【2-8】他の誰にでも出来ること
翌日、生徒会事務室にて。
ロミエは恐る恐る部門長の机まで足を運んだ。
「ぁ、あのっ、シュメリート監査長……っ。し、しごとっ……終わりまった……っ」(噛んでる)
「……本当か? 随分と早いな」
アールグレイが目を見開く。
無理もない。生徒会の業務が始まって、まだ半月も経っていないのだ。
他の机では、尚も大量の書類に囲まれており、絶えずカリカリシャラサラと滑る音が聞こえてくる。
そんな様子を横目に、アールグレイはパラパラとロミエが処理した書類を確認していった。
「……うむ、ひとつの漏れもないな」
「は、はいっ」
「……正直、驚いている。まさかここまで完璧とは……」
「ぁ……はい。ちゃ、ちゃんとしました」
「……」
(……えっ。な、なんで睨んで……?)
ロミエがぎこちなく相槌を打っていると、アールグレイが訝しむように目尻を立てた。
しかし、特に何か言う訳でもなく頭を振る。
「それにしても……ハルベリィ嬢は事務作業の経験があるのか?」
「……へ?」
「いや、無いなら無いでいい。……ただ、本当に良くやってくれた。助かる」
「は、はぁ……」
(そんなに褒められるような事、なのかな……)
再三の誉め言葉に、ロミエは頭を捻る。
ロミエとしては、ただ任された仕事をやっただけに過ぎないのに、アールグレイは「よくやってくれた」と言うのだ。
「そうだ、今日はもう帰るといい」
「えっ……」
「ん? なんだ、嫌だったか」
「ぇやっ、あ、あのっ……ま、まだ皆さん、仕事してる……ので……」
チラリと、さり気なく隣の席に目をやると、キルトエが「助けて! 手伝って! 終わるわけ無いのだ!」と顔に貼り付けて懇願している。
その様子に気が付いたらしい。アールグレイが「はァ……」と溜息を零した。
「……キルトエ・クルハンス、貴様が一番仕事が進んでいない。ミスが無いことは良いが、すぐにサボろうとするのはやめろ……」
「さ、サボってなんか無いっ……のだ!」
「では、その紙折りはなんだ……ッ! 書類で遊ぶんじゃない!」
「こ、これはーそのぉ~……そっそう、休憩! 気分転換というやつだ! ロミたんもやっていたぞ!」
「ロミ……あぁ、ハルベリィ嬢か。はァ……貴様と違って、ハルベリィ嬢は10倍は仕事が早いからな。そもそも、貴様は休憩が必要なほど集中していないだろう……ッ!」
「うぐぐ……っ」
そんな二人のやり取りに、なんだなんだと他の生徒会員が顔を覗かせる。
というのも、欠陥の影響もあってあまり口を開かないアールグレイが、珍しく声を荒らげているのだ。
だが、そんな事情なんて一切知らないロミエは、多数の視線を向けられて、きゅう……っと身を縮こませる。
「やあ、賑やかだね」
入口から凛と包み込むような声が、ちょっとだけ賑やかになった生徒会事務室に響く。
バッと視線を向けると、そこに立っていたのは亜麻色の髪を持つ青年、生徒会長リーンハルト・マークハリスその人であった。
「会長……っ! 失礼致しました、お見苦しいところを……」
「大丈夫だよ。それに、最近ずっと調子がいいみたいじゃないか」
「は、はい。……紛失してしまいましたが、授けてくださった御守りのおかげかと」
頭を下げようとするアールグレイを優しく制止し、リーンハルトは融和な笑みを浮かべる。
「そうかい? それは良かった。ところで……そう、この子はもう仕事を終わらせたのかい?」
「この子」と視線を向けられたロミエは、コクコクと頷く。
だが、リーンハルトの問いに対する意思表示はそれが精一杯で、ロミエはすぐに視線をそらしてしまった。
それを見かねたのか、アールグレイは少し肩を落としながら口を開く。
「……はい、ハルベリィ嬢はとても優秀です。最初こそミスがありましたが、それ以降は目立ったミスもありません。ただ……」
「ただ?」
「…………」
「……へ?」
言い淀むアールグレイが、ギロリとロミエに視線を向けた。
「……ただ、集中力が高いのは良いのですが、ハルベリィ嬢は目の前の作業に集中しすぎて、ときおり周りが見えなくなるのです。門限ギリギリまで作業を続けていたのも、一度や二度ではありません」
「ふぅん? それはいけないね」
「……はぇっ?」
不意にポンっと肩に手を置かれて、キョトンとロミエは目を見開く。
「丁度いい。ハルベリィ嬢、これから魔術戦で使用する魔法具を点検するんだ。監査一人の立ち合いが必要だから、来てくれないかい?」
「で、でも……」
「気分転換と思えばいいよ。それに、これも立派な仕事だ」
リーンハルトはそう言いながら、ロミエのあごに手を添えて、クイっと持ち上げた。
それこそ、男性が女性に口説くみたいに。
「…………は、へ?」
「ハルベリィ嬢、一緒についてきてくれないだろうか?」
「は……はい……」
呆然としながらも、無表情で頷くロミエ。その様子にリーンハルトは目を細める。
(……え、えっ、ど、どういう状況……?)
