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第二十一章 肖像画に見る理想の自分と、鏡に映る現実の私について

 担当編集者という名の、顔の見えぬ論客との一戦を終え、私の創作活動は、より深く、そして自由な海へと漕ぎ出した。夏の強い日差しが書斎に差し込む穏やかな午後、私は、次なる物語の構想に没頭していたのである。

 その平穏を、実に無遠慮に引き裂いたのは、またしても、ヴァレンシュタイン伯母様からの、一通の手紙であった。

『春の舞踏会では顔を見せたようですが、いまだ良き縁談の一つもないとは嘆かわしい限り。こちらで良さそうな殿方を見つけましたので、まずは、あなたの肖像画を大至急送りなさい』


 縁談話には、もはや眉一つ動かさぬほどの耐性がついていた私であったが、「肖像画」という単語を目にした瞬間、私の心臓は、氷水に浸されたかのように、きゅっと縮み上がった。

 肖像画。それは、画家の筆によって、被写体の魂までも写し取ると言われる、恐るべき鏡である。しかも、その鏡は半永久的に残り、見知らぬ殿方の品定めを受けるという。これほどの公開処刑が、この世にあってよいものか!


 私は、画家を呼ぶ前に、まず自らの現状を把握せねばならないと決意した。そして、引きこもり生活を始めて以来、おそらくは初めて、まともに自室の大きな姿見の前に立ったのである。


 ***


 そこに映っていたのは、二年間、陽の光を浴びず、不規則な執筆生活を送ってきた、青白い顔の娘であった。目の下には、マダム・キュピドンの夜なべ仕事の勲章たる、うっすらとした隈。そして、かつては蜂蜜色とも称された艶やかな亜麻色の髪は、その輝きをすっかり失い、ただ無造作に後ろで一つに束ねられているだけだった。


 私は、愕然とした。社交界にいた頃の、血色の良い華やかな自分(の記憶)と、現在の自分との、あまりのギャップに。

「これでは、まるで幽霊か、あるいは締め切り前の文士のよう……! こんな姿を、マダム・キュピドンの読者に見せるわけにはいきませんわ!」

 私は、謎の作家プライドを発揮し、美しさもまた、科学的アプローチによって獲得可能であると信じ、新たな「研究」を開始した。アンナから貴族令嬢の美容法を聞き出し、レオから肌に良いという薬草の情報を仕入れ、私は独自の「最適美顔プロトコル」を考案。きゅうりを顔中に貼り付け、カモミールの煮汁で髪を洗い、怪しげな薬草パックを試しては、アンナをハラハラさせる日々が始まった。


 ***


 しかし、数日間にわたる奇妙な研究も虚しく、鏡の中の私が劇的に変化したとは思えなかった。

「やはり、付け焼き刃ではどうにもなりませんわ……。わたくしには、肖像画に描かれるような価値など……」

 私が、部屋の長椅子で落ち込んでいると、仲間たちが、それぞれのやり方で声をかけてくれた。


 レオは、庭で育てた、朝露に濡れたそれは見事な薔薇を一輪持ってきて、こう言った。

「お嬢様。どんな綺麗な花だって、少し俯いている時が一番美しいってこともあるんですよ。今のアンタ、そんな感じだ」


 コンラートは、私の側まで来ると、いつものように朴訥な口調で言った。

「お嬢様、顔色が優れないように見受けられます。しかし、先日の散歩の折に見せた笑顔は、春の陽光のように、眩しくありました」


 そして最後に、アンナが、静かに髪を梳かしてくれた。輝きを失ったと思っていた亜麻色の髪が、彼女の優しい手つきで、少しずつ光を取り戻していくようだった。彼女は、私の髪を簡単なリボンで結い上げ、ほんの少しだけ、私の頬に紅を差した。

「お嬢様は、元々、大変お美しい方です。必要なのは、高価な美容液ではなく、ほんの少しの自信と、笑顔だけなのですよ」


 仲間たちの言葉と、アンナの魔法。私は再び鏡を見る。そこにいたのは、完璧ではないかもしれないが、確かに自分らしく、そして穏やかに微笑む令嬢の姿だった。

 私は、その時、気づいたのだ。本当の美しさとは、他人の評価や、理想の自分との比較ではない。自分を大切に思ってくれる人々の「温かい眼差し」の中にこそ存在するのだと。彼らの言葉こそが、何よりも効果的な美容液だったのである。


 ***


 数日後、肖像画家の老人が屋敷にやってきた。

 私は、もう恐怖を感じていなかった。アンナが整えてくれたシンプルなドレスをまとい、背筋を伸ばして椅子に座る。完璧な笑顔は作らない。ただ、穏やかに、仲間たちのことを思い浮かべながら、自然に微笑んだ。

 画家は、私の姿を見て、こう呟いた。

「ふむ。実に、お美しい。単なる美しさではない、物語のあるお顔立ちですな」


 マダム・キュピドンの新作に、新たなヒロイン像が生まれた。

 自らの容姿にコンプレックスを抱いているが、ヒーローや友人たちとの交流の中で、自分自身の価値を見出し、自信を持っていくヒロイン。外見の美しさよりも、内面の輝きこそが人を惹きつけるのだ、と。


「鏡に映る現実は、理想とはほど遠い、青白い幽霊であった。しかし、仲間たちという名の、何よりも真実を映す鏡の中に、私は、私自身も知らなかった『私』を見つけたのだ」


 画家が描くのは、ただの十八歳の令嬢の姿ではない。きっと、その瞳の奥に宿る、たくさんの物語をも描き出してくれるに違いない。私は、そう確信していた。


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