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第二十七章 暖炉の火と、物語の夜長を巡る、ささやかな代理戦争

 窓の外では、白き魔物が咆哮し、叩きつけるような吹雪が、屋敷の窓をガタガタと揺らしていた。外の世界は、完全に冬の猛威に屈し、我々は、暖炉の火が燃える応接室という名の、小さな孤島に閉じ込められていた。

 執筆も一段落した私。剣の手入れを終えたコンラート。庭仕事もできず、ただ天井の染みを数えているレオ。そして、一通りの家事を終え、静かに編み物をするアンナ。その静寂は、あまりにも手持ち無沙汰で、そして、退屈であった。


 冬の夜長。それは、人間という矮小な存在に、自らの無為と退屈を、これでもかと突きつけてくる、静かなる拷問の時間である。この拷問から逃れる術は、ただ一つ。物語という名の、時を忘れさせる甘美な麻薬に、その身を委ねることだけなのだ!


「皆様、あまりに退屈ですわ。そうだわ! わたくしに、何か物語を読んで聞かせてはくれませんこと?」

 私は、貴族的な娯楽の提案という体裁をとりつつ、この退屈を打破すべく、そう命じたのであった。

「コンラート、レオ。あなたたちの好きな物語を、わたくしに聞かせてくださいな」


 ***


 私のその一言が、この静かなる夜に、ささやかな戦争の火種を投下することになるとは、この時の私は知る由もなかった。

 聴衆は、私と、そしておそらくは審判役を兼ねるであろうアンナ。その二人を前に、コンラートとレオの間に、静かな競争心が芽生えたようであった。


 まず、コンラートが、自室から古びた一冊の本を持ってきた。それは、革の表紙が擦り切れた、荘厳な『聖騎士アルトリウスの武勇伝』。

 対するレオは、どこからか手に入れてきた、庶民の間で人気の、安価な木版刷りの冊子を取り出した。表紙には、悪そうな笑みを浮かべた狐面の男が描かれている。『義賊フォックスの冒険活劇』。


「どちらも面白そうですわね。では、プレゼンテーションをして、よりわたくしの心を惹きつけた方を選びましょう」

 私が事態を面白がってそう言うと、二人のプレゼン合戦が始まった。


 コンラートは、実に真面目に、武勇伝のあらすじと、その物語がいかに騎士の徳――すなわち、勇気、誠実、自己犠牲を教えてくれるかを、熱弁した。しかし、その語り口は、あまりに朴訥で、面白みに欠けること甚だしかった。


 一方のレオは、身振り手振りを交え、声色を使い分けながら、冒険活劇の最も面白い場面を、実に巧みに語ってみせた。悪徳商人が、主人公フォックスにしてやられる場面では、彼はあたかも見てきたかのように、生き生きと、そして実に楽しそうに語るのであった。


 ***


 プレゼン合戦は、次第に「どちらの物語が優れているか」という純粋な文学論争から、「どちらがセレスティナの好みに合うか」という、ささやかな代理戦争の様相を呈してきた。


「お嬢様は、このような下品で、無節操な盗賊の物語よりも、高潔なる騎士の物語こそお好きに違いありません!」と、コンラートが力説すれば、

「いいや、お嬢様は、頭の固い騎士の昔話より、こういうスカッとする話の方が絶対に楽しいって!」と、レオが言い返す。


 自分を間に挟んで、二人が静かに(しかし真剣に)火花を散らすという、これまで経験したことのない状況。私は戸惑った。しかし、それ以上に、自分を巡って二人が張り合っていることが、どこか可笑しく、そして、少しだけ誇らしいような、奇妙な心地よさを感じていた。


 私がどちらを選ぶか、決断を迫られて困っていると、編み物をしていたアンナが、ふわりと顔を上げて言った。

「では、今宵はコンラート様の武勇伝を、そして、明日の夜はレオさんの冒険活劇を、それぞれ読んでいただくというのは、いかがでしょうか? 冬の夜は、まだたくさんございますから」


 その実に公平で、誰も傷つけない賢明なる裁定に、コンラートもレオも、納得せざるを得ないのであった。


 ***


 その夜、まずはコンラートが、暖炉の火に照らされながら、『聖騎士アルトリウスの武勇伝』を、朴訥だが、一言一言に心を込めて、読み始めた。

 物語そのものの面白さもさることながら、私は、それを読んでくれる人の「声」や「想い」が、物語の味わいを大きく変えることに、初めて気づいた。コンラートが読む騎士道物語は、彼の誠実な人柄がにじみ出て、格別に心に響くのだ。

 物語とは、テキストそのものではなく、「誰かと共有する」という体験の中にこそ、本当の豊かさがあるのだと、私は学んだ。


 マダム・キュピドンの新作。登場人物たちが、互いに好きな本を勧め合ったり、物語を読み聞かせたりするシーンが描かれるようになった。それは、キャラクターの内面や、関係性の変化を描写するための、新たな手法となった。


「暖炉の火の前で繰り広げられた、ささやかなる代理戦争は、アンナという名の賢明なる調停官によって、実に平和的に終結した。その夜、朴訥な騎士の声で語られる英雄の物語は、不思議と心に染み渡った」


 私は、暖炉の火の向こうで、少しだけ得意げな顔をしているコンラートと、明日の出番を待ってニヤニヤしているレオを眺めていた。


「どうやら、物語の価値とは、その内容だけでなく、誰と、どのように分かち合うかによって、無限に変化するらしい。さて、明日の夜の、お調子者の冒険活劇は、一体どんな味がするのだろうか」


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