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【2-3】わたしは期待に応えたい

「貴様ら、なぜ笑う」



 アールグレイの低い声が、ロミエの薄い薄い鼓膜を静かに――そして確かに震わせた。


 小声で話していた生徒たちはみな、その口をつぐむ。

 普段、必要最低限しか喋らない彼が——言葉の欠陥を持っている彼が、ただ一人の少女を擁護するためにその口を開いたのだから。

 しかし、そんなことロミエは知らない。


「……ぁ」


 ロミエはその目を一瞬見開いて、すぐに陰らせる。

 しかし、アールグレイは珍しくその口をハキハキと盛んに動かし、言葉を並べていった。


「失敗とは成長への道しるべだ。それをなぜ貴様らは笑う? 嘲笑する? 笑みを浮かべて陰口を言える? 失敗したのなら前を向くという、その気概を貴様らは持ち合わせていないのか?」


(そっ、そんな気概ありませんごめんなさいいぃぃぃぃ……!)


 ロミエは半べそかきながら、あゎゎゎ……と口をグニャグニャと揺らす。

 なにせ、ちゃっかりロミエ自身も不細工に微笑んでいたし、なんなら「もう生徒会やめよう」と諦めていたので、アールグレイのその言葉がグサリグサリと刺さったのだ。

 そうとも知らず、リーンハルトはアールグレイの言葉にうんうんと頷く。


「うん、アールの言う通りだ。人の失敗を嘲笑ってはいけないよ。彼女は逃げずにちゃんと声に出せたんだ。それだけで、とても《《立派な事》》だとは思わないかい?」

「……ぇ」


(立派……わたし、が……?)


 予想だにしない言葉にロミエが顔をあげるも、リーンハルトもアールグレイもその視線はロミエには向けられていない。

 二人は陰口を叩いていた生徒達へ向けて、その水面の様な薄い水色の瞳と、アメジストを思わせる深い紫色の瞳をそれぞれ細めていたのだ。


「みんないいかい? 人は成長できる。今がダメでも、次に少しだけ上手くいけばそれでいいんだ。最初から完璧な人間なんて存在しないよ」


 リーンハルトの言葉にアールグレイが肯首した。二人とも、挨拶すらできなかったロミエを責めようとはしていない。

 ふと、リーンハルトはその瞳をすっと閉じ、親しみのこもった笑みを浮かべながらこの場にいる全員を見渡した。


「少しずつの成長を繰り返していけば、いつかにはきっと素晴らしい人になれる。そうやって成長してきたのが、現生徒会役員の皆だからね」

「こき使ったの間違いっスよ……」


 遠くで傍観していたシュベルトの言葉に、リーンハルトは「思いやりの鞭だと思ってほしいな」と融和な笑みを浮かべる。


「それに、ハルベリィ嬢は約1300人いる新入生の中で、筆記試験で主席なんだ。これ以上に、なにか説明は必要かい?」

「「———―」」


 「言ってごらん?」とリーンハルトは優しく促すが、誰も口を開こうとしない。

 場を支配するような威厳が――風格が彼にはあった。そんな人がロミエを肯定してくれている。

 リーンハルトはチラリとロミエを見ると、その目尻を少し下げた。


「ハルベリィ嬢、よく頑張ったね。アールに、監査長に聞いたよ。門限ギリギリまで作業をしてくれたみたいじゃないか」

「……ぁ。は、はいっ」

「その姿勢は素晴らしい。だけれど、頑張りすぎてもいけないよ? 困ったときは先輩を頼りなさい」

「は、はい……っ」


(し、失望されて……ない……?)


 リーンハルトの薄い水色の瞳は穏やかな光とともに、優しく細められている。

 そこには生徒会長として場を支配するような威厳も風格もない。彼の本質とすら思えた。

 それに何より彼は言った――とても立派な事だ、と。


(……わたし……ここに居ても、いいんだ……!)


 ロミエの小さな身体が、ギュゥっと込みあがってくる感情で満たされた。

 なんでだろう。生徒会なんてしたくなかったのに、逃げたかったのに……リーンハルトは融和な笑みでロミエを肯定してくれる。

 出て行けなんて言わない。ロミエの弱さを、ダメなところを受け入れてくれる。ダメだからって、出来損ないだからって見捨てたりしない。 


(居場所があるって……嬉しい……)


 ずっと、ずっと、居場所なんていらないと思ってた。けどわたしは……ロミエは、受け入れてくれる場所が——欲しい。

 ……だけど同時に、「そんなの要らない」と叫ぶ私がいる。


(どう……したいんだろう……わたしは……私、は……)


