【2-7】不味い紅茶の残滓は尚も
――貴女は、本当にニヒリア様なのですか?
そう問われたような気がして、ロミエはビクリと肩を震わした。
(そっか、ライラ様はニヒリアを求めているんだ)
だったら――ロミエは一刻の沈黙の後、その瞼を開く。
キリリと研ぎ澄まされた目尻と、その瞳に宿る深淵のような群青色の瞳孔に、ひれ伏すライラックが映された。
「――マイト・ランツは、私の協力者になった……なりました。今ごろ、イスベルク王国の刺客達と共に行動して、その目的や情報を知らせてくれる、はず……です」
「……なるほど、そういうことでございましたか。流石はニヒリア様ですわ。既に手を打っておられるなんて」
顔を上げ立ち上がったライラックは、そのままティーポットを手に取って、カップに注ぐ。
「せっかく来ていただいたのですから、どうぞお寛ぎくださいませ」
「あの失礼ライラ様まさかその紅茶はまさかご自身でまさか準備されたものですか??」
突然、それまで後ろで控えていた侍女が、間に割って入ってくる。
妙に早口な侍女は、何か焦ったように額に汗を浮かべて、ティーポットを凝視していた。
そんな侍女を、ライラックはジトッと睨む。
「そうよハルヤ。あと、口を慎みなさい。神の御前ですわよ?」
「は、はい。……し、しかし、この部屋に充満する香りは……」
「ハ、ル、ヤ?」
「…………失礼、いたしました」
ライラックに凄まれてもなお、釈然としなさそうにティーポットとカップを見つめながら、後ろに下がる。
すると彼女は、キョトンとするロミエに目を向けた――と思ったら、しきりに身振り手振り動かして何かを伝えようとし始める。
しかし、大袈裟に手や顔を動かすだけで、全く意味が伝わってこない。
「え、えっと……」
「申し訳ありません。あの侍女は、紅茶の事になると超が付く頑固者でして……。しかし、安心してくださいまし。こちらの紅茶、飲みやすくアレンジしておきましたの!」
「~~~~~~~~!!!!!!」
ライラックがニッコリ笑顔を浮かべたところで、侍女がこの世の終わりかと言いたげに、顔面蒼白で腕や頭をブンブン動かし始める。
けど、相変わらず大袈裟すぎて、ロミエには理解できない。
「……ハルヤ?」
「……………………失礼……しま、した……」
「ぁ、え、えっと……?」
「さあ、是非飲んでくださいまし! 妾の自信作ですの!」
そう満面の笑みで言われたら飲むしかない。
……なにやら侍女が、両手で首を抑えながら倒れていく姿が見えたが……いや、大丈夫なはず。
(こ、こんなに尽くそうとしてるし、毒殺なんて……ない、よね?」
念のため視覚を情報に切り替え、紅茶の成分情報を見てみても……うん、毒物は入っていない。
香ってみても、特に変な感じはしなかった。
「い、いただきます……っ」
それでも少し震えながらカップを口元に触れさせ、くぴっと紅茶を口に含んだ――途端。
「…………ぅっ」
ロミエは思わず、吐き出しそうになって口を押える。
(に、苦いのに甘くって、ちょっとミルクの面影があるのに苦いくって甘いいぃぃ……)
まさに、苦みと甘さが不規則に融合した狂騒曲。
そこに紅茶独特の強い風味と、ミルクのサラっとした風味が合わさって――まさに混沌とした紅茶(?)になっていた。
「まあっ⁉ だっ、大丈夫ですか⁉」
「ぅ……ぁ……はい……」
「そ、そんなっ。お口に合いませんでしたか……?」
「……ぇ、えっと……そのぉ…………ど、独特なお味、でした」
「うぅぅ……そう、ニヒリア様は苦い紅茶がお好きでしたのね……盲点でしたわ」
「……へ?」
キョトンと目を丸くする。
ロミエは苦い紅茶も飲めなくはないが、どっちかと言うと甘い紅茶の方が好きだ。
そもそも、この紅茶は、甘党かどうかの議題が出てくる次元の味じゃない。
飲み物かそうでないか、ギリギリの境界線を行ったり来たりするような味だ。
「え、えっと……ライラ様は、甘い紅茶がお好きなんです、か……?」
「ええ! なのに侍女のハルヤがずっと、ずぅ――っと苦い紅茶ばかり出してくるので、本日は妾が用意いたしましたの!」
「ライラ様、その紅茶の茶葉は何を使いましたか?」
「茶葉? さっきハルヤが淹れていた物ですけれど」
「…………」
キョトン、と目をパチクリさせるライラックに、侍女ハルヤは大きく、大きく肩を落とした。
「……ライラ様。あの茶葉は、絶望的に砂糖やミルクとの相性が悪いのです」
「えっ……そ、そんなことないですわ。――、――っと、ほら! 砂糖の甘みで苦さを打ち消せていますわよ!」
(それってたぶん、砂糖の甘味しか味わってないんじゃ……)
彼女の言う「おいしい」とは、もしや〈甘さ〉だけを指しているのではないだろうか。
