【1-8】 恐怖なんて
「あ、あれ……? ショル……トメニーニャ、さん? がいない……」
ロミエは「どんな名前だったっけ……」と思案して、諦める。
生徒会室を出たロミエは、ショルトメルニーャの姿を探したものの、どこにも見当たらなかった。
てっきり外で待っていると思っていただけに、突然一人になって寂しいやら安心したやらで、複雑な気持ちになる。
(知らない場所に、一人……)
まあ、良いか。そもそも私は一人でいるのが当たり前なんだから――と、胸に手を持ってきながらロミエは講義室へと踵を向けた。
生徒会監査に任命されて最初に任された仕事は、ロミエもその場に居合わせた魔道具暴走事故の調査だ。
それも、生徒会長リーンハルトから直々に指令を受けて。
絶対にしくじることは許されない。期待された以上、それに答えなければならないのだ。
トイレの個室に閉じこもってしまいたい気持ちを抑え、キリキリと痛む胃を抑えながら歩みを進める。
「……っ、…………」
生徒会室の前には案外人が多くいて、人が向こうからやってくる度にビクリと身体を縮こませて壁際に寄る。
(へ、変な目で見られてるかな……わたしなんかが生徒会室から出てきて……)
来た時はこんな怖く無かったのに……と思案して、思い出した。あの時はショルトメルニーャが一緒に歩いてくれたのだ。
道中、彼女はいきなり生徒会に勧誘されて茫然自失とするロミエを励ましてくれたり、「知らないふりしちゃダメじゃない」と小言を言ったり――自ら口を開かないロミエの代わりに、いっぱいっぱい話しかけてくれた。
さっき会ったばかりなのに、彼女はロミエを優しくしてくれる。そのことをロミエは――ニヒリアはどうしても理解できない。
(どうしてあんなに、優しくしてくれるの……? 初対面なのに……あ、帝国出身って言ってたから、文化が違うのかな……)
彼女は帝国出身者らしく青白い肌をしていて、白人種と黄色人種の混ざったロンド王国の肌色とでは悪目立ちするのだろう。
思い返せば、ショルトメルニーャと歩いているときは、すれ違う人すれ違う人が意図的に視線を背けたり、物珍しそうに彼女を見ていた気がする。
(……もしかして、わたしの代わりに、目立ってくれた……の……?)
ずっと猫背で、ビクビクしながら歩くロミエは端的に言って挙動不審だ。すれ違うたびにビクリと肩を震わして壁際に寄っていく様は、滑稽か不気味に映るだろう。
けれど、肌の色が違うショルトメルニーャが居ることによって、視線は彼女に集中していた。
これはあくまで、ロミエの都合の良い解釈だ。
そんな意図なんてなく、ただの友達として振舞ってくれたからだとか、友達を作るのに必死だったからとか。もしくは、たまたま巻き込まれただけだとかかもしれない。
けれど、一つだけ確かなことがある。
ショルトメルニーャは、《《ロミエ》》と親しく、優しくしてくれた。とってもとってもいい人だ。
(ありがとう……って、言わないと)
その優しさに、ロミエが返せるものは少ない。だけれど「感謝の気持ちだけは、必ず伝えなさい」と、お母様に言われたのだ。
(次に会ったら、ありがとうって、伝えよう。ありがとうって言って、そして――)
「…………会わないように、避けるんだ」
そう呟いたロミエの瞳にある虹彩はチカチカと瞬き陰り、その強ばる口をぐにゃりと曲げて、不細工な笑みを浮かべる。
これでいい。これがいい。これが正しい。こうするべきなんだ。なんてったって――
――これが一番、私が関わらないことが一番、あの人にとって幸せなこと、だから……。
ロミエはギュッと胸に置いた手を握り、とぼ……とぼ……と足を動かす。
講義室は生徒会室がある校舎の一階に位置している。生徒会室がある二階から一階へ降りる為に、階段へと向かっていた。
階段まで行けば、比較的ひとは少ない。実際、階段を覗いてみると人影はなかった。
そのことにホッと息をつき、1階へ向け下りていると――
「あらぁ? ロミエじゃない、ごきげんよう?」
突然、後ろから聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、ロミエは肩を跳ね上げさせた。
(こ、この、この声……は……)
あ、あぁ……と、唇が小刻みに震える。
そんなまさか、この声は――と嗚咽が漏れそうになる喉をグッと抑えて、顔だけ後ろに向けた。
「っ……ぁ……」
階段の上、上階から降りてきたのであろう女子生徒は、広げた扇子の裏でニヤニヤ笑いながら、少女を見ている。
身につけたケープコートの上から、さらに自前のフリフリとした可愛らしい上着を羽織っており、その豪勢に飾り付けられた髪には、いくつもの宝石が嵌められた高価な髪留めが付けられている。
「まあまあ、高等科でも同じ学園になるなんて……これは、運命というものですわねぇ?」
運命。そう言う彼女の眼はグニャリと弧を描き、侮蔑のこもった瞳でロミエを見下している。
彼女の名前はミテック・シナモール。有力伯爵家令嬢で、田舎出身の庶民であるロミエを事あるごとに虐めてくる、いわば天敵のような人。
そんな、どうして――と、高等科に行けば会わないだろうと思っていたロミエは、雷を打たれたような衝撃に全身を強張らせた。
彼女はロミエと会うたびに面倒ごとを押し付けてくるのだ。それも、ロミエが逆らえないことを知ったうえで。
ミテックは表面だけの笑みを、美しく化粧したその顔に貼っつけて近づいてくる。
その手には案の定、課題のプリントが握られていた。
「ちょうどよかった。あなた、紙と向き合うのはお好きでしょう? だ、か、ら――」
猫なで声で、一段、また一段と近づいてくる。
「課題、やっておいてくださりますわよね?」
「あ……う……、ぅ……」
大きな一歩で距離を詰められ、ロミエも後ずさろうと足を伸ばした。
「……ぁっ」
しかし、伸ばした先にあるはずの地面は無かった。
あるはずの地面が無く、空気を踏んだロミエの態勢がガクンと崩れ落ち、その小柄な肉体が宙に放り出される。
(こ、このままじゃ地面に激突しちゃう……!)
