第三十八章 禁忌回避シミュレーションと、朴念仁の予測不能な応答
アルビヌス先生の、実にありがたい(そして、全く役に立たない)講義によって、『恋愛における禁忌リスト』という名の、新たなる聖典を手に入れた私。しかし、それは同時に、私がコンラートに対して、いかなる行動も起こせなくなったことを意味していた。少し優しくすれば「感情の拙速なる開示」になり、彼のことを信じれば「根拠なき楽観主義」に陥る。私の前には、地雷原のごとく、無数の禁忌が広がっていたのである。
学んだ理論を、実践という名の坩堝で錬成してこそ、真の知恵となる。しかし、いきなり本番の戦場に赴くは、愚者のすること。まずは、この完璧なる理論に基づき、安全な模擬戦場を構築し、来るべき対話に備えるべきである!
私は、かつての情熱を胸に、再び『恋愛作法大全』を取り出した。そして、新たに「禁忌回避実践マニュアル」の章を書き加える。そこには、当たり障りのない会話のフローチャートや、感情を一切含まない、完璧に中立的な応答文のリストが、びっしりと記されていた。
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私は、コンラートを応接室に呼び出し、暖炉の前に座らせた。
「コンラート。今後の社交界に備え、わたくしの会話術の訓練に、しばしお付き合い願います」
その、実にそれらしい口実に、彼は「はっ、承知いたしました」と、真剣な面持ちで頷いた。彼が、自分がこれから、壮大なる恋愛実験の被験体にされるとは、夢にも思っていないことは、言うまでもない。
私の目標はただ一つ。「五分間、コンラートとの会話を、禁忌リストに一つも触れることなく、完遂する」こと。私は、内心、禁忌リストを片手に、チェック項目を確認する試験官の気分であった。
シミュレーション、開始である。
「……この冬は、随分と雪深いようですわね」
よし、完璧な滑り出し。天気の話は、マニュアルによれば、最も安全な議題である。
「はい、お嬢様。左様ですな」
コンラートの応答も、想定の範囲内。
「……暖炉の火というのは、実に落ち着きますわね」
次の議題は、目の前の暖炉。これもまた、極めて中立的。
「はい。お嬢様のお身体が、冷えぬよう、薪は多めにくべております」
……む。少しだけ、彼の気遣いという名の、個人的な感情が混入したか? いや、これは、騎士としての務めの範疇。問題はない。
会話が、途切れた。私の脳は、次なる安全な議題を、高速で検索する。しかし、私が口を開くよりも早く、コンラートが、少し照れたように、しかし、真っ直ぐな目で私を見て、こう言ったのである。
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「はい。ですが、お嬢様がこの冬、退屈なさらぬよう、何か私にできることはないかと、考えておりました」
……なっ!? なんだ、この、予測不能な応答は!
「例えば……今度、晴れた日には、雪うさぎでも、ご一緒に作りませんか」
雪うさぎ。
ゆきうさぎですって?
私の頭脳は、その、あまりに素朴で、誠実で、そして、全くもって理論的でない提案に、完全に思考を停止した。
これは、禁忌リストのどれにも当てはまらない。しかし、「共に何かをする」という未来の約束にも似たこの申し出は、危険な「根拠なき楽観主義」の第一歩ではないか? いや、しかし、ただの雪うさぎ……? これは、一体、いかなる罠なのだ!?
パニックに陥った私は、立ち上がり、叫ぶように言った。
「け、検討課題といたします! 本日の訓練は、これにて終了!」
そう言い捨てると、私は、応接室から逃げ出した。残されたコンラートは、ただ、きょとんとした顔で、私の去った扉を、見つめるばかりであった。
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書斎に逃げ帰った私は、自らの完璧なマニュアルが、たった一つの、誠実な提案の前に、いとも容易く崩れ去った事実に、愕然としていた。
私の理論は、悪意や計算、ドラマティックな駆け引きには対応できても、朴念仁の、ただただ純粋な優しさという、最大の変数を見落としていたのである。
マダム・キュピドンの新作。恋愛の禁忌を熟知し、完璧な理論武装で恋の戦場に臨んだヒロインが、ヒーローの、あまりに素朴で、真っ直ぐな優しさの前に、なすすべなく敗れ去る、という新たなプロットが、私の脳裏に浮かんだ。
「なんと、なんと予測不能な応答! 我が完璧なる禁忌回避マニュアルは、朴念仁の、ただ一つの、誠実なる提案の前に、脆くも崩れ去った。彼の思考回路は、いかなる悲恋物語の登場人物とも異なる、全く未知の論理で構築されているらしい」
私は、頭を抱えた。
「……これは、由々しき事態である。そして、実に、実に、研究しがいのある、新たなる課題である!」