今の状況が理解できなくって、ロミエはパチリパチリと瞬いた。
一見してみれば、顔の整った貴公子が、キスをするために手を添えているようにも見える。
焦るでもなく恥じるでもなく、ただポカーンとしてしまうロミエ。
少しして、リーンハルトは特に何かするわけでもなく、スッと手を放した。
「……うん。アール、そういう事だから、少しこの子を借り受けるよ」
「は、はっ! ……ハルベリィ嬢、これも経験だ。しっかりと学んでくるがいい」
「わ、わかりっまひた……っ」
(か、嚙んじゃったあああぁぁぁ……!!)
そういえば、お腹から声を出すようにって言ってくれたのもリーンハルトだったはずだ。
それなのに目の前で嚙んじゃうだなんて!
(期待外れって思われちゃうよぉぉぅ……)
不甲斐なさで、目元がジーンとなるロミエ。
しかし、そんなロミエとは裏腹に、リーンハルトは「フフっ」と愉快そうに鼻を鳴らした。
「それじゃあ、行こうか」
***
生徒会室を出たリーンハルトは、ロミエを連れて学園の本部――アリストリア魔術師団の本部へと向かっていった。
陽はまだ傾き始めたくらいで、校舎を歩く生徒たちの数も多い。
二人はその人垣を乗り越えて、学園の正門を後にする。
「こ、校舎の外……なんですね」
「うん。魔術戦用の魔法具は、とても高価だからね。とてもじゃないけど、一般生徒には見せられない」
「そ、そんな大事な物……わ、わたしが点検しても、良いんでしょうか……」
「良いも悪いも、君はもう生徒会の監査だ。君はそれ相応の立場も、権限も持っているんだよ?」
「……で、でも……わたし、なんかが……」
「ハルベリィ嬢、君はもっと自信を持っても良い。君には、その資格があるのだから」
言いどもってしまうロミエに、リーンハルトは優しく語り掛ける。
「新入生の筆記テストでも君は主席だったし、魔道具暴走事故の時は、当日中に原因を究明してくれた。それに、監査部で担当していた仕事を、もう終わらせたらしいじゃないか」
「で、でもっ……そんな《《当たり前なこと》》……ですし……」
――任された仕事をやる。ただそれだけの事。
それだけの事なのに、どうして褒められる必要があるんだろう。
それに、それに……――。
「わたしは出来損ない、なので……きっと、きっとその当たり前も……いつか、出来なくなる……です」
「……そう」
不意に、先導していたリーンハルトが立ち止まるので、ロミエも歩みを止める。
「確かに、出来損ないはいつまで経っても出来損ないのままだね」
そう言ったリーンハルトは、ロミエに背を向けたままだ。
――出来損ないはいつまで経っても出来損ないのまま。
その言葉がロミエに――ニヒリアに、深く深く突き刺さる。
いつだって詰めが浅い。いつだって何かミスをしてしまう。意識しようとしても、どうしても意識の外が生まれてしまって、大抵そこに綻びが生じてしまうのだ。
黙り込んでしまうロミエに、リーンハルトは残酷に告げる。
「どれだけ努力しても、生来抜けている部分を直すことは難しい」
そう、どれだけ頑張っても、工夫しても、見直しても……予期せぬミスが絶対にある。
──絶対失敗しない、準備万端だし予行でも上手くいった。
──何度も何度も確認したし、二重チェックも済ませている。
──我ながら、完璧だ。
──完璧に噛み合っていて、構造に綻びなんて一切ない、素晴らしい世界が出来た。
──そう確信していても、絶対どこかに粗がある。
完璧であろうとして、完璧にしようとして――結果、全て上手くいかなかったのがニヒリアだ。この世界だ。
……ロミエだ。
