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【1-26】 悪魔/全能の魔女

「ン~いいねェ~。こいつァ~欠陥持ちかァ。へっへっ、俺ァついてるぜェ?」


 そうあざ笑う悪魔の口は三日月型に裂けていた。

 背中からは蝙蝠の様な漆黒の翼が双翼に広がり、手足の爪は鋭いクローのように伸びて、頭には角さえ生えている。

 放たれる存在感――いや魔力は圧倒的。リフィルは《《見える》》からこそ、その恐ろしさを理解できてしまった。

 恐怖で足を竦ませていると、その悪魔は口角を上げて醜悪な笑みを刻む。


「ビビったかァ? へっへっ、久しぶりの世界だァ~。お前タチのタマシィ、味わっていただいてやるぜェ?」


 声すらも変わってしまった。

 ネトネトザワザワと耳障りで、聞いているだけで気分が悪くなるような声だ。


(ど、どうするどうしようグレイ殿が取り憑かれた助けないとでもどうやって? 悪魔は闇属性だから光属性の魔術でしか対抗できないのに僕は僕じゃ王族なのに使えないといけないのに使えない、使えない……)


 混乱して上手く頭が回らない。色んな感情が渦のように駆け巡ってしまい、何も動けなくなってしまった。

 そうこうしている間に、悪魔は完全にアールグレイを取り込んで本来の姿に戻ったらしい。

 黒いボロ絹のような外套に、紫がかった黒髪。元々高かった身長もさらに高くなって、遥かなる高みから人間たち(食糧)を値踏みするように見下ろしていた。


「殿下っ! 早くお逃げを!」


 ハッとしてパチパチと(またた)くと、抜剣したアイリシカが剣を構えてジリジリと悪魔と対峙していた。


「……っ、で、でも……!」

「私が時間を稼ぎます。だから早く、この場から逃げなさい! 逃げるのです!」

「そうはさせねェよォ? お前タチは糧なんだからよォ、大人しく食われやがれってんだァ!」


 悪魔は「キシャァ!」と爪を立て、リフィルに向けて伸ばしてきた。


「ッこれしき……!」

「……っ、アイリシカ……!」


 呆然と立ち尽くしていたリフィルは、間一髪でアイリシカが剣で起動を逸らしてくれて助かった。

 そうしてやっと我に返る。


(悪魔は強敵だ。長いクローだけじゃない、奴らは闇属性魔術を無詠唱で使える……だから適応される前に早く倒すのが定石……だけど……)


 戦力が圧倒的に足りない。

 そもそも、闇属性魔術は未だ解明されていない領域が大きく、防御結界が確立されていない。魔術戦結界の中でも普通に攻撃が通る。

 それに悪魔の魔力は膨大だ。消耗戦になったらジリ貧なうえ、悪魔は詠唱を必要としないから手数も速度も圧倒的に上なのだ。


(……倒すなら、今しかない……!)


 圧倒的劣勢。だけれど、ここで逃げたらもっと手が付けられなくなってしまう。

 リフィルは火属性魔術の詠唱を開始した。短縮詠唱はまだ使えないから、単純な〈火球〉を生み出す初級魔術だ。


(こんな攻撃、当たるわけない……だけど――)


 詠唱を終えて放った火球は、いとも簡単にかわされてしまう。だけれど、おかげで距離を取ることが出来た。


「アイリシカ! あの悪魔はここで倒さないと大変なことになる……っ」

「……ッ、しかし……」

「アイリシカの使命が僕の護衛なら、僕は……私はこの国の王子として、役目を果たしたいんだ!」


 チラリ、と周囲に視線を向ける。

 まだ生徒たちの避難は完了していない。出入口が小さいせいで混雑してしまい、なかなか避難が進まないのだ。

 教員の到着もまだ。


(僕はみんなが逃げられるように注意を引く。だからアイリシカは僕やみんなを護ってほしい)


 そう意思を込めてアイリシカに目を向ける。

 彼女もその意図を汲み取ったらしく、一瞬の葛藤のあと不承不承と頷いた。


(悪魔はまだ魔術を使えてないから、その間に倒す……!)


 リフィルが時間を稼ぎ、アイリシカが生徒を守る。そのうち教員が来るはずだ。それまで耐えられたらいい。

 次は風属性魔術を──そう思って魔術詠唱を始めようと口を開いたリフィル。


「────ぅッ……」


 だが上手く声が出ない。

 代わりにその口からは、生暖かい鮮血が溢れてきたのだ。


「…………ぇ」


 ズキンッ、と胸の辺りが熱くなり、痛みが広がっていく。

 周囲に展開された防御結界がバラバラと崩れていった。


「で、でんかぁぁぁ――‼」


 アイリシカが絶望の表情を浮かべて手を伸ばす。その手を取ろうと、リフィルも手を伸ばして――やっと気が付いた。


「に……げ……」


 彼の胸に、深々と漆黒の槍が突き刺さっていたのだ。

 魔術戦結界の効力は四大属性だけにしか発揮しない。故に、悪魔の使う闇属性魔術は人体を容易に傷つけられるのだ。


「ぐふっ……」


 口から鮮血が溢れる。声を出そうとしても声が出ない。

 貫かれた胸からもドクドクと赤い液体が流れ出ていき、手足が冷たくなって感覚が遠くなっていく。


「――っ! ――――‼」


 アイリシカが必死の形相で語り掛けてくる。だけれど、何も聞こえなかった。


(逃げて……僕の事はもういいから)


