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【2-1】なんでもない/知らない噂

 ――チチチッ……チチチチチ……



「……んんっ」


 鳥の知らせと共に、ロミエ・ハルベリィは瞼を開ける。

 窓から差し込む陽の光がうっすらと、そして鮮明に部屋へと差しこんでいた。

 ここは……うん、知ってる天井だ。

 アリストリア高等魔術学園の女子寮の一室。ロミエはこの学園の一年生だ。

 まだ重い体を持ち上げると、長い髪が視界を遮った。黒っぽい灰色の髪はロミエの胸辺りまで伸びていて、結構うっとうしい。

 魔法を使う時なんかは後ろで束ねるのだが、日常的にもそうしてみようか――なんて思案していると、視界の端で金色の髪がチラついた。


「……おはよ、ロミエ」

「あ……お、おはようっござい、まふっ」


(か、噛んじゃったあぁぁ……!)


 うぅ……っと頭を抱えて俯くロミエ。

 朝起きたばっかりで呂律ががぁぁ……なんて心の内で言い訳していると、対角側のベットの上でゴールドの髪を()いていた少女は、プイッと顎を逸らす。


「ふんっ、朝っぱらから噛んでどうすんのよ」

「ご、ごめんなさ──っいぎゃう……!」


 何かが勢いよく飛んできて、ロミエの額を叩いた。

 謝ろうとロミエが口を開いた矢先、ショルトメルニーャがその手に持っていた櫛を投げつけたのだ。


「ごめんごめんって何回も言わないで! まったくもうっ、朝から気が滅入っちゃうわ」

「ううぅっ……ひゃいぃぃ……」


 ロミエが涙を浮かべて赤くなった額をさすっていると、不意にショルトメルニーャがベットから降りる。

 ……そのまま、ロミエの方にズンズンとやって来た。


「……櫛、返してよ」

「ぁ、はいっ」


 すかさず転がっていた木製の櫛を手渡す。


「ふんっ。────、」


 受け取ったショルトメルニーャは、自分の二段ベットの方に踵を向け――葛藤するように立ち止まったかと思ったら、クルリと引き返してきた。


「……へ?」


(えっえっ……なんで戻ってくるの……?)


 もしかして、どこか櫛が欠けちゃったりしたのかな。うぅっ、わたしがちゃんと喋れてればあぁぁ……!

 そうロミエが勝手に解釈して肩をビクビク震わせていると、ショルトメルニーャは「ん」と顎を振る。


「降りてきなさいよ」

「……は、はいっ……」


 な、何されるんだろぅ……ま、またビンタされるんじゃ……。

 震える手足でどうにか梯子(はしご)を掴み、なんとか地に足付ける。


「ほら、そこ座りなさい」

「……へ、え……な、なに、を……?」

「いいから座りなさいって言ってるでしょ……!」

「ひゃぁっ、ひゃいぃっ!」

「ばッ……⁉ シアとキリィが起きちゃうでしょう、これだっからロミエは!」


 焦って変な奇声をあげてしまったロミエは、ショルトメルニーャの吊り上がった瞳に睨まれて委縮してしまう。

 そのまま頭の角度が下がっていって――ドンっと丸い背中を叩かれた。


「ぐえぇっ……」

「はい、そこ座って」


 なにがどう……?

 ショルトメルニーャは混乱するロミエを無視し、強引にその肩を掴んで椅子に座らされる。

 な、なにされるんだろう……とビクビクしていると──不意に、ロミエの髪を優しく引っ搔くような感触が生まれた。


「……猫背だったら、髪が()きにくいのよ」


 ショルトメルニーャがその木製の使い込まれた櫛で、ロミエのボサついた髪を()いているのだ。


「へ、え……こ、これは……」

「ジッとしてなさい」

「は、はひっ……」


 ロミエは目を見開きながら、高鳴る胸の鼓動すら鬱陶しくて、ギュッと息遣いも抑える。

 そうしている間にも、ショルトメルニーャは丁寧に丁寧にロミエの灰色の髪を梳き流していった。

 こんな感覚いつぶりだろう。それこそ実家を離れる日に母親にやってもらった以来じゃないだろうか?

 その時の事を思い出したロミエは、すぐに「違う」と拳を握る。


──あれは違う……ともだち、の…………、。


 ロミエは込みあがってきた感情の濁流を受け流し、そういえば――と別の記憶を掘り起こした。


(……この人と、最初に合った時も同じように怒られたんだっけ)


 あの時はたしか模擬授業で、猫背だったロミエの背中をショルトメルニーャは押してくれたんだ。

 けれど、今はニヒリアの記憶改竄の影響で、彼女はロミエの事を嫌っている。

 実際、ロミエが部屋に戻ってきてからはキツイ言葉で当たってくる事がほとんどだ。

 さっきだって、ロミエが彼女の癪に触れてしまったせいで怒らせてしまったし。

 だからこそ、ロミエは「どうして?」という疑問が頭を巡る。


(……なんで、髪を梳いてくれるんだろう?)


