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【1-29】花々は美しく、その構図は鮮明優美に

「……ん、ぁれ……? こ、こは……」


 ロミエは知らない天井で目を覚ました。

 消毒液の香りが鼻をつつく。ヒンヤリと清潔なシーツがロミエを優しく包んでいた。

 どうやら医務室に寝かされているらしい


(なにしてたんだっけ……そもそも、どうしてここに……?)


 状況が分からず、まだボンヤリとする頭を回転させる。

 ……何か、大きな出来事があったような気がするけれど、肝心な記憶は濃霧に覆われてしまったように思い出せない。

 ロミエはうんうんと頭を捻りながら体を起こした。


「――あ、やっと目覚められましたのね!」


 突然、横から声をかけられて、ロミエはビクリと肩を震わす。だけれど聞き覚えのある声だ。

 まだピントの合わぬ目をパチパチと瞬いて、声の主を確認する。


「……ライラ、さま?」

「はい! あ、少しお待ちくださいませ」


 そう言ってクリーム色の巻き毛の少女ライラックは、防音結界を張った。

 部屋は一気に静寂に包まれる。遠くで聞こえていた喧騒や、廊下を歩く靴音も一切が遮断されてしまった。

 シーツの擦れる音と、ロミエの心臓の鼓動だけが激しく嫌に響いていた。

 だがライラックは、静かに苦悶するロミエに気づいた様子はなく、スッと椅子から立ち上がり、頭を垂れる。


「昨日は助けてくださり、誠に、誠にありがとうございました。これで……これで、やっとお話ができますね――我らが主、ニヒリア様」

「………………ぁ」


 彼女はスカートの裾を掴んで淑女の礼をした。

 その恭しい態度を見て、ロミエはやっと自分の行いを思い出す。

 ロミエは――いやニヒリアは、マイトに薬物を吸わされた後、人前で神としての力を行使したのだ。


「さすがはニヒリア様ですわ! 悪魔を滅ぼし、殿下の刺客を退け、さらには学園中の亀裂を完全に塞ぎ、殿下の傷を癒してその命をも助けてくださるなんて!」


 ライラックはどこか誇らしげに、頬を赤く染めて嬉々として語る。

 ……しかし、それだけじゃない。

 ロミエは震える喉を、どうにかこうにか抑えながら言葉をひねり出した。


「……わ、たしは……みんなの、記憶を……」

「はい! この国はあなた様を忌み嫌っています。だからこそ、ニヒリア様の記憶改竄措置は完璧でございましたわ! 全ての功績を〈大賢伯〉の(わらわ)の仕業にすれば、自然な形で人々を納得させられますものね。このライラック・アシス・ツヴァイリム、御身の身代わりとして完璧に振舞って見せます!」

「…………は、ひ……」


 全てを思い出したロミエは、顔面蒼白でぎこちなく返事を返す。

 ヒィヒィと喉が震えて、上手く呼吸ができない。

 とてつもない罪を犯した罪悪感で潰れしまいそうだった。


「……? どうか、されましたか?」

「………………ライラ、様は……怖く、ないです……か?」


 ライラックはニヒリアと契約を結んだ。

 その内容はニヒリアに対する絶対服従。裏切った瞬間、魂ごとその命を破壊しつくしてしまう。


「怖くなどありませんわ!」


 それなのに、奴隷契約も同然であるというのに、ライラックは嬉々として少女らしい笑顔を浮かべるのだ。


(わらわ)は……(わらわ)達はずっとあなた様の帰還を待ち望んでいたのです! この国に合併され、忠実な大公爵家として振舞っているのも、全てはニヒリア様の為なのです!」


 ライラックはしきりにニヒリアのため、ニリリアのためだと言う。

 それは自分に向けられたものだ。この人は全力で私をサポートしようとしてくれている。出来損ないの神、ニヒリアの為に。

 ……なのに、心に渦巻く空虚は拭われない。それどころか深まるばかりだった。


「……ありがと、ござい……まふ……」


 だけれどライラックは味方だ。

 この世界で信じられる唯一の味方。それが奴隷契約によるものであったとしても、〈友達〉や〈ルームメイト〉なんかの不鮮明な関係じゃない。

 絶対に裏切られない、契約による主従の関係。

 それで、それでいいじゃないか。それ以上の何を望めるだろう?