紅茶(?)を涼しい顔で飲み干すライラックに、ロミエとハルヤは顔を見合わせる。
「…………ニヒリア様。別の紅茶をご用意いたしますね」
「あ、はいっ……お、おねがいします……」
「そんな……!」
侍女ハルヤの提案に、ロミエは素直にお願いする。
ライラックが可哀そうだけれど、それくらい彼女がブレンドした紅茶は後味が悪かった。……悪すぎた。
甘さと苦さの残滓が、なおも口の中に漂っている。
「そ、そんな……うぅっ、頑張ったのに……熱いし匂いは付くし、掃除も大変だったのに……美味しくなかっただなんてぇ……」
そう涙目になってしまう全能の魔女。
「あ、あのっ……も、もしかしてこの部屋の香り……って……」
「……失敗作の、余韻……ですわ」
なんだか誤魔化すように言っているが、ようは溢したらしい。
その証拠に、部屋の中なのにも関わらずライラックの装いは大賢伯の正装だし、よくよく見るとカーペットの一部にも染みが広がっている。
「……も、もしかして……家事が苦手……です、か?」
「……うみゅうぅぅ」
図星らしい。
「ぅぅっ……わたしは、わたしは〈全能の魔女〉なのに……全能なのに……魔術以外何もできませんのぉぉぉ……。で、でもっ紅茶くらいは……紅茶くらい淹れられると思ってましたの……思ってたのにぃぃ……!」
「そ、そうなんです……ね」
(……でも、ライラ様らしい……のかな)
可哀そうだけれど、その年相応に悲しそうな涙を浮かべるライラックの方が、なんだかロミエは親しみやすかった。
〈全能の魔女〉として完璧に振る舞うライラックより、こうしてシクシク涙を浮かべている彼女の方が、自然体のようにすら思えたのだ。
(……人のダメな所を見ちゃうのはダメ……だけど。……けど、その方が怖く、ない……)
不純だとは分かってる。
だけど──それでも、自分の不甲斐なさにシクシクと泣いているライラックを見ていると、自然と緊張が綻んでいった気がした。
「……ぁ、あのっ、ライラさまっ」
「……っ! 様付けなんていりません、妾のことは呼び捨てで……」
「ま、またっ、紅茶を淹れて……くださいっ!」
その言葉に、ライラックはキョトンと目を見開く。
「ぇっ……い、いいの……ですか? 妾は……妾は美味しくない紅茶を、お出ししてしまいましたのに……」
「だ、だいじょぶ、です……っ」
そう言うと、ロミエはライラックを真っ直ぐ見据えて、へにゃりと笑った。
「ひ、人は成長できる……ので。……えっと、その……ま、またお茶会、しまひょうっ!」
(噛んだ。噛んじゃった。こんな時に!)
「うう……」と頭を抱えるロミエ。けれど、ライラックはその言葉にわぁっと目を見開き、頬を少し染める。
「……、」
けれど、何かに葛藤するように一瞬目を逸らし──すぐにその視線を戻した。
エメラルドグリーンの瞳に、薄く水面を張らせたまま、15歳の少女らしい控えめで陽気な──心からの笑顔を浮かべる。
「はいっ、ニヒリアさまっ!」
「っ────。……?」
その笑顔の言葉に、なぜか胸の奥がモヤついた理由を、ロミエはまだ知らない。
だけど、ライラックにはこうして無邪気な笑顔を浮かべてくれている方が嬉しかったのは確かだ。
神と下僕の関係であっても、上下の関係があったとしても、一緒に笑い合える関係がいい。
――平等じゃなかったとしても、気兼ねなく話せる関係でいたい。
(……だって、だってそっちの方が、楽しかったんだもん)
気持ち悪いくらいに馴れ馴れしく「妹ちゃん」だなんて、お姉さん風を吹かせていたライラックとの時間の方が、ロミエは楽しかったんだ――
不味い紅茶の残滓は尚も残っているせいだろうか、ロミエはなかなかスッキリとした気持ちになれなかった。
***
その後ロミエは、ハルヤが淹れてくれた苦っっっがい紅茶に苦戦しながら、ライラックと他愛もない雑談をした。
第一王子護衛の話。契約精霊のキャリアスノーテンの紹介。紅茶の淹れ方の話。あと、アールグレイとの関係についてや、選択授業の話。
そして、交友関係の話になった時、ライラックの表情が陰ったのを、ロミエは見逃さなかった。
「ど、どうしたん……です、か?」
「あ、いえっ! 別に何でもありませんわ……」
「ニヒリア様、実は……ライラ様はご友人が少ないのです」
「は、ハルヤ!?」
「ですから、ライラ様はニヒリア様のご友人に嫉妬されているのです」
「ちょ、ちょっとハルヤ待ちなさい、何勝手なこと……」
「そ、そうだったんですね……」
「に、ニヒリア様っ。わ、わたしは嫉妬など──ぎゅむっ」
必死に首を横に振ろうとするライラックの口を、ハルヤが抑える。
そのまま膝をつき、視線を合わせてロミエの目を真っすぐ見た。
