第四十九章 守護騎士の剣と、庭師の鋏、そして作家のペン
侯爵令息が残していった、一輪の白い薔薇と、もう一つの、より深い謎。それらは、我が思考の海に投じられた、巨大な碇であった。私の頭脳は、彼の真意を分析しようと、空回りする水車のように、ただ、ぐるぐると同じ場所を回り続けるばかり。我がペンは、もはや、一文字たりとも、物語の海を、進むことができないでいた。
私は、机に向かうことを諦め、窓の外に目をやった。
初夏の陽光が、生命力に満ち溢れた庭園を、惜しみなく照らし出している。
そこには、いつものように、私の、二人の騎士の姿があった。
そして、私は、その日、彼らが、それぞれの道具を手に、私には見えぬ、それぞれの敵と戦っていることを、知るのであった。
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訓練場では、コンラートが、まるで何かに取り憑かれたかのように、木剣を振るっていた。
その動きは、いつも以上に鋭く、力強い。しかし、彼の持ち味である、岩のような落ち着きは、そこにはなかった。一つ一つの太刀筋に、焦りと、そして、悲痛なまでの、苛立ちが滲んでいる。
彼の脳裏には、きっと、あの日の光景が焼き付いているに違いない。
舞踏会で、ジュリアン侯爵の、流れるようなエスコートの前に、ただ、立ち尽くすことしかできなかった自分。応接室で、彼の知的な会話の前に、言葉一つ、挟むことのできなかった自分。
彼の、そのあまりに真面目な魂は、自らの無力さを責めているのであろう。
彼の専門外である、社交や、気の利いた会話では、あの侯爵令息には、到底、太刀打ちできない。ならば、自分にできることは、何か。
ただ、ひたすらに、剣の腕を磨き、誰よりも強くなること。そして、いかなる脅威からも、物理的に、お嬢様をお守りすること。
彼の剣は、もはや、ただの訓練のためのものではなかった。それは、彼の、不器用で、一途な想いの、唯一の表現方法であったのだ。
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一方、薔薇園では、レオが、黙々と、剪定鋏を動かしていた。
その動きは、いつも通り、無駄がなく、手慣れたものであった。しかし、今日の彼は、いつもの軽口を、一切、叩かない。ただ、真剣な眼差しで、薔薇の枝と、その鋭い棘を見つめている。
パチン、パチン、と、小気味よい音が、静かな庭に響く。それは、伸びすぎた枝や、枯れた葉を、容赦なく切り落としていく音。
彼もまた、考えているに違いない。ジュリアン侯爵という、あまりにも手強い恋敵の存在を。
コンラートとは違う。レオは、知っているのだ。社交界のルールも、身分の違いがもたらす、絶対的な壁の存在も。彼は、自分が、決して、あの侯爵令息と同じ盤上には立てないことを、誰よりも、よく理解している。
彼の鋏は、美しい花を育むための道具であり、同時に、自らの、決して叶わぬであろう想いの芽を、これ以上、伸びすぎぬように、切り落とすための道具でもあったのかもしれない。
その横顔には、いつもの陽気な笑みの代わりに、諦観に似た、しかし、どこか、物憂げな影が落ちていた。
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私は、再び、自分の机の上にある、一本の羽ペンに、視線を落とした。
守るための「剣」。
育むための「鋏」。
そして、わたくしの、この「ペン」。
私は、彼らのように、強くもないし、器用でもない。しかし、わたくしには、このペンがある。
コンラートの不器用な誠実さも、レオの諦めに似た優しさも、そして、ジュリアン様の危険な魅力も。その、全ての、複雑で、矛盾に満ちた、人の心の有り様を、物語として、描き出すことができる。
私は、再び、ペンを握りしめた。
もはや、迷いはなかった。私が描くべきは、単純な三角関係の結末ではない。
私が描くべきは、彼ら、一人ひとりの、心の物語なのだ。
「守護騎士の剣、庭師の鋏、そして、作家のペン。我々は、それぞれ、あまりに不器用な道具を手に、同じ一つの、ままならぬ心と、戦っているのかもしれない」
ならば、わたくしは、このペンで、その戦いの、誠実なる記録者となろう。
「たとえ、その結末が、まだ、誰にも、わからなくとも」
私のペンは、再び、インクの海へと、静かに漕ぎ出したのであった。




