第十九章 嫉妬感情の再検証、あるいは守護騎士の不機嫌に関する一考察
王宮舞踏会という名の嵐が過ぎ去った後、私の日常には、新たな、そして実に厄介な定数が加えられた。若き侯爵令息、ジュリアン・フォン・アウステルリッツ。彼から、連日のように届けられる、大輪の薔薇の花束と、美しい修辞で飾られた手紙。その内容は、マダム・キュピドンの作品への熱烈な賛辞と、次のお茶会への優雅な誘いであった。
私はその対応に、ほとほと困惑していた。しかし、それ以上に私の知的好奇心を刺激してやまなかったのは、私の護衛騎士、コンラートの態度の変化であった。
ジュリアンからの贈り物が届くたびに、彼の寡黙な横顔には、普段決して浮かぶことのない、暗い影が落ちる。眉間には、まるで渓谷のような深い皺が刻まれ、訓練場で木剣を打ち込む音は、明らかに、必要以上の力を帯びていた。
その様子を注意深く観察していた私は、ある日、閃いてしまったのである。
嫉妬。かつて私は、この複雑怪奇な感情の人為的惹起に、見事なまでに失敗した。しかし、どうであろう。今、我が目の前には、予測不能なる変数『ジュリアン』の投入によって、自然発生した、極めて純度の高い『嫉妬』のサンプルが存在するではないか!
これを研究せずして、何が恋愛小説家か!
私は、再び『恋愛作法大全』を取り出し、「嫉妬感情・実践編」のページを、静かな興奮と共に書き加え始めたのであった。
***
「お嬢様、それはあまりに悪趣味ですし、コンラート様がお可哀想です」
私の壮大なる実験計画に、アンナは心底からの憂慮を示した。
対照的に、レオは実に面白そうな顔で言った。
「へえ、そりゃ面白い。あの石頭のコンラートがねえ。いいですよ、協力しますぜ、お嬢様の恋の、いえ、高尚なる研究のために!」
かくして、アンナの冷ややかな視線と、レオの野次馬根性を背に受け、私の悪趣味にして科学的な実験は、静かに開始された。
実験は、実に単純明快。「ジュリアン」という刺激を与え、「コンラート」の反応を詳細に記録・分析する、というものである。
ある日の午後、コンラートが控える談話室で、私はわざとらしくジュリアンからの手紙を広げた。
「まあ、ジュリアン様は、マダム・キュピドンの描くヒロインの心理描写を、実によく理解していらっしゃるわ……」
私の独り言に、背後のコンラートの息が、一瞬、詰まった気配がした。
またある日には、ジュリアンから贈られた、血のように赤い大輪の薔薇を、応接室の一番目立つ場所に飾った。聖夜祭にコンラートが贈ってくれた、不器用な木彫りのペン立てが、その華やかさの影で、心なしか小さく見えた。
***
実験が数日続いた、ある夕刻のこと。
私が、レオと楽しげに「ジュリアン様は、舞踏会でも大変人気でいらしたそうね」などと話していると、背後で控えていたコンラートが、静かに、しかし、有無を言わせぬ響きで口を開いた。
「お嬢様」
その声の低さに、私とレオの会話が、ぴたりと止まる。
振り返ると、彼は、これまで見たことのない、どこか苦しげな、真剣な瞳で、私をまっすぐに見ていた。
「その……侯爵令息は、お嬢様がマダム・キュピドンのファンであるから、近づいてきているのです。彼が見ているのは、お嬢様ご自身の心の奥底では、ないのかもしれません」
彼の言葉は、怒りというよりは、むしろ、痛切な訴えに近かった。
「俺は……」
彼は、一度言葉を切り、固く握りしめた拳を、わずかに震わせた。
「俺は、お嬢様が、ただ、お嬢様として、笑っているお姿が……一番良いと、思います。たとえ、その方が、俺の知らない物語の話をされていても」
それは、嫉妬という名の刃ではなかった。
それは、私のくだらない実験の、薄っぺらい仮面を易々と貫き、私の心臓に直接突き刺さる、不器用で、誠実で、どうしようもなく温かい、一人の男の魂の言葉であった。
「研究対象」として見ていたはずの彼の、剥き出しの感情に触れ、私の胸を、鋭い痛みが貫いた。
わたくしは……また、間違えてしまったの……?
***
その夜、私は『恋愛作法大全』を開いたが、コンラートの反応を、どの類型にも分類することができなかった。彼の感情は、嫉妬、心配、忠誠心、そしておそらくは恋心が、あまりにも複雑に絡み合った、測定不能なものだったからだ。
人の心、特に「嫉妬」という感情は、誰かを傷つけるためだけの負の感情ではない。それは、大切な人を守りたい、失いたくないという、切実な想いの、どうしようもない裏返しなのだ。
マダム・キュピドンの新作に、三角関係のプロットが書き加えられた。しかし、それは単なる恋の鞘当てではない。ヒーローは、ライバルの登場によって、初めてヒロインへの自分の本当の気持ちの深さに気づき、不器用ながらも彼女を守ろうと行動する。嫉妬が、二人の関係を深めるための、重要な触媒として描かれるようになった。
「嫉妬感情の再検証は、またしても失敗に終わった。いや、あるいは成功したのかもしれない。なぜなら、私は、測定不能なデータを得たのだから」
私は、応接室のテーブルに置かれていた、コンラートの木彫りのペン立てを、そっと手に取った。そして、ジュリアンの華やかな薔薇が飾られていた、部屋の一番目立つ場所、私の机の真ん中に、そっと、置き直した。
「それは、私のくだらない実験を、遥かに超えた場所にある、一人の男の、不器用で、誠実で、そして、どうしようもなく温かい心の形そのものであった」