第四十八章 招かれざる客人と、二つの薔薇の謎
家庭教師の野外実習は、森の賢者(という名のリス)に、恋愛の深遠なる真理を学ぶという、実に壮大な計画であったが、結局のところ、私が持ち帰ったのは、理論の無力さと、朴念仁の騎士の腕の温もりだけであった。
我が心は、今や、様々な学説と、未整理の感情が、雑然と積み上げられた、屋敷の屋根裏部屋のようであった。老賢者の理論、庭師の忠告、そして朴念仁の温もり。これらを、一体、どう整理すればよいというのか。恋とは、かくも、片付けの面倒なものらしい。
そんな、私の知的な停滞を嘲笑うかのように、その客人は、またしても、何の予告もなく、我が屋敷に姿を現したのである。
「お嬢様、ジュリアン侯爵令息様が、お見えでございます」
アンナの、どこか困惑したような声が、私の思索を、現実へと引き戻した。
***
応接室には、初夏の柔らかな日差しが差し込んでいた。しかし、私の心は、真冬の鉛色の空のように、重く垂れ込めていた。護衛として控えるコンラートの、石像のように固い表情が、その緊張を、より一層、際立たせている。
やがて、ジュリアン様が、アンナに案内されて、優雅に姿を現した。
「やあ、セレスティナ嬢。突然の訪問、許してくれたまえ。どうしても、君に渡したいものがあってね」
彼は、相変わらず、洗練された物腰で微笑んでいる。しかし、彼が差し出したのは、大げさな花束ではなかった。たった一輪、完璧な形をした、純白の薔薇であった。
「白い薔薇の花言葉は、『純潔』『あなたに相応しい』。今の君に、最も似合うと思ってね」
その言葉は、甘く、そして、どこまでも滑らかであった。
私は、その白い薔薇を受け取りながら、冬の森で発見した、あの、あり得ないはずの、真紅の薔薇のことを、思い出していた。
私は、意を決して、彼に問いかけた。
「侯爵様、先日、わたくしは、冬の森で、真紅の薔薇を、一輪、見つけましたの。あれも、あなた様の仕業ですわね? この白い薔薇と、あの赤い薔薇。一体、どういうおつもりなのですか?」
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私の、あまりに直接的な問いに、ジュリアン様は、少しも驚いた様子を見せず、ただ、楽しそうに、その美しい青い瞳を細めた。
「おや、森の妖精の贈り物ではなかったのかい? だが、もし仮に、僕が贈ったものだとしたら……赤は情熱、白は純潔。一人の女性の中に、その両方が、矛盾なく存在しているとしたら、それは、実に、魅力的だとは思わないかい?」
彼は、私の問いには答えず、逆に、私自身を分析するかのような、謎めいた言葉を返してきた。
その時であった。彼の視線が、ふと、応接室に隣接する、私の書斎の机に向けられた。そこには、あの、一行しか書けなかった、コンラートへの恋文が、無防備に置かれていたのである。
私は、心臓が凍りつくのを感じた。
彼は、その手紙を、声に出して読むことはしなかった。ただ、全てを見透かしたような笑みを浮かべ、こう言ったのだ。
「おや、マダム・キュピドンも、時には、筆が止まることがあるようだ。相手の心を思うと、言葉とは、かくも不自由になるものだからね」
マダム・キュピドン。
彼は、やはり、知っていたのだ。私の最大の秘密を。そして、私が、今、誰かのために、言葉を紡ごうとして、立ち往生していることまでも。
***
「では、また近いうちに。君の、新しい物語、楽しみにしているよ」
ジュリアン様は、そう言い残して、嵐のように、しかし、どこまでも優雅に去っていった。
一人、応接室に残された私は、手に持った白い薔薇を、ただ、見つめていた。
赤と白。情熱と純潔。彼は、その二つの薔薇で、一体、何を指し示そうというのか。そして、彼は、どこまで、わたくしのことを見透かしているというのか。
もはや、彼を、「面白い観察対象」などと、呑気に構えていることはできない。盤上の遊戯は、すでに、私の知らないところで、始まっていたらしい。
マダム・キュピドンの新作。ヒロインに好意を寄せる、真意の読めないライバルは、もはや、単なる恋の障害ではない。彼は、ヒロインの秘密を握り、その心を、まるで盤上の駒のように、巧みに揺さぶる、恐るべきゲームマスターとして、描かれることになった。
「招かれざる客人が残していったのは、一輪の白い薔薇と、もう一つの、より深い謎であった」
私は、応接室の隅で、心配そうにこちらを見るコンラートに、視線を向けた。
「どうやら、次の手番は、わたくしにあるようであった」