 さっきからずっと、ショルトメルニーャは無言で灰色の髪と向き合い、丁寧に丁寧に梳き流していくのだ。

 全く手入れしてないせいで絡みに絡まくったロミエの髪を、できるだけ引っ張らないように優しく──優しく、ゆっくりと──ゆったりと流していく。

 それが──それがなんか、なんか……心地よかった。


「……なによ、その顔」

「えッ……いぇっあの……そのぉ……」

「言いたいことがあるなら、言えばいいじゃない。……言ってみなさいよ」


 ショルトメルニーャの口調は強い。節々に力がこもっているし、ロミエを嫌っているのは間違いない。


「………………言って」


 ……なのにどうしてだろう。彼女は……ショルトメルニーャは、どこか縋るようにして促すのだ。

 ロミエが嫌いで嫌いで仕方ないはずなのに。


(声を出すときは……そう、お腹からっ)


 ロミエは意を決し、ちゃんと喋れるようにグッとお腹に力を入れた。


「……そ、そのっ。なんで、髪を……梳いてくれるん……です、か?」

「…………」


 ショルトメルニーャは何も言わない。

 少し経ってから、ポツリと零れるように「……なんで、かしらね」と呟いた。


「わたくし……分からないのよ。ロミエは全然……ぜんぜん悪い子じゃない。精一杯頑張ってるって知ってるし、いっつも皆の目を気にして生活してる。……なの、に……わたくし、ロミィを…………貴女を見ていると、どうしてもムカムカしちゃうの」

「………………」


 ロミエはギュッと唇を噛み締める。

 それはきっと――いや、ニヒリアのせいだ。


(わたしの……私の洗脳のせいで、ショルさんの感情をおかしくさせているんだ……)


 ショルトメルニーャは……ショルはとってもとっても心優しい人だ。

 こんなロミエに優しくしてくれたし、記憶を改竄されて感情をコントロールされてしまっても、なおもその優しさを捨てきれない。

 ……ずっと、己の胸に渦巻く矛盾した感情に苦悩しながら。

 今だって、ロミエの髪を梳きながらその矛盾と向き合っているのかもしれない。


(私の……わたしの、せいで……)


 唇を噛む力を強くする。血が滲むが、どうせなら嚙み切ってしまいたい。

 なのにひ弱なロミエじゃ噛み切れず、その頭が俯きそうになって――グイッとおでこを押された。


「ジッとしてなさいって言ったでしょ。あと前髪だけだから、真っすぐ前向いてなさい」

「は、はいっ」


 ショルトメルニーャがロミエの正面に来る。

 ヒラリ……と、グチャグチャなロミエの前髪を捲り上げて、目に当たらないように慎重に、慎重に優しく櫛を通していった。

 ロミエの緑の混ざった深い青色の瞳に、さすり……さすり……と通っていく櫛が映される。

 その動きが止まって離れて行く――と思ったら、腰を下ろしていたショルトメルニーャの紫色の瞳と目が合った。


「うん、これでいいわね」


 そう言って、やっと彼女は微笑んだ。

 特徴的な青い頬を緩め、パッチリとした瞳を細めて目尻を下げている。慈愛に満ちているようで、それでいて自信を持っている顔。


 友達に向けるような、そんな裏表のない純粋な微笑みだった。


「……ぁ」


 こういう時、人は――いや《《ともだち》》は、どんな言葉を返すだろう。

 ロミエは浮かんだ言葉を、そのまま音にのせた。


「……ありがとう、ございます」

「…………えぇ、それでいいのよ」


 そう少し照れくさそうに頬を染めてそっぽ向きながら言うので、ロミエは「ふへっ」と息を吐くようにして笑ってしまう。


「んもうっ、何笑ってるのよ!」

「えへ、えへへ……」


 その怒りっぽい反応すらも、見ていてなんだか胸がポカポカしてしまって、自然とロミエも頬が緩んでしまう。


(……そっか、わたしはこの人と仲良くなりたかったんだ)


