第8話 獣の王の過去 ~決闘前夜~
リールブールの森の奥深く…ここまで奥深いと辺りには森の浅い場所よりはるかに背の高い草木が生い茂っていて獣たちもあまり普段は立ち入らない場所に小さく丸く開かれた土地があった。
時間は深夜で月明かりがその土地を照らしている。
ここは旧決闘場跡地と呼ばれる場所である。
そこで一匹の牡鹿が一心不乱に角を振り回していた。
ここは王が他の獣に勝負を挑まれた際に、決闘を行っていた場所で、昔まだ人間と獣が争っていたころは人間達の突然な襲撃などで邪魔が入るのを避けるためにこのような森の奥深くで決闘が行われていた。
現在は人間と協定が結ばれ、人間が手を出してこなくなったので決闘の場所もより森の中心に近い場所に移され、あまりここは使われなくなった。
そんな場所で、牡鹿…イルクは、一心不乱に角を振ったり、後ろ蹴りであたりの木を蹴り飛ばしていた。
イルクがファンネルと初めて出会った日から実に3年の月日が流れている。
彼の角はその頃より荘厳で立派なものになっており、体躯も充実して厚みがあった。
彼が今ここで、一心不乱に体を動かしているのには訳がある。
実は明日イルクは現在の森の王と決闘をする予定だった。
今の森の王、猪のバフルは体が大きく、かつ冷静沈着、器が大きい王としてここ5年ほど王の役割を全うしていた。
しかし、年のせいか最近は以前よりも活発に動けなくなっており、森全体に王の支配が行き届きにくくなりつつあった。
その事情のせいで近頃、森では狼や狐など、森の秩序や掟を無視して森を荒らす勢力が、以前よりも増してきていた。
彼らは無断で縄張りを広げ、草食動物達を襲うようになっていたのである。
もともと肉食動物が草食動物を食べる食物連鎖の流れは仕方ない部分があるが、必要以上に縄張りを広げたり、そのために草食動物たちの縄張りを無差別に襲うことは許されないことだった。
そんな中でちょうど1週間前、ファンネルの家族がいる鹿の群れが狼達に襲われるという出来事があった。
ファンネルとその兄はなんとかその場を逃れたが、父と母は重傷を負い、そのまま命を落とした。
事態を重く見た王バフルによって、襲った狼の何匹かは罰せられたが、黒狼の中で最も凶暴なグロウだけは罰せられなかった。
これにファンネルは異を唱えたが、聞き入れられなかった。
実はバフルとグロウは古い友人で、バフルが表の王として森全体を統括し、片やグロウは凶暴な狼達を束ねることで他の肉食獣達への抑止力として働く裏の王として君臨していた。
バフルが王になった当初の混乱をグロウは友としてささえ、それがバフルの王位の安定にもつながっていたのだ。
そういった歴史があることでバフルはグロウには迂闊に手が出せなかった。
しかしグロウ自身には、本来は自分が王になるべきだという野望があった。
そしてバフルの活動範囲が衰えて、かつ自分にも手を出せなくなってきたのを好機と踏んで森全体を乗っ取るべく、支配地域を広げていた。
そんな話を気性が荒く曲がったことが許せないファンネルが許せるはずもなく、グロウを殺すと息巻いていた。
しかしいくらすばしこく、蹴りの鋭いファンネルとはいえ所詮それは鹿の中で秀でているに過ぎない。
牝鹿が凶暴な黒狼に勝つのはかなり厳しいことは鹿たちは皆察していた。
だがファンネルはどうしても、差し違えててでもグロウを殺すと言って譲らなかった。
そんな彼女を止めたのがイルクだった。
それはファンネルがちょうど群れの最年長であるエンリルと喋っている時である。
「止めないで!私はなんとしてもあいつを殺す!」
エンリルは首を振ってファンネルをなだめる。
「待て、いくらお前といえど、グロウは倒せん。奴は周りを狼で固めてる。王ではないから1対1の決闘など受けんし奴にたどり着く前に食い殺されてしまう・・・。頼むから王の対応を待とう」
群れの鹿達は皆それに同意していたが、ファンネルは納得できない。
「嫌だ!みたでしょう?王はグロウを恐れて何もできやしない…私がやるしかないのよ!」
エンリルは困り果てた。
「しかし・・・・」
そこで出て来たのがイルクだった
「俺が王になる。」
群れの鹿達はイルクの突然の主張に驚く。
エンリルがイルクに尋ねる。
「待て…いくらお前でも、まだ時が早いのではないか?」
イルクは首を振る。
「ファンネルの言う通り、このまま何もせずにいればグロウ達はいずれ森を乗っ取ってしまう…。そうなってしまえば、ファンネルの親だけでなく俺達もいずれ奴らの餌食だ…。
今この瞬間に奴を止めなくてはならない。俺が王になって、グロウにきちんと罪を償わせる」
ファンネルもイルクの突然の主張に驚いた。
「驚いた。あんた王って…」
だかイルクは笑って返した。
「お前が1人でグロウのとこ行くよりは俺がバフルを倒す方が余程勝算がある。元々俺はずっと王になるつもりだった。だからファンネル、せめて俺が王になるまでは待ってくれないか」
そういったイルクの優しい眼差しはファンネルの心に刺さったが、ファンネルはすぐ目をそらした。そして一呼吸おいて彼の提案に賛同する。
「わかった…そのかわりあんたが王になれなかったら、私1人でも行く」
イルクは少し微笑んで頷いた。
「それでかまわないさ」
そしていよいよ、明日がファンネルとバフルの決闘の日だった。
イルクも気力は充実していたが、いくら年老いたとはいえバフルも昔はグロウをおいて森では最強と目された獣だった。
厳しい戦いになる事が予想され、イルクはそれに向けて自分の技の精度を高めていた。
そこにファンネルが現れる。
「こんなところで一人で練習していたのね」
イルクはファンネルに気づく。
「見つかったな。あまり見られたくなかだったんだが…」
ファンネルは感慨深げにつぶやく。
「あんたの蹴り、年を増すごとに力強さが増していたけど、こういう事だったのね…」
イルクは笑う。
「昔お前の蹴りを見てから、どうしてもあんな蹴りがしてみたくてな。そこから練習するようになった。だからお前のおかげもある」
ファンネルは驚いたような表情をしたが、呆れたように笑った。
そして去り際、イルクには背を向けたままでつぶやく。
「明日、負けたら許さないから…」
「ああ」
そううなずくとイルクはまた蹴りを始めた。
少し遠ざかったところでファンネルは振り向くと集中しているイルクをどこか心配そうな
、愛おしそうな視線で見つめて、また去っていった。