「……あの、ライラ様」

「どうか二人の時は呼び捨てで構いませんわ!」

「…………ライラ、さん。しばらく、部屋に泊めて貰えません、か……?」


 そう縋るように呟いたロミエに、ライラックはパアッと顔を明るくしてうんうんと頷いた。


「もちろん! もちろんでございますわ! このライラック、身命を賭してご奉仕させていただきます‼」

「と、泊めてもらえる、だけで……いいです……ので……」

「はい! この(わらわ)にお任せ下さいませ!」


 ライラックは小気味いいくらいにロミエを受け入れてくれる。

 何のためでもない。ただ、会いたくない人の――人たちの所へ行きたくないが為にも関わらず。


(……よ、かった。もう、これでもう……会わなくっていい)


 ロミエは無意識に唇を噛み締める。

 血が滲んでも関係ない。その痛みすら、自分の所業に対する罰だと思えば気持ち良かった。


(ショルさんは、ちゃんと嫌ってる……かな)


  チクチクザクザクと心を削り落としながら、無理やり口角を上げる。

 これが正しい。これで合ってる。だってもう合わないのだから。

 ……もし仮に彼女と会っても、もう友人じゃない。



 だってニヒリアは……ロミエは、ショルトメルニーャの記憶を改竄して、ロミエを心の底から嫌うように仕向けたんだから──。



――――――――――



 次元の亀裂を利用した第一王子暗殺未遂事件が起きた後、アリストリア学園は一週間休校になった。

 現場調査や安全確認のため、校舎の建物に入ることはできない。図書館や庭園は開かれているので、多くの生徒はそこで時間をつぶしているらしい。


 ロミエはというと、目を覚ました当日はライラックの部屋で寝たきりになっていた。

 魔法を使いすぎて魔力不足になっているのもそうだが、何より〈雹滅の魔女〉と言うイスベルク王国の刺客による攻撃の痛みが、なおも残っていたのである。

 ニヒリア状態の時は痛みを無視できるのだけれど、こうも普通の人間であるロミエの状態だと、手を動かすだけで涙が出るほど痛かった。


 だからライラックに看病をしてもらいつつ、事の顛末を全て教えてもらった。

 まず、今回の事件はイスベルク王国の新兵器によって計画された、第一王子リフィル殿下の暗殺未遂であるということ。

 そして、その手段として用いられた次元の亀裂は、〈全農の魔女〉ライラックの尽力により最小限に抑え、顕現した悪魔も討伐。

 ニヒリアの関与は全て揉み消され、全てライラックの業績として伝えられたらしい。

 それもあって、ライラックには引っ切り無しに呼び出されては赴き、呼び出されては部屋を後にしていた。

 それでも一段落付いたら絶対に部屋へ帰ってきて、慣れぬ手つきでロミエの看病をしてくれるのだ。


 ロミエは申し訳なさすぎて何度も断ったのだが、ライラックは「ご奉仕させてくださいませ! それが(わらわ)の至上の喜びにございます」と首を横に振る。

 それから彼女は、これ好機とばかりに、ロミエに向けて色々な話をしてくれた。

 シェード大公爵家の事、他の〈大賢伯〉たる〈円卓の十一賢者〉の事、ニヒリアに対する信仰と誓いなど――。

 敵や他人しかいなかったロミエ――ニヒリアに、心強い味方ができた。

 それも彼女は裏切ることができないし、そんな素振りも無い。

 これ以上に有難いことは無いはずなのだ。

 ……なのに、それなのに。その日、ロミエは(つい)ぞ眠ることができなかった。



――――――――――



 次の日、多少動けるようになったロミエは部屋を出て、学園内の庭園に向かった。

 ライラックの親切心は有難かったけれど、どうしても落ち着かない。

 一人になる時間が欲しかった。


(どうせなら最初みたいに「お姉ちゃんと呼びなさい!」なんて言って、高圧的な感じで接してくれたらいいのに……)


 なのにライラックは、ロミエをニヒリアとして優しく、丁寧に扱ってくれる。

 ロミエは無意識に唇を噛み締めながら、そのふらつく足取りでどうにか庭園へと辿り着いた。


(…………すごい)


 目の前に広がる、満開の花畑にほぅっと感嘆の吐息が零れる。

 赤い色彩にはバラやチューリップ、その隣にパンジーやアジサイ、ネモフィラやラベンダーといった青の色彩の花々が見事に咲き誇っていた。奥を見渡せば黄色や白、ピンク色の花々の花壇もある。

