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第四十三章 地味な恋のすゝめ、あるいはマダム・キュピドンの作風変更

 アンナの語ってくれた、ささやかで、ほろ苦く、そして、驚くほどに温かい恋の物語。その「事例研究」以来、私の頭脳は、新たな、そして、より根源的なる問いに支配されていた。

 私は、彼女の物語と、自らがこれまで紡いできた物語とを、比較検討した。そして、一つの、実に、身も蓋もない結論に達してしまったのである。

 わたくしの描く恋は、偽物だ。


 なんと、なんと、わたくしは、これまで、偽りの愛ばかりを、高らかに謳い上げてきたのであろうか! 我がペンから生み出された恋人たちは、あまりに饒舌で、あまりに劇的で、あまりに、現実離れしている! そは、言わば、砂糖と香料だけで作られた、栄養価の全くない、空っぽの菓子のようなものであったのだ!


「そうだったのですね……! 本物の恋とは、わたくしの小説のように、常に波乱万丈なわけではない。もっと地味で、穏やかで、そして、だからこそ尊いものなのですわ!」

 私は、真実の光に打たれたかのように、書斎で一人、厳かに呟いた。


 ***


 その日の午後のお茶会。私は、アンナ、コンラート、レオの三人を前に、一つの重大発表を行うことを決意した。それは、人気作家マダム・キュピドンとしての、所信表明演説にも等しいものであった。

 私は、優雅に(自分ではそう思っている)立ち上がると、三人の顔を順々に見渡し、高らかに宣言した。


「皆様、聞いてくださいまし。わたくし、マダム・キュピドンは、この度、作風を、大幅に変更することにいたしました!」

「はあ」と、アンナ。

「……」と、コンラート。

「へえ」と、レオ。

 三者三様の、実に気の抜けた相槌であったが、私の情熱は、些かも揺らがない。


「これまでのわたくしは、読者の皆様に、あまりに非現実的な夢物語ばかりを提供しておりました。しかし、それは、作家として、不誠実であったと、深く反省しております。これからのマダム・キュピドンは、読者の皆様に、『真実の愛の形』を提示するべく、徹底的なリアリズムにこだわった、滋味深い物語を描こうと、固く決意した次第です!」


 ***


 私は、熱弁を振るいながら、次なる傑作の、その感動的なるプロットを、三人に語って聞かせた。

「まず、ヒロインとヒーローは、お隣同士です。しかし、十年ほどは、庭先で当たり障りのない挨拶を交わすだけの関係が続きます」

「……十年、ですか」と、アンナが、恐る恐る口を挟む。

「ええ。人の信頼関係の醸成には、それくらいの時間が必要なのです。そして、ある日、ひょんなことから――例えば、回覧板を回す順番を間違える、など――初めて、お茶を共にします。そこで、互いの価値観の、穏やかなる一致を確認した上で、双方の両親の祝福のもと、堅実なる結婚に至るのです! なんと、なんと、滋味深い物語でしょう!」


 私の、あまりに感動的なプレゼンテーションに、仲間たちは、それぞれの反応を示した。

 アンナは、自分の話が、主君に、あまりに壮大な勘違いをさせてしまったことに、少し申し訳なさそうな、しかし、私のその真剣な眼差しに、どこか嬉しそうな、複雑な顔をしていた。

 レオは、あからさまに、退屈そうな顔で、窓の外を眺めている。彼にとって、回覧板の順番を間違える程度の波乱しかない物語は、子守唄にも等しいのであろう。

 そして、コンラートは、ただ、こく、こくと、実に真面目な顔で頷いていた。彼には、おそらく、私が何を言っているのか、一割も伝わっていないに違いない。だが、主君である私が素晴らしいと言うのだから、きっと素晴らしいのであろう、という、その絶対的な信頼だけが、そこにはあった。


 ***


 その夜、私は、新たな芸術的使命感に燃え、机に向かった。

 レオには、まだ、この深遠なるリアリズムの価値が分からぬらしい。しかし、それでよい。真の芸術とは、常に、大衆の一歩先を行くものなのだから。


 私は、新しい羊皮紙に、万年筆のペン先を、そっと落とした。

 タイトルは、『隣の騎士と、十年目の茶会』。

 これぞ、我が作家人生の、新たなる代表作となるであろう。


「待っていなさい、読者の皆様。そして、担当編集者殿」


 私は、自分の信じる「リアル」が、市場マーケットという名の、非情なる現実に、どう評価されることになるのか、この時の私は、まだ、知る由もなかったのである。


「今、マダム・キュピドンが、皆様に、『本物の愛』をお届けしますわ」


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