紡ぐ
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繭を錘にかけて、繊維を引き出し、糸にする。
児童養護施設《紡ぐ》の保育士、児童からは先生と呼ばれる人に赤子の頃から育ててもらった。
僕には親がいない。父親のことは顔も名前も知らない。僕が産まれる前に蒸発したと聞いた。
母親は妊産婦死亡した。
この世に生を授かった瞬間から血の繋がった家族を失った。
周りの大人は僕に同情した。孤独だと、可哀想だと、そう言って憂いに満ちた表情をする。
けれど、先生は違った。
お前は可哀想だ、というような目をしなかった。平等に叱ってくれた。
物心がついて、より一層と周りと自分の生活環境が違うことを理解した。親がいることは特別なことではないのだと、より深く理解した。
思春期になり、周りは親を鬱陶しい存在のように語り出した。僕には親がいない。けれど、その感覚は多少なりとも分かち合えた。
先生のことを鬱陶しいと思うことがあったからだ。
小学生の頃、学校をサボった事があった。クラスでちょっとした嫌がらせを受けていたからだ。
当時、先生にその事情を説明すると、自ら歩み寄る努力もしないで逃げるな、と叱られた。勉学だけが学業と思うな、と叱られた。
その時、本当の親ならなんと言ったのだろうと考えた。答えのない疑問だ。けれど、先生の言葉を信じて行動すると、周りが僕という存在を受け入れ始めた。そんな変化を目の当たりにして、子供心に、血の繋がり、偽物や本物などという理屈に価値はないのだと感じた。
学校を卒業して、就職すると同時に施設を出た。狭いワンルームを借りて一人暮らしをした。
それから数年ぶりに施設へ顔を出した。《紡ぐ》には、変わらず先生がいた。けれど、あの頃に比べてかなり年老いたように見える。
子供達は学校へ行っていて、施設には僕と先生の二つの音が反響した。
お茶を飲みながら昔話をしたかったのだけれど、先生は相変わらず口数が少なくて、ぶっきらぼうな振る舞いだ。それが心地よかった。
そしてまた、《紡ぐ》へ顔を出す暇もなく数年の時が流れる。
就職した会社を辞めてフリーランスになった。昔から好きだった絵を仕事にすることができた。それから数年かけてやっと、一人で生活をする程度には金銭に困ることは無くなった。
僕自身もそれなりに大人らしくなった頃に、ふと先生のことが頭をよぎった。思い立ったその足で電車に乗り《紡ぐ》へ向かった。
先生はまたひとつ……いや、年齢にしてはあまりにも老いて見えた。どうやら持病が原因だそうだった。
《紡ぐ》も後継者が見つからないらしい。このままだと、先生がいなくなれば子供達は他の児童養護施設へ引き取ってもらうことになりそうだと先生は話した。僕たちにとって、施設は家だ。できればそのままの形を残したい。その気持ちは強かった。
僕は後継者になると名乗り出た。すると、先生は僕に恋人はいるのかと訊いた。実は少し前に、お付き合いすることになった人がいると話した。
「お前の人生は、もうお前一人のものではないのだから、紡ぐを振り返るな」
そう言って先生は僕を帰した。
去り際に小さな紙切れを渡された。その紙切れには、お前はもう立派な糸だ。と書かれていた。先生が書いた無骨な文字だった。
いつか、必ず先生の支えになることを誓って僕は自分の人生を歩んでゆく。だから、僕が先生よりも先に死ぬなんて考えもしなかった。
ある日、ALSという病気になった。筋肉が衰えていく病だ。結婚を考えていた恋人とは別れる決心をした。けれど、彼女は僕の手を握ってくれた。絶対に離さないと言って、強く握ってくれた。
日に日に体が弱っていく。
多くの人に支えられながら日々が過ぎてゆく。
病気が進行する。次第に生活が困難になり、田舎の病院に入院することとなる。清潔感を表す白色に囲われた病室で過ごす日々が流れるように過ぎてゆく。
そんなある日、珍しく来客があった。こんな田舎まで誰だろうと不思議に思ったが、訪れたのは先生だった。先生はベッドの上の痩せこけた僕を見て、ゆっくりと微笑んだ。
「元気そうじゃないか」
そう言って、笑ってくれた。たまらずに泣いてしまった。わんわんと子供のように泣いてしまった。しわしわになった先生の手を握りしめて、堪えていた涙をすべて流した。
先生とこんなにも語り合ったのは初めてだった。僕を引き取った日のことから、育ててきたこと、先生はすべてを話してくれた。その声が、笑顔が、体温が、光となって心に差した。
血の繋がらない先生の言葉で、存在で、僕の人生は報われた。
最後に先生が言い残した言葉は、「生きろ」だった。
この人生が終わる時、側には愛する人がいてくれた。
孤独の星の下に産まれて、これ以上にない愛情をもらった。
僕には血の繋がった親がいない。けれどそれは、不幸の始まりではなく幸せを知る一歩だった。
大切な人が絶えない人生だった。愛する人が側にいる人生だった。小さく、儚く、尊い人生だった。
今際で、愛する人たちの顔が浮かぶ。
あなたたちのお陰で、この糸が切れるその瞬間も僕は笑っていられた。