 再び俯いてしまうロミエ。そんな彼女を見るリーンハルトはフッと頬を緩める。


「……さて、以上で紹介は終わりだね。」


 そう言って、サッと生徒会役員・会員を見渡した。


「みんな、これから一年間同じ生徒会の仲間としてよろしく頼む。なかなかに忙しい仕事だけれど、皆が力を合わせればどんなアクシデントだって乗り越えられると私は信じているよ。これからの時期は魔術戦大会が控えているから、先の事件の事務処理含め、各々の役割を全うしてほしい。」

「はいっ! このヴィセント、会計長として全力で役割を全うします!! ……ふっ」


 リーンハルトの激励にいち早く反応したヴィンセントは、「どうだどうだ!」と言いたげにアールグレイを一瞥する。

 しかし彼の視線はヴィンセントへは向けられていない。俯き続ける1人の後輩に向けられていた。


(何か、言うべきか?)


 だが、かけるべき言葉がどうにも思いつかなくて、彼は小さくかぶりを振る。

 そんなアールグレイの代わりと言わんばかりに、リーンハルトがロミエに歩み寄った。


「大丈夫さ、君はこれなら強くなれる。私が保証しよう。だから──期待させてはくれないかい?」

「き、たい……?」


 自問自答していたロミエは、その言葉にハッと頭をあげる。


(期待……期待されてる……この人の、期待に……《《応えたい》》……)


 だって、そうしないとここにわたしの居場所は無くなってしまう。それに、こんなに優しくしてくれる人を失望させたくなかった。

 ロミエは不思議とリーンハルトの言葉に──その期待に応えたいと、そうハッキリと正面から思えたのだ。


「……はい。がっ……頑張り、まふっ」

「フフ……ああ、頑張ってね」


 そう言って亜麻色の髪の青年は、その水面の様な薄い水色の瞳を優しく細めるのだった。



──────────



 その日、ロミエは与えられた一週間分の仕事のほとんどを終わらした。

 それはもう凄い集中力で、途中何度もキルトエが揺さぶっても気づかなかったほどに。

 周囲が暗くなっても永遠と、黙々と、淡々と筆ペンを滑らせていた。


「……クルハンス嬢に言われて来てみれば……ハルベリィ嬢、貴様は――」

「———―ぁ、スンスン……えへ、いい香りぃらぁ…………」


 作業に没頭していたロミエは、不意に金木犀の良い香りがして自然とそっちに吸い寄せられてしまう。

 そして、壁に当たったロミエは顔を上げた。


「……ぁえ?」

「………………わざと、やっているのか?」

「…………あ……あ、あっああっあばっばばばっ……しっ、ししっしゅっ、シュメリートきゃんしゃちょぉぉぉ⁉」


 またもアールグレイに注意され、寮でショルに詰められたのは言うまでもない。



***



「……ふーん。イスベルクはもう動いた――か」


 自室にて、資料に目を通していた青年は、ファサり……と読んでいた資料の最後の束を脇に置いて、空いた机の上で手を組み顎を載せる。

 そんな彼に話しかける人影がいた。


「ハイ、アナイア帝国もじきに動くかと。ただ、シュヴァルツェン連合王朝の動きだけが定かになっていないのが気がかりである……と、申しておりました。」

「ふーん、そう……」


 亜麻色の髪をした青年は、チラリと薄水色の瞳を横へ向ける。そこには赤く燃え盛るような髪を肩ほどにパッツリとそろえた侍従が立っていた。

 感情の抜け落ちたような無表情を浮かべる侍従に、青年は肩をすくませる。


伯父上(おじうえ)はシュヴァルツェンの動向を気にしているのかい?」

「ハイ、同盟国とはいえ、かの王朝は狡猾でずる賢い。下手(へた)に動いて隙を見せてはいけない……と、申しておりました」


(《《こんな計画自体》》が馬鹿げているっていうのに?)


 そう心の中で嘲笑しつつも、口では「そうか」と頷いて微笑みを浮かべる。


「それで、他になにか言っていたかい?」

「ハイ、なぜロミエ・ハルベリィを生徒会に入れたのか……と、申しておりました。」

「なぜ……とは、どういう意味かな」

「ハイ、閣下の計画ではかの家も対象になります。気温が上がるイグニシアの季節には行動を開始するでしょう。そのような今、なぜロミエ・ハルベリィを生徒会へ入れたのか……と」

「あぁ……そうだね……」


 この侍従の前で下手なことは言えない。

 青年は無意識に、組んだ手を口元へと寄せる。


「……考えてみてほしい。私は生徒会長で、彼女は生徒会の会員だ。それに、継承権でも私の方が上であるし、実質的な傘下に入れた……と、周りは捉えることが出来るだろう?」

「ハイ、しかし閣下はかの家を生かすとは思えません」

「そうだろうね」


(あの男は自分の子にも手をかけるような奴だ。情けや容赦なんかかけないだろう)