 そう言おうと口を開くも、出てくるのは「グブッ……ォエ」と血しか出てこない。

 その時、アイリシカがの背後に魔術陣が出現する。悪魔の無詠唱魔術だ。


「……っ!」


 声を出そうとしても出せない。それでも危険を伝えようと何度も何度も足掻いた。

 だけれど、もう遅い。


「ざァんねェ~ん。とっとと逃げときゃァほんの少しだけ生き残れたのによォ?」


 悪魔があざ笑い、再び生み出した漆黒の槍が、リフィルを貫いた時のようにアイリシカに向かって飛翔した。

 アイリシカも気が付いたがもう遅い。振り返った瞬間には目前まで槍が迫っていて――


 ――瞬間、冷たい空気が身を包む。

 パッと見開くと、アイリシカを貫くはずだった黒槍が氷の壁によって阻まれているではないか。

 ……いや、それだけではない。

 死の淵に瀕したリフィルの身体を、冷たくも優しい氷が包んでいく。



「ギリギリ間に合いましたわっ!」



 不思議にも、その声がリフィルに届いた。

 リフィルはどうにか首を動かし、声の主を確認して――自分の頬に水滴が伝った。

 その水滴もすぐに凍ってしまうというのに、不思議と寒くない。


(あぁ……助けられた、助かった……)


 この場にはアールグレイの身体を乗っ取った悪魔がいる。

 既に、詠唱無しで魔術を行使できるくらい馴染んでしまったらしい。

 だけれど、彼女が来たなら大丈夫だ。


(〈円卓の十一賢者〉……ロンド王国が誇る〈大賢伯〉が一人、〈全能の魔女〉……)


 彼女は若くして上級魔術師となり、さらに上位精霊とも契約して魔術師の最高峰に至った逸材だ。

 クリーム色のウェーブがかった髪の少女は、自信に満ちた余裕の表情を浮かべている

 彼女の名はライラック・アシス・ツヴァイリム。

 シェード大公爵家令嬢にして同時展開魔術を開発し、現代最強の魔術師の一人として呼び声高い天才少女である。


(どうか……どうか皆を……グレイ殿を、助けて……)


 リフィルはそう願いながら、その氷の中で瞳を閉じたのであった。



――――――――――



 襲ってきたフードの男をボコボコにし、急いで訓練場に向かったライラックは、その現状を二階席から俯瞰してギリリと奥歯を噛む。


(間に合った……とは言ったものの、最悪の一歩手前でしたわね)


 悪魔は取り憑いた肉体に完全に適応しているようだし、生徒たちの避難も済んでいない。

 そのうえ、護衛対象の第一王子は胸を貫かれて死にかけている。ギリギリもギリギリだ。

 幸いここが魔術戦結界の内側だったことや、雪霊キャリアスノーテンの特性によって第一王子を凍らせて命を繋げることはできた。


(あとの処置は任せるとして……)


 問題はこの悪魔だ。

 膨大な魔力量もさることながら、人間に取り憑くことによって単純な身体能力も高い。

 そのうえ、闇属性魔術を無詠唱で扱ってくるのが厄介だし、標的を生徒たちに向けられたらとてもじゃないが守り切れない。


「あらあら、こんな氷壁すら破壊できませんのね?」


 ライラックはこちらの焦りを悟らせぬよう、あえて余裕のある表情を作った。


「警戒する必要もないくらい下級の悪魔でしたのねぇ〜。せっかく駆けつけたのに、勝負にもなりませんわ」

「……おい人間ン~? それは俺に言ってんのかァ?」

「あら? もしそう聞こえてたらごめんなさい? でもぉ……うふふっ。そう思ったなら、あながち間違いじゃなくってよ?」

「———―」


 よし、怒ってる怒ってる。

 バッと扇子を取り出して、その裏でライラックはあざ笑いを浮かべた。


「どうせ、弱い誰かさんはまともに戦ったら勝てないんでしょうから、弱い者イジメしかできないんでしょうねぇ?」

「……ヒャヒャッ! いいぜェ? その挑発にのってやろうじゃァねぇかァ~」


 そんな事を言いながら無詠唱で不意打ちをかけてくるので、これまたキャリアの氷壁で防ぐ。

 だが魔術の威力は相当高いらしい。ついさっきまで交戦していたフードの男には破られなかった氷壁に、大きなヒビが入っているではないか。


(上位精霊の魔術を一撃で破損させるとは……おそらく中〜上位級の悪魔ですわね……)


 なかなか油断できない。

 ライラックは魔力量が多いとはいえ、既に戦闘を一回挟んでいる。

 消耗戦になったら負けだ。


(先に魔力を削り切る!)


