第2話 獣の王の過去 ~牡鹿と牝鹿~
夏の日照りの照り付ける中、森を一匹の牡鹿がゆっくりと歩いていた。
彼の名はイルクといって、まだ若く、生気に満ち溢れていた。
彼の父親は群れの中のリーダー的存在で、その息子であったイルクは、いずれ鹿たちの長として群れを導いていく事を群れの鹿達から期待されていた。
当の本人も、その期待に応えるべく、日々森の中を縦横無尽に駆け回りながら、知識と体力を蓄えていた。
群れの長として、彼の親が彼に望んだことは、森を知ることだった。
『森は私たちの全てだ』
が父が彼に伝え続けたことだった。
その教えを踏まえて、森の全てを知るために彼は毎日森を散策した。
森には数多くの動物達がいる。
そして、彼らは森に自分自身の縄張りを築いていた。
森に生える植物達はそれに適応するように生えていて、それぞれが独自の生態系を築く。
そんな自然の営みの流れを肌で感じながら、イルクは森の事を学んでいた。
今日も、イルクは森からたくさんのことを学んでいた。
ヒメルの森は山のふもとにあるため標高が高く、また一年を通して冬の時期が大半を占めていた。
冬はいろんな動物達が、普段と違い食べ物を蓄えたり、冬眠することで、自分を守ろうとする。
反対に夏はいろんな動物たちが活発化して、それに伴って、森の植物達の様相も普段とはだいぶ異なっていた。
イルクがちょうど、狼達の縄張りにさしかかった時、二匹の鹿が狐達に囲まれているのが見えた。
近づいてよく見ると、片一方の鹿はとても小さくまだ子供でおびえたようにもう一匹の牝鹿の後ろにいるのが見える。
「お前、ここがどの縄張りかわかっていないようだな」
「ここは狼の中の狼、銀狼達の縄張りだ!お前たちみたいな獣が入って良い場所じゃないんだ!」
「まあ入ってきたってことは、狩られても文句はないよね」
狐たちの言葉はイルクにはわからなかったが、どうやら2匹の鹿が襲われそうなことを彼は雰囲気で察した。
狐達が一斉に牝鹿に襲い掛かる。
彼女はその瞬間、瞬時に二匹の狐に一気に回し蹴りを入れた。
イルクも瞬間助けようと飛び出したが、その牝鹿とは思えぬ蹴りに思わず見惚れた。
二匹の狐は痛がってその場に転げたが、もう一匹が彼女の死角に回って彼女の背中を爪で引っ掻いた。痛みで彼女は後退りする。
その様子をもう一匹の子供の鹿が心配そうに見つめている。なおも最後の狐が襲い掛かろうとするが、今度はイルクが正面から角で狐を刺して追いやった。
狐達はイルクの姿におののく。
彼は森の中で既に、次代の王になるのではと目されていて、森の中でも有名だった。
「ち!イルクだ。引くぞ」
狐達はその場を後にする。
振り返ってイルクはその牝鹿に話しかける。
「危ないところだ。なぜ狼達の縄張りに?」
だが彼女はぷいとそっぽを向いて礼も言わず子供の鹿を連れて行ってしまおうとする。
去り際、貫くような視線を、一瞬イルクに投げかけると、
「余計なことを」
とぶっきらぼうにつぶやいた。
それが後の森の王の牡鹿イルクとそのつがいとなる牝鹿のファンネルの最初の出会いだった。