(やっぱり、わたしは出来損ないなんだ……)
いけない、瞳にホロリと水面が張ってしまった。泣いたら気を使わせてしまう。迷惑をかけてしまう。
ロミエは慌てて水滴を拭おうと腕を上げて――その手を、リーンハルトの手袋が取った。
「けど、《《人は変わることが出来る》》」
「……え?」
ロミエは地面を睨んでいた顔をパッと上げる。その頬に一筋の雫が流れる。
目線が重なり、リーンハルトの水面色の瞳が、ロミエを貫くように覗かせていた。
彼は優しく目尻を下げて微笑み、諭すように口を開く。
「たとえ、少しの変化であったとしても、それは成長だと私は思うんだ。君はどう思うかい?」
「へん、か……ですか?」
「そう。たとえば、君は数日前から髪を綺麗に整えるようになったね。毎日きちんと手入れしている証拠だろう? それもまた変化であり、君の成長だ」
「で、でもっ……この髪、自分でじゃなくって……。ショルさんに……とっ、ともだちに、やってもらってる……のでっ」
ショルトメルニーャは髪を梳いてくれたあの日から、毎朝ロミエの髪も梳いてくれるようになった。
「どうして?」と聞いても彼女は答えてくれないので、その意図は分からない。
……だけど、ロミエはその穏やかなひと時が好きだ。
あの時間の事を考えるだけでも、自然と頬が緩むし、胸の内側がポカポカと温かくなる。
(けど、それはわたしの力じゃない)
あれはあくまで、ショルが親切心で勝手にやってくれていることだ。
そこにロミエの意思は無いし、髪のボサツキが無くなっただけで、何かが変化した感じもしない。
なのにリーンハルトは、何かを確信したように確固たる自信を持って言う。
「じゃあ、それはキッカケだね」
「キッカケ……です、か?」
「うん。一つの変化は、時に連動して別の変化を生む。それが、自分の行動によることじゃなくったって、いずれ自らの成長のキッカケになることがあるんだ」
「……そういうもの……なんです、か?」
コトリと、ロミエが首を傾げるも、リーンハルトはフルリと首を横に振るう。
「さあ……どうだろう。世の中に、絶対にそれが正しいなんて事は無いからね」
「……へ? で、でもじゃあ……どうしたら……」
「ハルベリィ嬢……いや、ロミエ。君は、ずっと出来損ないのままでいたいかい?」
その問いに、ロミエはフルフルと首を振る。
リーンハルトは満足そうに、フッと笑みを浮かべた。
「そう、ならもう少しじゃないか」
「もう少し、ですか?」
「うん。変わろうとする意志があるのなら――その決意があるのなら、あとは簡単だよ」
「……でも、変わろうと思っても……完璧に、しようとしても……なんにも上手く、いかないん……です」
記録ミスを挽回しようとして、作業に没頭したせいでアールグレイに迷惑を掛けたのも、一度や二度ではない。
創世時代だって、一つの欠陥を修正するたびに別の欠陥が生まれてしまい、収拾がつかなくなってしまったのだ。
何度も何度も、完璧であろうと頑張った。
世界を直そうと奔走した。
自分が出来損ないだから、出来損ないなりに出来ることを全て尽くした。
――それでも、できなかった。
「……きっと、きっとわたしは……ずっと出来損ないのまま……なんです」
唇を噛み締めるロミエ。そんな彼女の手を、リーンハルトは両手で優しく包みとった。
「最初から完璧にしようとしなくっていいんだよ、ロミエ。少しずつ、ちょっとずつ、小さな変化を積み重ねていくんだ」
「で、でも……それじゃあ期待に……お役に立てない、です……」
「ん? あぁ、 君は勘違いをしているね」
勘違い……?
