぺき……完璧な式……気持ちいい……」と呟いている。
「ぁあの、その人──は……」
「紹介しよう、コヤツはロミエ・ハルベリィ。今日からワシの研究員じゃァ!」
「へ……?」
「はえっ……?」
「……は?」
ハイドセージはロミエと呼ばれた少女の肩に手を置いて、堂々と宣言する。
人見知りなニコに、後輩が出来たらしい。
***
〈世界の法則を動かせる魔法を――魔法書を、アリストリア高等魔術学園の一年生ロミエ・ハルベリィが制作した〉
この事実はすぐさま、直ちに、遅延なく、ハイドセージ・シュメリートによって学園中に言いふらされることとなった。
しかし、研究室の予算が増額されることはなかったのだという……。




