【1-9】 お姉ちゃんとお呼びなさい!
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生徒会監査マイト・ランツは、校内の見回りを終えて生徒会事務室に帰ろうとしていたところだった。
なにやら新入生の女子生徒二人が話しているらしい――そう思った時には、手前にいた小柄な女子生徒が階段から足を踏み外したのだ。
慌てて階段を駆け上がり、落ちないように支えたものの、もう一人の貴族令嬢は「平民風情が」とか言い放ってどこかに行ってしまった。
(監査長だったら、もっとこう、ビシィッ! って言えたんだろうなぁ)
監査長が勇ましく檄を飛ばしている姿を思い浮かべながらマイトが苦笑してると、突然、目の前の女子生徒がへにゃりとその場にへたり込んでしまったのだ。
「だ、大丈夫……じゃ、ないわな」
あそこまで貴族貴族して威張ってる奴、なかなか珍しいもんなぁ。
とはいえ、へたり込んでしまったこの子をどうにか元気づけなければ――とマイトは決意する。
そういえば、死んだ妹とおなじ年齢じゃんか――なんて思いながら、ポッケの中身が出てこないように押し込んだ。
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「大丈夫? ああいうやつの命令なんか、聞かなくたっていいんだぜ?」
「は……い……」
ロミエの身体は勝手にガタガタと震え、喉に力が入らない。
そんなロミエを、受け止めてれた薄緑色の髪をした男子生徒が介抱しようとしてくれる。
「って、めっさ震えてんじゃんか⁉ まさか、あの意地悪令嬢に虐められてたりしてたんか?」
あの意地悪令嬢というと、ロミエを脅していたミテック・シナモールの事だろう。この男子生徒もいい気分はしなかったらしい。
だけれど、あの人の標的はロミエだ。
この人が変に手を出して、標的を向けられたりしたらロミエとしては申し訳が無さすぎる。
(不幸なのは……私だけで、いい)
ロミエは震える喉を抑えようとして、無意識にお腹へ力を入れた。
「わたし、大丈夫……です。……ご、迷惑を、おかけ、しました」
するとなんと、噛まずに言えたではないか!
まだ唇や喉は震えているのに、お腹に力を入れて声を出すと、どもったり噛んだりしない。
か弱くて、吹けば搔き消えるほど弱弱しい声だったけれど。糸のように細く、拙い言葉だったけれど、ちゃんと言葉にできたのだ。
(なるほど、これがお腹から声を出すってことなんだ……!)
できなかったことが出来るようになった。分からないことが分かった。
そのことが嬉しくて嬉しくて、涙で視界がぼやける中、その頬が自然と綻んだ。
しかし、それでも男子生徒は不安そうに声をかけてきてくれる。
「俺はマイト・ランツ。一応これでも生徒会の監査だかっさ、相談してくれればあの意地悪令嬢を問い詰めてくるぜ」
「……え」
「監査長は止めても飛んでくだろうな……」という呟きは、ロミエには聞こえなかった。
ロミエはポカーンと口を半開きにしたまま、頭の中で今の彼の言葉を反芻させる。
(生徒会の監査……生徒会の監査って……っ!)
生徒会の監査といえば、ロミエはつい先ほど生徒会長に任命されたばかりではないか。
この男子生徒、マイト・ランツの制服にある刺繍は二年生。つまり、ロミエの先輩である。
その先輩を巻き込んでしまったのだ。他でもない、ロミエの失態で。
「……っ!」
ロミエはサアッと顔を青くする。
(わたしが、ちゃんとシナモール様の言う事に素直に従っていれば……)
従順に従っていればよかったのだ。そうすれば、階段を踏み外すこともなかった。
その罪悪感から、その頬に水滴が溢れて、零れ落ちてしまう。
「あ……えと……そ、その……わた、しぃ……」
「え、あ、え⁉ な、泣かせちゃった⁉」
涙腺が崩壊したロミエに、その決壊した濁流を止めることはできない。
それを見て焦ったマイトが、ワタワタキョロキョロし始めて、場は混沌とする。
「うぇぇ……っぐ……たし……ぁたしぃ……」
「ど、どどどうし……はっ、そ、そうか! 安心しろ! 俺があいつ捕まえてとっちめてやっからさ!」
「ぁたしの、せいで……ひっぐぅ……めいわぅぅ……っ」
「迷惑ぅ⁉ 全っ然、全――ッ然! そんな風に思ってないから‼」
「ううぅぅっ……ぅぁぁっぐ……ひぃん……」」
「だからっそのぉ……泣くなーとは言わんけどさ……そ、そう! とりあえずあれだ! 落ち着いてしんこきゅーを――」
「――落ち着きが無いもの同士で、いったいなんの茶番をしておりますの?」
涙腺崩壊してわんわん泣くロミエと、ワタワタと慌てるマイトが狂騒曲を繰り広げる渦中に、心底呆れたように下から声をかける人物が現れる。
何やつっ! と示し合わせたように二人揃って振り返るものだから、その人物――少女は広げた扇子の裏で大きくため息をついた。
その特徴的なクリーム色のウェーブがかった髪の少女は、制服の刺繍的にマイトと同じ2年生だ。
だがそれ以上に目を引くのが、キツネの毛皮を使ったマフラー。身包み剥いだようにリアルなキツネのマフラーで、今にも動き出しそうだ。
しかし、その毛並みはとてもとても美しい。触るとさぞ気持ちの良い毛ざわりだろう。
「……まあ、別にどうでもいいですわ。妾はその者に用がありますの」
そう言って、その少女はロミエを見る。