コトリと、首をかしげるロミエ。サラリと柔らかな前髪が視界を遮ってしまうが、膝を屈めたリーンハルトがサスリと整える。
リーンハルトの水面色の瞳が、ロミエのエメラルドが混ざった深い青色の瞳を、真っ直ぐと見つめた。
「だって、君はとっくに役に立ってくれているじゃないか」
「えっ」とロミエは見開く。
自分が役に立っていた……? けど、ロミエがやったのは任された仕事をやっただけに過ぎない。
「で、でも……わたしはまだ、誰にでも出来るようなことしか……出来てません……」
「ううん、たとえ君がそう思っていたとしても、役に立ったかそうでないかを決めるのは、君以外の人たちだ。……参考までに、私は高く評価しているし、ロミエはとても役に立ってくれていると思っているんだよ?」
「……えっ」
「それにね、誰にでも出来るような当たり前な事を、ちゃんと真剣に取り組めることは、とてもとても素晴らしい事だ」
「誰にでも出来るからこそ、ついつい手を抜いてしまうからね」そう言いながら、彼はソッと優しく手を伸ばし、ロミエの瞼に浮かんだ水滴をさらう。
「ロミエは、とっくのとうに役に立ってくれているんだよ? 我々生徒会に、君は必要な人材なんだ。だから君は、《《出来損ないなんかじゃない》》」
「出来損ない、じゃ……ない……」
(……そう思っても、いい……のかな)
そう思いそうになって、フルフルと頭を振る。
ロミエは出来損ないだ。間違いない。
だってマトモに声が出せない時もあるし、しょっちゅう舌を噛んでしまう。
生徒会の仕事だって、これからどんどん複雑になっていくだろう。そしたら、今後も今までのように出来るとは限らない。
絶対どこかでミスをする。それがロミエだ。……ニヒリアだ。
ギュムゥっと、ロミエは唇を噛み込んでしまう。
「……少し、立ち話が過ぎたね。そろそろ行こうか」
「…………ぁ、はいっ」
そんなロミエの様子を察したのか、リーンハルトはくるりと踵を返し、師団本部へ向けて歩き出す。
(でも……でも、この人の善意を、優しさを……裏切りたく、ない)
まだ、ロミエは自分を認めるなんてできない。
だけれど……そう、リーンハルトが言ったように、少しづつ変化を積み上げていけば、いつか何かが変わるのかもしれない。
それに……そう、ショルが言ってくれたんだ。
挫けそうになっても助けてあげる――って。
ともだちでしょ――って。
「……ぁっ、ぁあのっ!!」
突然大声を出したものだから、変に声が震えてしまった。
「うん?」
リーンハルトは少し驚いたように眉を上げ、優しくロミエに振り返った。
(声を出す時は……お腹から……っ)
震えそうになる喉を、大きく吸った空気でせき止めて、ロミエはくっとお腹に力を入れる。
そして、しっかりと前を向き、胸の前でキュッと手を握って──リーンハルトの水面のような瞳を見つめた。
「わたし……っ! ちょ、ちょっとだけ……まえを、向いてみようと、思います……っ!」
「────」
リーンハルトは目を見開く。驚いたような、感動したような光を灯して。
すぐに、その目は優しく細められる。
「……あぁ。期待しているよ」
「はいっ……!」
リーンハルトの言葉に、ロミエはハッキリと答える。
期待されるのは怖い。だけど、その期待には応えたい。《《応えよう》》と、思えた。
(ちょっとだけ……頑張ってみようっ)
──気持ち新たに、張り切って行こう。
ロミエはその小さな手を、ギュッと握ったのだった。
──────────
世界の理にすら干渉しえる人の技――それが〈魔法〉。
その技法は、未だ確立されていない。
ごく少数の〈魔法使い〉はいるものの、その技術は彼ら彼女らの素質によるものであったりで、理論化することが困難なのである。
一応、かつての〈魔法使い〉が自身の魔法について理論化したものが書籍として存在してはいる。
しかし、あまりにも難解すぎるため、大多数の人間には読み取ることすらできないのだ。
ゆえに、その魔法具の点検は実際に動かしてみるしかない。
手のひらサイズの魔晶石に、淡く輝く六芒星が刻まれた魔法具を手にするロミエ。
彼女は魔力を流す前に、ポツリと呟く。
「──あ、この《《魔法具》》、《《壊れてます》》」
「…………う、うん??」
「ここの法式が解れかかってるのと……あ、あとここと、ここと……ここも崩れてます」
傍から見ればただ光り輝く六芒星の一部分を、ロミエは真剣な眼差しで指さしていった。
魔法具に刻まれた魔法式なんて、普通の学生に読み解けるハズも無いのに。
「……えーっと、ハルベリィ嬢。君は、魔法式を読めるのかい?」
「………………あ」
今さらロミエは自分が魔法式を読解出来る事を、リーンハルトの目の前で披露してしまった事に気が付く。
「頑張ろう」と決意したロミエは、ついうっかり張り切り過ぎてしまったのだった。




