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第二十八章 冬の森の散策と、雪上に記されし不可解な暗号



数日間にわたり猛威を振るっていた吹雪が、まるで嘘のように過ぎ去った、ある冬の日の朝。窓の外では、夜の間に降り積もった新雪が、澄み切った冬の太陽の光を浴び、無数のダイヤモンドのようにきらきらと輝いていた。世界は、音もなく、ただただ美しかった。


「まあ……! 世界が、まるで宝石でできているようですわ!」


冬晴れ。それは、厳格なる冬の王が、時折見せる気まぐれな恩寵である。この好機を逃し、部屋に籠もり続けるは、生命への冒涜に他なるまい。たとえ、その先に、いかなる不可解が待ち受けていようとも!

私は、体力作りと気分転換を兼ねて、屋敷の裏に広がる、雪に覆われた森を散策することを提案した。もちろん、護衛としてコンラートと、雪道に詳しそうなレオを伴って。


***


雪に覆われた森の中は、完全な静寂に包まれていた。聞こえるのは、我々の足が、きゅ、きゅ、と新雪を踏みしめる音と、弾んだ私の声だけ。

「まあ、見てくださいまし! 兎の足跡ですわ!」

「お嬢様、そちらは枝から雪が落ちます。お気をつけください」


私は、初めての冬の森の散策に、すっかり童心に返っていた。

「お嬢様、いいもの見せてやりますよ」

レオが、悪戯っぽく笑いながら、大きな松の木の幹を、思い切り蹴った。すると、枝に積もっていた雪が、陽の光を浴びてきらめきながら、滝のように、ざあっと降り注いだ。

「きゃっ! まあ、綺麗……!」

私が歓声を上げると、隣でコンラートが、実に真面目な顔で言った。

「レオ、お嬢様がお風邪を召したらどうするのだ」

「へいへい。騎士様は相変わらず頭が固いこって」

二人の間で、前夜の代理戦争の延長戦とも言うべき、ささやかな火花が散る。私は、そんな二人のやり取りを、微笑ましく眺めていた。この平穏な時間が、ずっと続けばよいのに、と願いながら。


***


森の少し開けた場所、まるで舞台の真ん中のように、ひときわ陽が差す場所に、我々はたどり着いた。

そこで、私は、信じられないものを発見した。


真っ白な、誰も足を踏み入れていないはずの新雪の上に、ぽつんと、一輪の真紅の薔薇が置かれていたのだ。


それは、まるで今朝摘まれたかのように瑞々しく、花弁には溶け残った雪の粒が宝石のようにきらめいていた。この極寒の冬の森には、到底、存在するはずのないものであった。

「……なんだこりゃあ」

レオが、いつもの軽口を消して、訝しげな声を出す。「誰かの悪戯か…? いや、ここまで来る足跡が一つもねえ。気味が悪い……」


コンラートは、即座に臨戦態勢に入っていた。

「お嬢様、お下がりください! 罠の可能性があります!」

彼は、私を背後にかばい、剣の柄に手をかける。


だが、私の心に広がったのは、恐怖よりも先に、強い既視感と、一つの確信であった。

この、洗練された、あり得ない、少し芝居がかった演出。甘美にして、不気味なこの手管。これは、あの男に違いない。


「ジュリアン様……」


私の口から、無意識にその名がこぼれ落ちた。

どうやって? いつの間に? 何のために? 彼は、この屋敷の、私の行動を、どこかから見ているというのか? 美しい薔薇は、甘い贈り物ではなく、彼の存在の不可解さと、見えない執着を示す、不気味な暗号のように、私の目には映った。


***


楽しいはずだった散策は、一転して、不穏な空気に包まれて終わった。三人は、足早に屋敷へと戻る。

屋敷に戻った私は、もはやジュリアンという存在を、「面白い観察対象」として呑気に構えていることはできなくなった。彼の行動は、私の安全な領域にまで、確実に及んでいるのだ。私は、恐怖と共に、自らの平穏が見知らぬ誰かの掌の上で弄ばれているかのような、強い不快感と、そして、それに屈するものかという、密かな闘志を燃やしていた。


マダム・キュピドンの新作。ヒロインに好意を寄せる、真意の読めないライバルは、ただ社交界で言葉を交わすだけの存在ではなくなった。彼は、ヒロインのプライベートな領域に、謎めいた形で、その存在の「影」を落とし始める。物語は、ラブコメディから、少しだけサスペンスの要素を帯びていくことになった。


「冬の森の静寂は、たった一輪の、場違いな薔薇によって破られた。それは、甘い香りではなく、不可解な謎の香りを放っていた」


私は、窓の外の美しい雪景色を、今や、油断ならぬ敵意のようなものさえ感じながら、見つめていた。


惑星Jジュリアンは、もはや、遠い天体ではない。その引力は、確実に、我が平穏なる日常を侵食し始めている。どうやら、この冬は、ただ寒いだけでは済まないらしい」


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