結果はすでに決まっている
それから放課後は家庭科室の綾乃ほのかと一緒に過ごすようにした。
火曜日。 午後の体育は、体育館でのバスケットボールだった。男子と女子は別メニューで、俺は男子チームの練習に混ざっている。
「佐倉、パス!」
「お、おうっ!」
不慣れな手つきでボールを受け取って、慌てて味方に渡す。シュートチャンスだったのに、俺は即座にパスを選んだ。
選ばないことに、慣れていた。
遠くのコートでは、綾乃さんが女子チームのメニューをこなしていた。目が合いそうになって、俺はすぐに視線を逸らす。
昨日みたいに手を振ってくれたかもしれないのに。
自分はどこか拒絶されることに怯えている。
火曜日の放課後、室内にミシンの軽やかな音が響いていた。
前日と同じように白と藍の布を縫っていた。
その手つきは、ほんの少しだけ、速くなっている。
「……縫い目。すこしはまっすぐになってきたかな」
ぽつりとひとりごと。だれに聞かせるでもないそれに、俺は頷きたかった。
俺はただ静かに見守っているだけだった。
彼女はまだ、自分をヒロインだと思えないでいるようだ。
それでも進んでいる。昨日より、今日へと。
すこしずつ、すこしずつ。
水曜日。
四時間目の現代文。先生が音読する本文に、俺の意識は半分しか向いていなかった。
「──では、佐倉。続きを読んでみろ」
やっべ。
「(佐倉様138ページ2行目からです)」
「えーと……『彼はその言葉を受け止め、胸の内に──』」
声が震えた。綾乃さんが、前の方の席でノートに視線を落としているのが見えた。
たぶん俺の声なんて聞いてかとおもったら、苦笑いして小さくガッツポーズしてくれた。
放課後。
「……すごい。形になってきたね」
俺は思わず口にしていた。
机の上には、昨日よりも完成に近づいた衣装が広がっていた。
藍を基調に、肩の装飾と胸元の刺繍がすでに仕上がっている。
ヒロインの象徴物であるリボンも、まだ仮留めだったが、位置が決まっている。
彼女は、すこし恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「まだ全然だよ。でも、佐倉君がくれた資料が、すごく役にたっているの」
衣装が完成に近づくにつれて、彼女も自信を持ちつつある。
しかし。
「……わたしが、これを着るところを想像すると……やっぱり、どこかで、無理だって思っちゃう」
「そんなことないよ。綾乃さんに似合うと思う」
そういったが、彼女は針を置いた。
その指先が、小さく震えている。
想いが伝わらないのがもどかしい。
昼休み。アリスと一緒に学食に並んでいたら、まさかの事件が起きた。
「ほら、佐倉様、選んでください。今日は限定の唐揚げ定食があります」
「いや、俺はカレーで──」
「却下です。たんぱく質が足りません。筋肉が泣いています」
「は!?」
騒ぎが大きくなって、学食の一角の注目を集める。ちょうどトレイを持った綾乃さんが通りかかった。
目が合った。
──何かを言いかけて、やめたような顔だった。
木曜日の放課後。
「明日、仕上げます」
彼女が、そう宣言した。
最後の布をミシンに通している。
目は真剣だ。だけど怯えているようにも見えた。
「……でも、着るかどうかは、明日のわたしが決めます」
それが、彼女の答えだった。
俺は頷いた。
信じたかったら。信じてほしかったから。
金曜日の朝。教室で綾乃ほのかと目が合わなかった。
何かを我慢したかのように唇を噛んでいた。
もう、結果は出ているようだ。
全ては、放課後決まる。
「佐倉様、時間です」
アリスの声がした。
「これより、ヒロインの判定フェイズに移行します」
その瞬間、空が裂けた。
