第三十四章 社交という名の疲労と、甘い菓子の治癒効果について
王宮舞踏会という名の、華麗なる戦争に、私は、確かに勝利した。しかし、凱旋した兵士を待っていたのは、栄光のパレードではなく、魂の抜け殻となった、空っぽの虚脱感であった。
翌朝、私が目を覚ました時、私の身体は、まるで鉛を流し込まれたかのように重く、頭は、霧がかかったように、全く働かなかった。肉体的な疲労もさることながら、慣れない社交で大量の情報を処理し、気を張り続けたことによる、精神的な「燃え尽き症候群」。これに違いなかった。
およそ「社交」とは、かくも人間の精神力を根こそぎ奪い去る、恐るべき活動であったのか!
私は、「もう二度と、あのような人間の坩堝には足を踏み入れたくない」と、か弱い声で呟くと、再びベッドのシーツの海へと沈み込み、固く閉ざされた、心地よい引きこもりモードへと逆戻りしてしまったのである。
***
それから三日間、私は、自室から一歩も出なかった。食事は、アンナが運んでくれるものを、ベッドの上で最低限摂るだけ。あれほど楽しかったはずの執筆活動にすら、手が伸びることはなかった。
舞踏会での出来事を思い出すだけで、脳が情報の処理を拒否するのだ。ジュリアン様の謎めいた言葉、大勢の人々の視線、交わした会話の数々……。それらが、私の頭の中で、渦を巻いて、ぐるぐると回り続けていた。
アンナは、「お嬢様、お疲れが出るのは当然ですが、少しはお庭の空気にでも当たりませんと……」と心配してくれたが、私には「今は、世界の全てと回線を断ちたいのです……」と答えるのが精一杯であった。
庭からは、レオの「おーい、お嬢様ー! 新しい花が咲きましたぜー!」という、陽気な声が聞こえてくるが、それに答える気力すらない。
そして、コンラートはといえば、私の部屋の前を、何も言わずに、ただ、何度も往復している気配だけが伝わってきていた。
***
引きこもり四日目の午後であった。私の部屋の扉が、順番に、控えめにノックされた。
最初にやってきたのは、アンナであった。
「お嬢様、お薬ではございませんが、きっと、お心の疲れに効きますわ」
彼女が差し出してくれたのは、リラックス効果のあるカモミールと、気分をリフレッシュさせるミントをブレンドした、特別なハーブティー。その温かく、優しい香りに、私のささくれ立った心は、少しだけほぐれるのを感じた。
次にやってきたのは、レオであった。
「お嬢様、とっておきのネタを仕入れてきましたぜ」
彼は、こっそりと私の耳元で囁いた。それは、あの舞踏会に関する、実に下世話で面白い噂話だった。
「ジュリアン侯爵に袖にされた、どこぞの令嬢が、悔しさのあまりドレスの裾を踏んで転んだとか」「あのカタブツで有名な財務大臣が、ダンスで派手に床と口づけしたそうで……」
その話に、私は、思わず、くすりと笑ってしまった。久しぶりに笑ったことで、強張っていた心が、さらにふわりと解きほぐされていく。
そして、最後に、コンラートが、実にぎこちない様子で部屋に入ってきた。その大きな手には、小さな箱が一つ、大事そうに握られていた。
「……その、アンナに聞いて、王都で評判だという菓子店に、行ってきました。お嬢様は、お疲れだと思ったので……」
彼が、おずおずと差し出したのは、美しい装飾が施された、小さな苺のケーキだった。
あの朴訥な騎士が、一人で、王都の、きっと華やかで女性客ばかりであろう菓子店に行き、これを選んできた。その光景を想像しただけで、私は、可笑しさと、それ以上の、胸が温かくなるような愛おしさを感じずにはいられなかった。
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その夜、私は、久しぶりに自分の足で食堂へ行き、三人と共に、ささやかな夕食をとった。
華やかな非日常(舞踏会)も、確かに刺激的であった。しかし、こうして気心の知れた仲間たちと過ごす、何でもない穏やかな日常こそが、私にとって最も大切な「帰る場所」であり、最高の「癒やし」なのだと、改めて実感していた。
マダム・キュピドンの新作。華やかな舞踏会の後、ヒーローとヒロインは、二人きりで、質素だが温かいスープとパンを分け合って食べる。そして、その何でもない時間こそが、どんな豪華な晩餐会よりも、二人の絆を深くするというシーンが、新たに書き加えられた。
「社交という名の、激戦の後に残ったのは、魂の燃え殻と、深い疲労であった。しかし、その灰の中から私を蘇らせたのは、英雄の凱旋パレードではなく、一杯のハーブティーと、下世話な噂話と、そして、朴訥な騎士が買ってきた、一つの甘い菓子であった」
私は、コンラートが買ってきてくれたケーキの、最後のひとかけらを、名残惜しそうに、そして、幸せそうに味わった。
「なんと、平穏な日常とは、かくも効果的な治癒魔法であったことか」