面識のない、おそらく貴族であろう女子生徒の深いエメラルドグリーンの瞳に見据えられたロミエは、垂れた鼻水をズズズッと飲み込んで、おっかなびっくり首を傾げる。
「わ……たし……でしゅか……」
「……~~っ――」
噛んだ。
だが、なぜかその少女は扇子の陰に顔を隠してしまう。
ピクピクと肩を震わしたのち、咳払いをしながら顔をだした。
「お、オホン……。ちょっと貴女に手伝ってもらいたい事案がありまして……ちなみに、そこのおサボり監査員はお呼びじゃありませんことよ?」
その言葉に、おサボり監査員マイトがムっと口を曲げる。
「俺はちゃーんと、学園内の治安を守るべく、見回りをしてましたっすけど~?」
「あらあら、監査の見回りと称してろくに目を光らせることもせず、適当に散策して時間を潰していらしたのではないのですか?」
「べっ、べべっ、別にィ? ちゃ、ちゃんと見回りしてましたが~……?」
「「……」」
そういって肩をすくめるマイトだが、目の泳ぎ方が尋常じゃない。
しかし、その視線がロミエと重なった時、「そ、そうだ!」と思い出したように手を打った。
「この子! 意地悪な令嬢に虐められて階段から落ちそうになってたんすよ!」
「……《《は》》?」
「これ、ちゃんと監査の仕事!」と言いたげに胸を張ろうとしたマイトに、その少女の低い声が遮った。
「え、怖っ……」
それがマイトの正直な感想であった。というか、ロミエもその「《《は》》?」という言葉の圧に萎縮してしまう。
明らかにその一言だけ重みが違った。というか、彼女はそのエメラルドグリーンの瞳に明確な殺意の光を宿し、冥府の底から持ってきたんじゃないかと錯覚するほど、その言葉は重く響いたのだ。
(し、シナモール様より怖いぃぃぃ……)
ロミエがわなわなと震え、「あばばばば」と狼狽えていると、パチンッ! と扇子を閉じる音が響く。
「妾はライラック・アシス・ツヴァイリムと申しますの。貴女、お名前は?」
ライラックと名乗った彼女は、ニコリと笑みを浮かべて、スタスタと近づいてくる。怖い。
未だその瞳の奥に殺意の光を灯すライラックに詰め寄られ、逃げることもできないロミエはガタガタワナワナと震え上がる。
「ろ、ろろっ、ろろろろみっろっろみえっ……はっはるはるべえべべりりいい……」
噛んだ……というか、何も言えていない。
恐怖と焦りと困惑で、ずっと喉がヒックヒックと痙攣してしまっている。
(ちゃぁっ、ちゃんと、ちゃんとちゃんと名前言わないとぉぉ……怒られちゃううぅぅぅ……)
再び半べそをかきながら、どうにか喉の調子を整えようと頑張る――が、そう簡単にいくわけがない。
そうしている合間にも、マイトが心配そうにあわあわとしている。
「……い、いったん落ち着こうぜ? じゃないと、全く聞き取れ――」
「ロミエ・ハルベリィ、可愛らしいお名前ですわね」
「……え」
「…………へ」
なんとライラック、この人はさっきのロミエの発音を完璧に聞き取ったらしい!
絶対、というか自分でも何て言ってるか分からないくらいの発音だったので、驚きと困惑でポカーンと口を開ける。
「今ので聞き取れたのぉ!?」
「《《は》》? 失礼ですわよ?」
「信じられねぇ!」と喚くマイトに、再び先程の殺意を向けた。
「え……な、なんか……殺意高くない……?」
「なんか理不尽じゃね……?」と首を捻るマイトを放置して、ライラックが未だへたり込んでいるロミエに近づいてくる。
そうしてロミエの前に立ち、身を屈めたライラックは、おもむろにその右手を上げた。
「……ひぅっ」
手を上げられる。そう思って咄嗟に頭を守るように手をかざした。
「…………へ」
しかし、ライラックの右手が振り下ろされることは無かった。
代わりに、ロミエの右手を躱して、間からロミエの頭に手を置いたのだ。
(……えっ?)
さすりさすり……と、ライラックの手が左右に動く度に、シャラシャワとロミエの髪がこすれ合う。
その滑るような感触が、ロミエの頭を撫でていた。
目をパチパチさせて、キョトンと目の前のライラックを見つめる。
彼女の口角は緩く綻び、キリリとしていた眉も下がっていて、自然な微笑みを浮かべていた。
そしてそのエメラルドグリーンの瞳には、先ほどのような轟々とした鋭い光ではない。まるで、愛おしい花を見つめ愛するような、慈愛に満ちた優しい瞳だ。
(これ……は……?)
初めてではない。初めてではないのに、こんなに胸から沸き上がってくる感情は何なのだろうか。
ライラックは何か言うわけでもなく、ただ花や愛しいものを愛でるような手つきで、さすりさすりよしよしと、ロミエの黒っぽい灰色の髪を優しく優しくなでてくれる。
(頭が……こころが……ぽかぽかする……)
「……ぁ……ぅぁ……」
その感覚に任せていると、自然と嗚咽が漏れそうになる。だけれど、苦しくない、悲しくない。――嫌じゃ、ない。
自然と、暖かい水面がロミエの瞳を張って、その堤防が決壊し――
「妾の事はライラお姉ちゃんとお呼びなさい。ロミエ……ちゃん」
――そうになったところで、ロミエはパチリパチリと瞬いた。
ぽかんと開いた口の横を、溢れた雫がサラリと流れる。
「…………へ」
「……急に何言ってんの?」
(ど……え……え? こ、この人……いきなり何言ってるんだろう……?)
唖然とするロミエとマイトと対照的に、ライラックは満足そうに微笑んでいた。頬を染めて恥じることもなく、ただそれが当たり前の事なんだと言いたげに。
「妾、ずぅっと妹が欲しかったのですのぉ!」