 ライラックは詠唱を開始した。

 短縮詠唱で《《展開した四つの魔術》》を発動させ、悪魔に攻撃を浴びせる。


「あァ? 四属性かァ?」


 悪魔は訝しみながらも、無詠唱でそのすべてを打ち落としてしまう。

 だが、次の瞬間にはライラックの詠唱は終わっており、次の攻撃が始まるのだ。


「なッ、なんだァこの速度はァ⁉」


 あまりの弾幕に、さすがの悪魔も焦りの表情を浮かべて対応する。

 しかしそれを防いで避けきったとしても、すぐに次の攻撃が浴びせられるのだ。


(言いましてよ? 勝負にすらならないと)


 早口で詠唱を続けながら、ライラックはほくそ笑む。

 これこそ〈全能の魔女〉ライラック・アシス・ツヴァイリムが得意とする戦術の一つ。

 反撃の余裕を与えない速度で攻撃を繰り返し、弾幕で削り殺す戦い方だ。

 こんな戦い方、普通の魔術師では詠唱が絶対に間に合わない。だけれど、ライラックはその不可能を可能にしているのだ。


「ぐっ……てめェ、人間ごときがァ‼‼」


 さしもの悪魔も焦りの表情を浮かべ、攻撃が移り変わる少しの隙を狙って生徒たちに向け攻撃を放った。


「俺の糧になりやがれェ!!」

「――させません!」


 放たれた黒槍は、第一王子の金髪護衛騎士によって全て阻まれる。


(……あの護衛、何者なのです……?)


 その光景を見ていたライラックは密かに目を見開いた。

 だって彼女は悪魔の闇属性魔術を、全て剣で叩き切ったのだ。並みの人間には避けることも難しいというのに。

 しかし、おかげで大きな隙が生まれた。


「――貫け、星の槍」

「なにヲ――」


 ライラックは無慈悲にそう告げる――同時に、巨大な光の槍が悪魔を貫き通した。

 光属性魔術〈星の槍〉。それは訓練場の結界の効力をも貫通し、屋根に大穴を開ける。

 悪魔は闇属性因子の集合体の様な存在だ。だからこそ、対照する光属性魔術は悪魔に特効だし、魔術戦結界にも阻まれない。

 直接悪魔にダメージを与えられるのだ。


「す、すごい……」


 訓練室にいる生徒の誰かがそう呟いた。

 「早く非難しなさいよ」と言いたくなる気持ちを抑え、油断なく追い打ちの魔術を発動していく。

 重複詠唱と短縮詠唱を掛け合わせ、四属性八種の攻撃魔術を浴びせ、悪魔の魔力を削ぎ落としていく。


「……そ、そうだ。そこの魔術師殿! その悪魔には人が取り憑かれていて……」

「———―(コクリ)」


 金髪騎士の言葉に頷きながら、ライラックはより一層意識を集中させる。

 これから扱う魔術は〈浄化〉。

 使い手が圧倒的に少なく、その原理も解明されていない光属性魔術の中でも、現状最上位に近い魔術だ。

 その効力は名の通り「対象の浄化」である。〈浄化〉によって人に取り憑いた悪魔を引きはがして滅ぼすのだ。


(キャリア、悪魔が変な動きしたら防いで)

(うん、わかった)


 そう念じると、すぐにキャリアは反応してくれる。

 倒れている悪魔を氷で包み込み、変な足掻きができないように魔力吸収を行い始めた。


「ぐ……ガ……精霊ィ、ごとキ……がァ……!」


 その様子に安堵しつつ、長い詠唱を続けるライラック。

 その視線を移して、この場に残っている生徒たちの中から、ある人物がいないか目を向けた。


(……もう避難したのかしら)


 だとしたら良かった……と安心するのと同時に、なぜ来ないのか? という疑問も付きまとう。

 彼女ならばこの状況を見逃せない。

 かつてライラックを救ってくれたように、無慈悲にも洗練された魔法で悪魔たちを打ち滅ぼしてくれるはずだ。

 そう思っていたからこそ油断してしまったのだが……ライラックはその胸にフツフツと湧き上がる感情に顔を(しか)めた。


(まさか……見捨てられたのですか?)


 そう思うことは不敬だ。信じるものとして、信じる民としてあってはならない感情だ。

 だけれど事実として彼女は……あの御方はここにはいない。

 同室のご友人も一緒にいるというのに……。

 そんな事を考えていたからだろうか。


「……ッ! 魔術師殿っ避けて‼」

「……えっ?」


 意識外から飛来してきたツララが、ライラックの肩を貫いたのだ。

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