ふわり……という浮遊感と共に、すぐに魔法で風を起こそうと魔力を巡らして、気が付く。
目の前にはミテックがいるのだ。ここで魔法を使ってしまったら否応にでも疑われる。
それに魔術も使えない事はないが、魔術を扱うには詠唱が必要だ。落下中の今、詠唱をしていたら間に合うわけが無い。
もう、ロミエに落下を止めることはできないのだ。
(痛そう……だけど、受け入れるしか――)
ロミエはギュッと目をつむる。
階段の角が体を刺し、慣性のまま転げ落ちるまま身を任せて───
「――っと、おぅぇ⁉」
ドッ! ど鈍い音と共に、ロミエの身体が誰かと衝突した。
そのまま、巻き込まれた誰かと絡まり合うように階段から落下――しない。
「……え?」
「え、ちょ、大丈夫⁉⁉」
耳元でその誰かが叫んだ。
パチっと目を見開くと、誰かがロミエを片手でしっかりと抱きかかえていたのだ。
制服に縫われた刺繡の色的に2年生だろうか。もう片方の手は階段の手すりをしっかりと握っており、どうやらこれが命綱で助かったらしい。
(……あれ、ってことは今、誰かに支えてもらってる……ってこと?)
今さらその事実に辿り着いて、ロミエはあわあわと無意味に手をバタバタさせた。
「きみ大丈夫? 自分で立てそう?」
「あっ、ひゃっ、ひゃいっ……!」
混乱の中どうにか声と力を振り絞りながら手すりに手を伸ばし、掴んでからやっと腕の拘束から逃れる。
「……チッ」
ロミエが「ほっ……」と胸を撫でおろしていると、一部始終を見ていたミテックは心底つまらなさそうに舌打ちをして、そのまま足早に横を通り過ぎていった。
この態度にはさすがに男子生徒も頭に来たらしく、ワッと声を上げる。
「ちょ、ちょっとぉ⁉ 何してんのきみ! 同級生を階段から突き落とすなんて――」
「あら、わたくしはただ階段を下りていただけですの。勝手に足を滑らせたのは、そこのボンクラにございましてよ?」
「いやいや、にしても明らかにきみが――」
「黙りなさい! 平民風情が囀るんじゃないわよ‼」
「なっ……」
ミテックの途轍もない気迫に押され、男子生徒も黙り込まされてしまう。
もしも男子生徒が貴族階級出身であるならば、多少言い返せたのかもしれない。
しかし、そこは悲しいかな、助けてくれた男子生徒もロミエと同じ平民階級らしく、返す返事が無かった。
そのまま、ロミエ達はミテックを去るのを見ていることしかできなかったのだ。
(平民風情……)
ロンド王国は比較的、貴族と平民の階級差別は少ない方である。
しかし、それでもなお高い地位にいる貴族たちの中には、平民が付けあがってくるのを良く思わない者もいるのだった。
「———―ぅ」
ミテックが見えなくなり、ロミエはその場にへにゃりと座り込んだ。
(怖い、怖い……怖かった……)
彼女の目、明らかに人を見るような目ではなく、圧倒的弱者を蔑むよな光が宿っていた。
ロミエはバクバクとなる心臓を抑えるように手を置いたが、よりいっそう鼓動の動揺が伝わってきて収まる気配はない。
(どうして、どうして、どうして……?)
「……ぅ……くっ……ぅぅ……」
目から涙の膜が貼り、視界がぼやける。
怖い。ただただ怖い。
自分がニヒリアで、正体がバレるとかそういう恐怖じゃない。
あの人は、圧倒的な地位を持っていて、それは《《ロミエ》》に埋めることのできない溝として壁として、そして脅迫として迫ってくるようだ。
(どうして、どうして、どうして……?)
――どうしてニヒリアはこんなに怖がってるの……?
***
ニヒリアは人間なんかに恐怖しない。なにせ神だし、この世界の人々はニヒリアの創造物である。
しかし、《《ロミエ・ハルベリィは人間だ》》。ただの14歳の少女に過ぎない。
人だから人に恐怖を抱くし、それが自分よりも目上の人間ならば猶更である。
――だが、今のニヒリア=ロミエに、それを理解することはできなかったのだ。
***