 それらが、なだらかなグラデーションを描いていた。

 まだ寒さが残る季節だというのに、この花畑には様々な季節の花が植えられ、その魔力と香りを漂わせている。


(……自分にも、こんな美しい魔法が使えたらいいのに)


 なんて考えていると瞳がうるっとしてしまい、慌てて袖を上げて拭う。

 このまま花畑の中に居たいのはやまやまだけれど、歩き疲れてしまったロミエはベンチを探して……諦める。

 学園が休校になったからか、庭園には多くの生徒が訪れていて、とてもじゃないが空いてるベンチは見当たらない。

 そもそも、一人でいる時間が欲しかったロミエは、その踵を背の高い薔薇園へと向けた。


(奥へ奥へ……できるだけ、人と会わないような、来なさそうなところに行こう)


 ズンズンと何度も曲がり角を曲がり、薔薇園の奥へ奥へと進んで行く。できるだけ人が居ないところへ、人が居ない奥地へと進んで行った。

 だが、未だに戦いの疲れが取れていないせいで、ジワジワと体の内側が疼くように痛んでしまう。

 だけれど薔薇園はとても素敵だった。

 なにより香りが素晴らしい。ロミエの身長以上に伸びた薔薇達は、その優美な香りを漂わせて鼻腔を包み込んでくる。


(……あ、でも、居すぎたら魔力中毒になるんだっけ)


  そんな事を事件の前に先生が言っていたな――なんて思い出しつつ、軽い眩暈にふらついていると、都合よく道の先にベンチがあった。


(よかった……もうそろそろ足が限界……)


 トボトボ……と、ロミエは半目になりながら向かっていく。


(すわりたい……つかれた……やっと休めるよぉぅ……)


 一歩、また一歩を踏みしめながら近づいていくロミエ。

 だが、軽度の魔力中毒状態になっていたロミエは気が付かなかった――薔薇の影に隠れて見えなかった、紫がかった銀髪の男子生徒の存在を。


「――ロミエ・ハルベリィ嬢? こんなところで何をしている?」

「は、ひ…………え?」


 そう声をかけられてやっと気が付いた。

 辿り着いた目の前にあるベンチには生徒会監査長、そして欠陥を暴走させていたアールグレイ・シュメリートが座っているではないか!


(え、え、えぇぇっ!? な、なんでっ、この人がここにぃぃ⁉)


 予想外の人物。

 それも改竄したとはいえ、ニヒリアとしての振る舞いを見せてしまった人間と遭遇してしまったロミエは、ダラダラと冷や汗を流す。

 口をパクパクさせていると、驚いていたアールグレイは怪訝そうに口を開いた。


「体調が優れないのか? ならば何故ここにいる。部屋で休むべきであろう」

「……ぁ、あのっ……その、ま、魔力回復……の、ために……」

「……ハルベリィ嬢も、先日の事件に巻き込まれていたのか?」

「は……はいっ」


 その言葉を聞くと、キュッと眉間に皺を寄せていたアールグレイは、何かを考えこむように目を瞑る。

 ニヒリアが訓練場で意識を失って医務室に運び込まれてしまったので、辻褄を合わせるためにロミエも事件の被害者ということになっているのだ。


「……ならば、ここに座るといい」


 その事情を察したのか、アールグレイは腰を上げて去ろうとする――が、どうにも足がおぼつかない。

 頭を抑えてヨレヨレっと倒れそうになりながらも、どうにかベンチの背もたれに手を置いた。


「しゅ、シュメリート監査長……っ!? わ、わたしは大丈夫っですから、座って、くださいっ!」

「……構わん。これしきの……眩暈、など……耐えて……みせ…………る――――」

「シュメリートかんさちょぉぉぅ⁉」


 アールグレイはバタリと倒れてしまった。

 その顔色は青白く、汗も滲んでいる。相当な無理をしてまで立とうとしていたのだ。

 悪魔に憑りつかれた影響で、未だに体が万全じゃなかったのだろう。

 魔力中毒の症状もあるようで、彼はしきりに浅い呼吸を繰り返していて、危険な状態だった。


「ど、どどどっどうしようぅぅ……」


 助けを呼ぼうにも、生憎ここは背の高い薔薇園の奥地だ。

 そう都合よく人が通りかかることはないだろうし、かと言ってロミエより頭一つ以上背の高いアールグレイを担ぐことはできない。


(とっ、とにかくっ、中毒症状を緩和させないと……!)