「ニヒリア様、誠に畏れ多いとは存じております。ですがどうか、どうかライラ様のご友人になっては貰えないでしょうか?」
「ん〜〜! む〜〜!!」
「ほら、ライラ様もそう言っております」
「は、はあ……」
(口を抑えながら言っても……)
しかし意外にハルヤも力が強いらしく、ライラックがどれだけ抵抗しても塞ぐ手が退けられる様子はない。
その格闘を他所に、ロミエはハルヤに言われた言葉を反芻させた。
「ごゆうじん……」
(わたしなんかが、いい……のかな)
そもそも、奴隷契約も同然な関係だというのに、〈友人〉になんてなれるんだろうか。
――なって、いいのかな……。
そう聞こうと、ロミエは2人をみて「あっ」と目を見開く。
「ん〜〜! む〜〜!」
なおもライラックは口を塞がれて、それでも必死に何かを伝えようと叫んでいる。
けど、そのエメラルドグリーンの瞳に……ほんの少し、ほんの少しだけ縋るような光が灯っていた。
その灯に照らされたロミエは、ホロリと零れるように呟いた。
「……わたしと、ゆうじん……なります、か?」
「──!?」
ライラックは大きく目を見開いて、一瞬俯いた後に「……(コクリ)」と小さく頷いた。
「……じゃ、じゃあ……ゆうじん、ですっ!」
「〜〜!」
「良かったですね! ライラ様!」
「〜〜、……っ! ……~、〜〜? ~~、〜〜??」
「あ、あのっ……もう口を塞ぐのは、やめていいんじゃ……」
「あっ」
「忘れてた」と顔に書きながら、ハルヤはパッと手を離す。
解放されたライラックはギロリとハルヤを睨むが、すぐにその視線をロミエに戻す。
「わ、わたしと……妾と友人になっても、よろしいのですか?」
「は、はいっ。そ、その……いっぱいいっぱい、お話できる人が……欲しかった、ので……っ」
ロミエにはともだちがいる。
ルームメイトのショルトメルニーャ、キルトエ、アナスタシア。
三人とも優しい人たちで、出来損ないなロミエを優しく受け入れてくれる。口下手なロミエに話題を振ってくれる。
――だけど、ロミエはニヒリアだ。
ニヒリアの事を話すことはできない。できっこない。
だけれど、ライラックは違う。
彼女はロミエの正体がニヒリアだと知ってもなお――いや、だからこそ親切に接してくれる。尽くしてくれる。
決して裏切らない協力者として。――味方として。
「……私は、世界に残る欠陥を、直したい……です。だから、そのっ……きょ、協力……して、くだひゃい……っ!」
噛んだ!
(決意表明のつもりだったのにぃぃぃ、これじゃ締まらないよぉうぅぅぅ……)
ロミエはギュムッと唇を噛む。
しかし、帰ってきた言葉は単純で、それでいて真っ直ぐだった。
「はいっ、もちろんですっ。もちろんですわ! 妾はニヒリア様のご友人で協力者、ですものね!」
そう無邪気に笑うライラックにつられて、ロミエもその頬をへにゃりと緩めるのだった。
「…………えへ」
―――閑話―――
「──しかしそれだと、妾とロミエ様が親しすぎて、変な疑惑を持たれかねないですわね」
「た、たしかに……」
「……そうだ、でしたら良い考えがございます!」
「そ、それは……いったい?」
「妾はお姉ちゃんで、ロミエ様は妹様ですわ!」
「……へ?」
「妾、ずっとずっっっと妹が欲しかったですの! それに、最初に合った時もそのように接していましたし、「大賢伯ライラックが自分の趣味でロミエ・ハルベリィを妹扱いして可愛がっている」なんて噂を流せばよろしいでしょう」
「え……で、ででっでもっ……それだと、ライラ様への風評被害が……」
「覚悟はできておりますわ。元より、貴女様のお力になることが妾達の幸せでありますゆえ!」
「はい、この前読んでいらした物語の悪役令嬢みたく、私達どもで華麗にニヒリア様をサポートいたしましょう!」
「は、はあ……」
(自分の評価を削ってまでサポートしてくれるって、それは《《悪役》》じゃ無いんじゃ……?)
いったいどんな物語なんだろう……? そうロミエは疑問に思ったが、その後聞けるタイミングが見つからなくなって、聞けずじまいになるのであった。
結局ライラックとニヒリア――ロミエの関係を誤魔化す為に、以下のシナリオで噂が流布されることとなる。
『ツヴァイリム大賢伯は大公家の末娘であることから、小っちゃい妹が欲しかった。そこで目を付けたのが、小柄で年下で、いつもオドオドしてるいかにも弱そうなロミエ・ハルベリィ。ライラックは強引に自分を姉と位置づけ、ロミエを妹として過度に優遇している』
大賢伯の信用問題にかかわりそうな内容で、苦笑いしかできないロミエがそこにあった。
次の更新は日曜日になります