青空だったはずの空に、巨大な黒い亀裂が走る。
風が止まり、音が消える。
見上げた先。
そこには、燃えるような隕石が浮かんでいた。
また、隕石か。
空が真っ暗に染まる。空一面を覆う巨大な隕石が、音速を越えて一直線に俺の頭上に落ちてくる。
泣き叫ぶ生徒。逃げる生徒。訳の分からない指示を出している教員。
もうパニック状態だ。
だけど、俺だけは違った。そして彼女もきっとそうだろう。
俺は走った。この時間、きっと彼女ならあの場所にいる。
人の波をかき分けて、家庭科室へと飛び込んだ。
やっぱり、いた。
綾乃ほのか。
いまは一心にノートにペンを滑らしている。
描かれているのは、『正妻は秘密裏に夫を救う』の衣装についての解釈だった。
ちらりと見ると『これはあくまで憧れで、私には似合わない』と書かれていた。
衣装は着ていない。
学校のマドンナ。
透き通るような肌に、モデルのようなプロポーション。
でもどこか、孤独そうな笑顔をする女の子。
以前までの俺はよく笑う、人の中心にいる女の子だと思っていた。
けど、この一週間をそれなりに過ごすことで、彼女のいろんな面を知ることができた。
彼女は自分に自信がない。
どれだけ褒められても、優秀な姉と比べてしまって自分を認められないでいる。
彼女は意外なことにアニメが好きだ。
特に好きなアニメの話になると、あの大きな瞳が宝石のように輝く。
今でも思い出す。あの日、俺が落としたラノベを拾い上げて、笑顔で渡してくれたことを。
俺は彼女に好きだっていえなかった。怖かったからだ。
でも今ならいえる。いや、いわなくちゃいけない。
だって、もうすぐ世界が終わるんだから。
「世界が終わる前に!伝えたかったんだ!君のことが、好きだ!付き合ってください!」
彼女はペンを止めた。
一瞬の静寂。
周囲の音が、消えた。
世界の終わり、確かに世界に二人きりでいるようだった。
綾乃は、少しだけ目を見開いて、そして微笑んだ。
「……佐倉君の気持ちも、本当は嬉しいの。でも――私は、ヒロインにはなれないの」
彼女の手が、ほんの少しだけ震えていた。
「……ヒロインになろうとしたところで、どうせだれにも見せられないし。笑われて終わりです」
その瞬間。
俺と綾乃は衝撃で消滅した。
世界が白く染まった。音も、色も、熱だって、なにもかもが、吹き飛んだ。
世界は終わった。この告白ごと。
きっと笑われるんだろうな。この最期。
そんなことを思った。
目を覚ます。予想通りグリッド線の描かれたサイバーな空間だ。
目の前のアリスは意外なことに沈痛な面持ちでいた。
「佐倉様……残念ながら世界を再構成されることになりました。綾乃ほのかさんはなかなか手ごわいですね。佐倉様は、大丈夫ですか?」
お前、そんなキャラじゃないだろ。
俺はなにやら落ち込んでいるアリスの前で跳び起きた。
「うん。大丈夫。今回は残念な結果になっちゃったけど、ギャルゲーでいうところの必須イベントを見られていないみたいな結果だったね」
アリスは少しだけ微笑んだ。
それから不敵な笑みへと変わる。
「現実の恋愛をギャルゲーで例える佐倉様は、相変わらず恋愛偏差値が低いですね」
「恋愛に偏差値があるかよ。あるのは相思相愛になれるかどうかだ」
「経験がない佐倉様はいっても、説得力がないですね」
「うっさい」
うん。いつもの感じになってきた。大丈夫そうだな。
「それで、佐倉様はこれからどうするつもりですか?」
俺は顎に手を当てながら、答えた。
「ギャルゲー式攻略方法からこういう必須イベントを取り逃したときにするのは、総当たりだ。一見ネタ選択肢に見えてもまずは選んでみるとするよ」
アリスが正気を疑うような表情をしていた。
「俺だって嫌だよ。けど……次は、本気で掴みに行く」