 アールグレイは瞼を閉じ、揺さぶっても起きる様子がない。完全に意識を失ったようだ。

 それなら好都合……なんて思ってしまう自分に心底軽蔑しながら、魔法を編んでいく。

 そしてアールグレイの体内で渋滞を起こしていた魔力を綺麗にとっぱらい、調整していった。


「……ふぅ。これで大丈夫、かな」


 ロミエは額に浮かんだ汗を拭う。

 アールグレイは未だに意識が戻る様子は無い。けれど脈や呼吸も落ち着いている様子で、なんとか危機は脱したようだ。

 とはいえ、このままベンチに倒れたままにはしておけない。


「……ぅっ、く……」


 突然、ガンガンと殴られるような頭痛に苛まれる。


(……魔法、使いすぎちゃった……かな)


 ロミエはその痛みに歯を食いしばりながらも、アールグレイの体に手を回した。

 アールグレイはその身長の割に華奢だ。だから、非力なロミエでもギリギリ動かせられなくもない……のだが……。


「うぎぃゅぅぅぅぅぅ……!!!!」


 それこそ腹から奇声をあげながら、ロミエは持てる全力を尽くす。

 顔まで真っ赤にしながら、どうにかベンチに腰掛けさせることに成功した。


「ちょ、っと……きゅうけい……」


 フラフラと揺れながら、ロミエはアールグレイの隣に座る。

 それがまた何とも楽だった!

 さっきまで悲鳴をあげていた足腰だが、突然その圧力から開放されたことによって、プカプカ浮くような感覚に陥る。夢見心地とさえ言えようか。

 しかし、その感傷に浸っている場合じゃない。早く助けを呼びに行かないと……。

 そう決意して、グッと足に力を入れて立ち上がろうとして……諦める。


「……もう少しだけ、もう少しだけ、座っていよう。……もうちょっと、もうちょっとだけ」


 もう少し、あとちょっとだけ……元々疲れた体を休ませるためにベンチを探してたんだから、少しくらい休憩したい。


(もうちょっと……もうちょっと体力が戻ったら立とう)


 もうちょっと、もうちょっと……もう少しだけ……あとほんのちょっと、ほんのちょっとだけこのまま……────。


「──スヤスャ……スー、スヤスャ……スピィ……」


 ……そのまま、ロミエは瞼を閉じる。

 昨日まともに寝られなかったこともあり、ロミエは幸せそうな寝息を漂わせながら、薔薇園の真ん中で熟睡してしまう。

 しかし、ここは薔薇園の中に置かれたベンチだ。あまり座り心地が良くないし、頭が重くて不安定だった。


「んん……っ……」


 だからロミエは無意識のうちに、その身体を横に傾ける。

 アールグレイの肩に、その灰色の髪を(うず)めるように添えて──。



――――――――――



 その光景を、黙々と描く人物がいた。

 彼の名はレヴェアル・クロマ・ピクトール。

 アリストリア学園の3年生にして、数多くの絵画コンクールで実績を残す、男爵家出身の若き芸術家である。


「いい……素晴らしい……最っ高だ、エクセレンっツ……ッ!」


 彼はその瞳をキラギラと光沸とさせ、一心不乱に筆を滑らせていく。そのキャンパスに描かれていくのは、薔薇に囲まれたベンチに座る二人の男女。

 男の方とは面識があるし、2人ともどこかグッタリとしているが、芸術の世界にトリップしているレヴェアルには関係ない。

 男の肌を健康的な色で表現し、苦しそうな表情も穏やかに。少女の方は少し乱れている灰色の髪をそのままに、距離を縮めてコトリと頭を置いてあるように。

 そして、その周囲に咲き誇る薔薇は敢えて不明瞭にして、真ん中に座る二人の彩度を際立たせていく。


「……いいッ。絵物語で紡がれていくような友情、信頼、後日譚っ! 咲き誇る薔薇薔薇もその関係を密かに、しかし鮮明優美に暗示しているようだ……ッ! なんと、なんと素晴らしい構図っ! 感謝するっ、感謝するぞ我が友アール……ッ!」


 レヴェアルは友を称え、感謝しながらその筆を滑らせていく。

 被写体である彼と彼女が、今にも死にそうな顔をしている事なんか気にせずに。



 彼はあくまで芸術家であった。

 この後、駆けつけたライラックが二人を回収しました。

 レヴェアルはというと、完成した絵をちゃんと持って帰ったそうです。

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