第七章 夏祭りにおける遊戯の必勝法と、打ち上げ花火の情緒的効果について
風邪という自然界からの鉄槌に見舞われ、数日間の停滞を余儀なくされた私であったが、回復してみれば、以前にも増して外の世界への好奇心が燃え盛っていた。それはあたかも、雨上がりの草木が、ここぞとばかりに天へ向かって伸びていくが如し。次なる探求のテーマは何か。私は、来る日も来る日も窓の外を眺め、思案に暮れていた。
そんなある日、私の耳に、アンナとレオの楽しげな会話が飛び込んできた。
「もうすぐ領地で一番大きな夏祭りですね」
「おうよ! 今年は屋台も多いらしいぜ」
「夏祭り……?」
その未知の単語に、私の学術的探求心は、即座に点火された。
「夏祭りとは、一体なんですの? 夏に行われる、何かの収穫儀式かしら?」
私の問いに、レオは「儀式なんて大層なもんじゃないですよ」と笑った。「うまいもん食って、遊んで、最後にドーンと花火見て終わり! それが祭りってもんです」
遊戯。花火。なるほど。
「遊戯には、必ずや論理的な必勝法があるはず。そして、夜空に火薬で絵を描くという花火が、人の情緒に与える効果とは? これは極めて興味深い研究対象ですわ!」
夏祭り。その言葉の響きには、どこか刹那的で、それでいて抗いがたい魅力が宿っている。それは、夏の夜の夢、一夜限りの狂騒なのだろうか。ならば、見届けるのが作家としての責務というものであろう!
私の高らかなる宣言に、アンナは病み上がりの私を案じて渋い顔をしたが、コンラートの厳重警護を条件に、ついに首を縦に振ったのであった。
***
祭りの会場は、市場以上の喧騒と非日常感に満ちていた。提灯の赤い光が揺れ、賑やかな音楽が鳴り響き、甘い綿菓子の香りが漂う。アンナの計らいで、私も動きやすいという夏用の平服――この国の浴衣のようなもの――に着替えていたが、慣れない下駄のせいで、足元がおぼつかない。
そんな私の目を釘付けにしたのは、射的、輪投げ、光る小魚すくいといった「遊戯」の屋台が並ぶ一角であった。
「ふむ。あの射的の銃は、銃身に僅かな歪みがあるに違いない。弾の質量と初速から、弾道を計算すれば……」
「お嬢様、頭で考えすぎですよ」
そう言って、レオがひょいと射的の銃を構えた。彼は、驚くほど軽やかな手つきで、いとも簡単に景品の菓子箱を落としてみせる。
「コツは、欲張らないことと、店の親父さんと仲良くなることさ」
彼はそう言ってウィンクした。
その時、私が屋台の隅に飾られた、少し不格好な猫のぬいぐるみに目を留めていることに気づいたのだろう。コンラートが、黙って前に進み出た。
彼は騎士としての驚異的な集中力と精密さで、銃を構える。その表情はあまりに真剣で、遊戯というよりは、もはや「敵性目標の殲滅作戦」の様相を呈していた。パン、パン、と乾いた音が響き、的は寸分違わず撃ち抜かれ、件の猫のぬいぐるみは、あっけなく私の腕の中に収まったのである。
***
夜も更け、いよいよ打ち上げ花火がよく見えるという川辺へ、我々は移動していた。
慣れない下駄で歩く私は、人混みの中で足をもたつかせ、大きく体勢を崩した。
「きゃっ!」
倒れる、と思った瞬間。私の腕は、右側からコンラートに、左側からレオに、さっと掴んで支えられた。騎士の、鍛え上げられた固く逞しい腕。庭師の、土に慣れたしなやかで骨張った腕。異なる感触に両側から支えられ、提灯の赤い光のせいか、私の顔は不覚にもカッと熱くなった。
やがて、ヒュルル、と甲高い音がして、最初の一発が夜空に咲いた。
ドン、と腹に響く音と共に、夜空一面に、巨大な光の華が広がる。
私は、息をのんだ。
理屈を超えた、圧倒的な美しさ。そして、次の瞬間には消えてしまう、どうしようもない儚さ。
花火が「情緒に与える効果」を分析しようなどと考えていたことなど、すっかり忘れていた。ただ、夢中で夜空を見上げる。ふと隣を見ると、アンナも、コンラートも、レオも、皆、私と同じように空を見上げている。それぞれの瞳に、同じ光がキラキラと映り込んでいる。
この瞬間の感動は、分析したり、言葉で説明したりするものではないのだ。
「必勝法」や「効果」などという理屈ではない。ただ、大切な人たちと同じものを見て、同じように感動すること。その「共有体験」こそが、祭りの本質なのではないか。私は、ぼんやりとそう思った。
「……綺麗ですな、お嬢様」
レオが呟いた。
「……ああ」
コンラートが、短く応える。
ただそれだけの会話が、花火の音と共に、私の胸に深く、深く響いた。
***
祭りの帰り道、私は心地よい疲労感の中、コンラートが取ってくれた、少し不格好な猫のぬいぐるみを、大切に抱きしめていた。
今日の体験を、どう言語化すべきか。必勝法は、ただ楽しむこと。情緒的効果は、言葉にできない。それは、私の中にしぶとく残っていた「研究者」としての最後の矜持が、夏の夜空にすっかり溶けていく瞬間であった。
自室に戻った私は、小説の原稿に向かった。
ヒーローとヒロインが、祭りの夜に理屈っぽい会話を交わすのではない。ただ、隣に並んで花火を見上げ、その美しさに言葉を失う。そして、人混みではぐれないように、そっと手を繋ぐ。そんな、言葉にならない心の通い合いを、私は描いた。
夜空に咲いては消える光の華は、何一つ教えてはくれなかった。必勝法も、情緒的効果のメカニズムも。
ただ、その美しさを分かち合いたい人が隣にいるという、言いようのない幸福感だけを、私の胸に残していったのである。
私は、夏の夜風が吹き込む窓辺に、その不格好な猫のぬいぐるみを、そっと飾るのだった。