「えへ……なんでも、ないですっ」


 そう思った自分に──そうありたいと、心から思えた自分を意外に思いながら、ロミエはへにゃりと笑ったのだった。



***



「むぐっ、そういえばぁ~もぐぐっ……ん、みんなバイトは決まった?」


 不意に、ロミエの対面に座るアナスタシアが、口をモゴモゴしながら言った。


「シア、飲み込んでから喋りなさいよ」

「ん~? んぐっ、ごめんごめ~ん」


 「お行儀悪いわよ?」と対角に座るショルが注意する。

 ロミエは達はこの日の朝食も食堂に来ていた。

 ただ、ロミエは未だに飲酒の余韻が抜けないので、テーブルの上には簡単な野菜スープと小ぶりのパンだけが置いてある。

 ちなみに今日はキルトエが奢る番(?)だったらしく、軽くなった財布にトホホ……と肩を落としていた。

 ショルが言うには「ロミィに酒を飲ませた刑」らしい。


「それで、バイトの話? シアはもう何かやってるの?」

「やってるよ~。学園出てちょっとしたところにあるご飯屋さんで、今は皿洗いしかさせてもらえてないんだ~」

「皿洗いだけで金がもらえるなんて、最高だな!」


 キルトエの元気な言葉に、ショルはジトっと視線を動かす。


「……キリィは働きたくないだけじゃないの」

「労働が好きな人間なんていないのだ。そうだろう? ロミたんもそう思うだろう!」

「え……あ、は、はいっ。おもい、ますっ」


 「ロミたん」なんて呼ばれ方に慣れなさすぎて、咄嗟に頷いてしまった。

 ロミエは正直言いうと仕事や労働は嫌いじゃない。責任が伴ったり過度な期待されるのが嫌なのだ。

 単純作業ならばやるだけ結果が伴うので、どっちかと言うと好きである。

 同じ生徒会監査に属するロミエの同意を得たキルトエは、これ幸いと声を張った。


「ほら! ロミたんもこう言ってるのだ!」

「ほら、じゃないわよ! ロミィも流されないの」

「は、はいっ」

「そう言うショルたんは何かバイトしてるのか?」

「むぐっ。え、聞きたい聞きた~い。おひえてよ~」


 ショルはまたも食べながら話すシアをジト目で見て──すっと、その視線を下げる。


「………………わたくしは、パパとママからの仕送りで事足りてるから、バイトはするつもりないわよ」

「え~人に働けって言ってたのに~」

「働けとは言ってないわよ! それでッ、キリィは働かなくて大丈夫なの? お財布軽そうだけれど」


 ショルはすぐに話題を変える。まるでこれ以上問い詰められたくないかのように。

 ロミエが不思議そうに目をパチパチさせていると、軽い財布を指摘されたキルトエは「うっ」と声をあげる。

 しかし、彼女がなにか言う前にアナスタシアがパチンと手を合わせた。


「むぐっ……ご馳走さまぁ〜」

「相変わらずよく食べるなシアたんは……ま、我とロミたんに関しては大丈夫なのだぞ!」

「……へ?」


 なんでわたしも……?

 突然自分の名前が出てきてロミエが首をかしげていると、キルトエは無い胸を貼ってフンッ! と鼻息荒く言う。



「生徒会は、給料が出るのだ!」



「……えっ」


 それは初耳だ。ロミエはわあっと目を見開く。

 生徒会の仕事をしていれば給料が出るなら、もしやロミエはバイトしなくっても良いということでは?


(バイトしなくっても良いってこと……⁉)


「~~~~!」


 その事に密かに安堵して喜んでいると、ショルが「ふぅん」と肘をつきながらキルトエを見る。


「だから逃げなかったのね」

「いや、監査長が逃がしてくれなかったのだ」

「……あぁ、あの時も絶対逃さないって感じだったわね……」

「た、たしかに……」


 キルトエを拘束して生徒会室に向かったことを思い出して、ロミエとショルは苦笑いを浮かべる。

 するとシアは、思い出したように「あ~そういえば」と呟いた。


「監査長ってあの人か〜。片目の貴公子って呼ばれてる〜」

「片目の、貴公子……?」


 なにそれ……? とロミエが首をかしげていると、なぜか三人がニヤニヤとロミエの方を見る。


「え、へ? ……な、なんっ、ですか?」

「べっつにぃ〜?」

「ロミたん、ボクは応援するぞ!」

「ねぇねぇ~、先輩とどこまで行ったの~?」

「えっえっえ……? どこまでって……?」


(な、なにが……どういう……?)


 意味が分からず戸惑うロミエを、三人は分かったような顔でニヤニヤと眺めていた。


「な、なんなんです……か?」

「んー? べっつにぃ~? あ、そろそろ行きましょう。授業が始まるわ」

「なぬっ、もうそんな時間か」

「眠くなってきちゃったぁ……」

「シア、これから授業なのよ??」


 ロミエが聞いても、三人は答えてくれない。

 手早く食器を片付けて、教室へと向かった。


(わたしと片目の貴公子さんが、どうしたんだろう……? みんな知ってるような顔だったけれど……)


 「うーん……?」と頭にハテナを浮かべるロミエは知らない。


 学園新聞に大々的に描かれたロミエとアールグレイのツーショットの絵画が、今や学園中で話題になっていることを。


 ロミエは今や、これまで浮いた話の一つもなかった片目の貴公子──〈叡智の家系〉ノレッジ侯爵家嫡男アールグレイ・シュメリートの《《婚約者候補》》として勝手に担ぎ上げられていたのだ。

 そんなの知らないし興味もないロミエは、今日も今日とて変わらず授業を受け、監査の仕事をするために生徒会事務室に向かうのであった。

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