「————、」


 おっといけない、感情が顔に出てしまいそうだった。

 青年は編んだ手の裏で、落ちていた口角をクイッと上げる。

 そして、カタリと椅子から立ち上がった青年は、その薄水色の視線を窓の外へ向けた。


「……今回の魔道具暴走事件の前、講義室の事故でロミエ・ハルベリィは《《何か》》が見えているようだった」

「何か、ですか?」

「うん、少なくとも彼女だけは気がついていたようだね。……《《亀裂兵器》》の魔力を」

「……なんと」

「それに彼女は、ライラック・アシス・ツヴァイリムと協力して、私の捜査依頼を完遂した。その時に、やけに親しくしていたと目撃情報がある」

「…………えぇと、つまり、どういうことです?」


(相変わらず勘が鈍い。……精霊ゆえ、仕方ないと言えばそうなんだろうけど)


 だが、精霊の力は強大だ。人間なんかよりも圧倒的に。この侍従も、その気になれば〈強者(つわもの)の家系〉である青年も、当主である閣下をも殺せてしまうだろう。

 青年はその事実を噛みしめながらも、腕を組んで余裕の態度を纏わせる。


「いいかい、このままだとハルベリィ家がシェード公爵と組む可能性がある。それも、〈円卓〉の〈全能の魔女〉と、だ。だからその前に彼女を我々が掌握しておけば、あとは煮るも焼くも自由だろう?」

「なるほど」


 分かったのか分かってないのか、その侍従は無表情を崩さずに言う。

 それがあまりにも不気味で――青年は咄嗟に、襟元の校章に手をやった。

 だが、侍従は気にした様子もなく淡々と告げる。


「そこまで考えていたのですね。さすが、シュテルンリッター公爵家令孫、《《ロンド王国王位継承権第2位》》リーンハルト・マークハリス様」

「お世辞はいい。それに、私はまだ3位だ」

「いえ、もう第2位です」

「……………………そう。なら、わざわざ肩書まで言わないでくれ。リーンハルトでいい」

「人間たちは肩書きを大切にするのではないのですか?」

「日常じゃ省略するんだ。……長すぎると、面倒だろう?」


(そうでなくっても、面倒に変わりはないのだけれど……ね)


 そう胸の内で自嘲しながら言うも、帰ってきた言葉は簡潔に「なるほど」と無表情で淡泊な言葉だった。

 まったく、これだから精霊は分からない。もしかしたら、今も自分の一挙一動をも観察しているのかも……。


(それに……そうか。あの男は、もうそこにまで手を掛けたのか)


 リーンハルトは背中に冷たい汗が滴り落ちていくのを感じながらも、口角を上げて余裕を取り繕う。


「炎霊イフリート、定期連絡ありがとう。計画に不備は無い。そう、閣下に伝えてくれ」

「かしこまりました」


 そう言って侍従はおもむろに窓を開けると、その姿を燃え盛る炎鳥(えんちょう)へと変える。

 そして火属性魔術を無詠唱で操り、爆発の威力を推進力へと変えて飛翔して行った。


(相変わらず、出鱈目な存在だよ)


「……いや、それは僕もか」


 青年はふふっ、と自嘲の笑みを浮かべて視線を落とす。

 夜のアリストリアは外灯の光だけが仄かに道を照らしていた。


(そうか……ロミエ・ハルベリィ。君は……いや、君も運命の中に囚われた囚人なんだ)


「今は……ね」


 そうさ、人は成長する。

 努力して、苦難を乗り越えていって――人は進歩や功績を残してきた。そうやって人々は国家を、魔術を、そして文明を築いてきたのだ。

 無能な神と違ってこの世界に生きる人々——いや、この国の人々は〈人の力〉で国を、文明を、技術を、そして〈強さ〉を手に入れたのだ。

 彼女だって……俯いて伏せ目がちのあの新入生だって、その小さな身体に詰まった可能性を開花させる時が来る。

 そんな種を、その亜麻色の髪の青年は沢山撒いていた。


(誰か、この計画を打ち破れるような……そんな人物が生まれて欲しい)


 最弱だった駒が、盤面にさほど影響しなかったポーンがプロモーション(上位の駒へ進化)してキングやナイトを脅かしてほしい。

 ……その盤面から、取り除いて欲しい。


 ――そうすればきっと、僕も楽になれる。


 その後のことなんかどうでもいい。もう僕の手は……いや、元より希望を掴める手なんて持ち合わせていない。

 その資格はとうの昔に斬り捨てたのだから――、


「……早く、奪いに来て欲しいなぁ。この血塗られた手を――玉座に置かれた、この首を…………、」


 その目は細く……細く細く細められ、薄水色の瞳に点々と輝く星空を映していた。

 広い天面(そら)のどこかにある、薄く薄く(またた)いている六等星を探すように繊細な眼差しで。

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