あなたはくそ雑魚ナメクジです。……はい。
世界が巻き戻った。
アリスにいわせれば、再構成しただけなのだろうか。
さっき隕石で崩壊したとは思えないいつもの景色だ。
「それで、私めはどうすればいいでしょうか?正直に申し上げまして、恋愛というものをしたことがなく、一週間で成就させろといわれましてもどのようにしていいのかと、困惑しております」
アリスが納得したような顔をした。
「そうでしょうとも。恋愛くそ雑魚ナメクジの佐倉様でも恋を成就させられるために、私が派遣されたのですから」
……恋愛くそ雑魚ナメクジ。確かに恋愛レベルはゼロに等しいけれども。
そこまでいわれる必要があるのか。
いや、幼稚園のころみらいちゃんに告白されたことがあるぞ!
恋愛くそ雑魚ナメクジでは、ないはずだ。
「俺は幼稚園の頃に告白されたことがある。ただのくそ雑魚ナメクジとは違うはずだ」
「あなた、恋のこの字も知らずに断って、アニメに夢中だったじゃないですか。経験ゼロと一緒ですよ。雑魚ナメクジさくらさま」
確かにそうだけれど。もっとこう経験値としてカウントしてくれても、いいんじゃ。
「あなた。そのこと恋愛に活かせます?」
……ただの雑魚ナメクジでした。
アリスは続ける。
「そんなくそ雑魚なあなたでも恋愛を成就させるためのサポートがあります。その一つがこれです」
アリスがそういうと、目の前に四角い窓が表示される。
おおう。SF世界だったのか。
そこにはこの桜木市のMAPが表示されていた。自分の現在地と、2頭身で描かれた綾乃ほのかさんの現在地が描かれていた。
《現在地自宅:佐倉純》
《ヒロイン出現ポイント:銀天街(晴天)》
ギャルゲーみたいだ。いや、この世界は恋愛シミュレーションゲームの中だと思えっていっていたから当然なのだろうか。
「なあ、アリス。これってストーカーなんじゃ」
「仕様です。ギャルゲーですから。今日は土曜日。よほどの偶然でもない限り、出会うこともできないのですからむしろ感謝してください」
納得はいかないが、確かにありがたい。
ゲームなんだ。とりあえず出会って好感度を稼げばいい。クリア条件を満たすだけだ。
余裕じゃん。
じゃあ、世界を救ってやるか。
「分かった。早速出かけるぞ。アリス」
「……そのジャージ姿のままですか」
「……はい。着替えてきます」
俺の持っている服で、マシであろう服を着る。
当然のようにリビングでくつろいでいた。
俺を投げやりに見て。
「まあ、清潔感のある格好ですし、妥協しましょう」
俺なりに頑張ったんだけど。
まあ、及第点ならよしとしよう。
「それじゃあ行こうか。ゲームの中なんだから、選択したら現地に跳ぶとかできないの?」
「できません。神様的にNGらしいです」
「そうですか」
玄関を戻してもらった後で自転車に乗る。当たり前みたいにアリスが荷台に乗った。
「道交法違反!」
俺は抗議した。
法という圧倒的な権力を以て、こいつを荷台に乗せるつもりはないと意思表示をした。
「私は人ではなく『サポートAI』です。今はあなた以外に見えない状態です。――ぐだぐだというと滅ぼしますよ?」
「イエス・ユアハイネス!」
自転車を走らせる。
季節は5月になったばかり。芽吹いた青葉は勢いを増して、青さを濃くしている。
段々と温かくなっている季節の変化を肌に感じる。
後ろにいる『サポートAI』様のことは考えないようにしながら、目的地に行く。
だってこれって2人乗りだし。なんか照れる。
二十分ほどで目的地に着いた。
アリスが飛び降りたので、駐輪場に自転車を置いてきた。
人通りの多い銀天街の中、明らかに浮いた存在がいた。
帽子を深くかぶり、マスクをつけて、トレンチコートを着込んでいる。
ただ、その雰囲気、所作、指先のそろえ方から歩き方まで、綾乃ほのかであることを示している。
「なんであんな変装をしてんだ?」
綾乃ほのか。社長令嬢で、生徒会副会長。人当たりがよく、品がよく、いつも人に囲まれている。そんな完璧なお嬢様だ。
だというのにいま、その彼女は買い物袋を隠すように抱えている。
その袋には見覚えがあった。
コスプレの衣装や素材を扱っている『COSPRIA』のものだ。
「……まさか。いやいや」
脳内でぐるぐると思考が回る中、目の前にウィンドウが表示された。
選択肢:➡A:声をかける「綾瀬さん?」
B:そっとしておく
C:綾乃ほのかに絡むチンピラを撃退する
Cはないだろう。別に絡まれてないし。Bはいつもの俺のままだ。ここはA一択。
「綾瀬さん?」
びくりとして振り返った彼女は、帽子をぎこちなく直して、小さな声を返した。
「あっ……佐伯君?」
その声は、いつもの明るいものとは違った。どこか、固く緊張した声。
「えっと……偶然、ですね?」
彼女はそっと紙袋を身体で隠した。
こんな不審者然とした格好でも可愛らしい。流石だなあ。
「買い物?」
「あ……えっと……その、少しだけ。趣味の……というか……知り合いへの、贈り物を、探していて……」
完全に動揺をしている。目が泳いでいる。
それでも声が丁寧さを感じるもので、お嬢様だなあと感じた。
「え、ああ。そうか。俺も今日ここにラノベを買いに来ていて」
気まずい雰囲気を埋めようとした俺に、綾乃さんはかすかに微笑んだ。
「そういえば、以前も佐伯さん。ラノベを持ってらっしゃいましたね?」
「え?あー、うん。けっこう読むよ。えっと、最近では、悪役令嬢は世界を救うシリーズとか……」
「あの!わたしも、正妻は秘密裏に夫を救うという作品が好きなんです。……あっでも!兄が置いていたものを、たまたま……」
最初勢いがあったのに、気づいたのか言葉が小さくなっていく。彼女の頬がほんのり赤くなっているのが分かった。
「へ、へえ。あれ、いいよね。人には認められていない婚約者の女の子がひっそりと夫を様々な方法で助けているのが」
「そう……思いました。あの、第三話の戦争シーンで支給品を通して、危機を知らせるところとかドキドキしました」
笑ってくれた。さっきまでと違う、心からの笑顔だった。
〈ふふ、好感度アップです。佐倉様にしては上出来〉
アリスの声が耳元で響く。
「うっさい。今、集中してる」
「それじゃ……あの」
綾乃さんが、紙袋をぎゅっと抱え直した。
「今日は……このこと、内緒にしてくださいますか?」
「え?」
「……あの、こういう趣味は、ちょっと……家の人には、いいづらいので」
その指先がぎゅっと紙袋を握る。手が小さく震えている。
声が、まるで風鈴のように儚げで、彼女が完璧な存在ではないことを、そっと教えてくれるようだった。
「……わかった。俺も似たようなもんだからさ」
「……ありがとう、佐伯くん」
彼女はそっと頭を下げ、帽子を直して歩き出した。 その背中は、ほんの少しだけ軽やかに見えた。
ほぼ初回の交流として十分だったのかな?
〈そんなので満足するからいまだ彼女ができないんですよ?恋愛偏差値E未満ですね〉
うっさいわ。