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ぼやけた焦点

少し前からファインダーの向こうにいる少女に対して、一度受け入れた身としては恐怖を抱くことは無くなった。

それどころか少しずつ興味を抱くようになった。

こう言ってしまうと少し陳腐なものになるが、彼女のことが気になり始めていた。


初めの頃は、それこそあまり気にしないようにしようと心掛けていた。

いつものように写真を撮るときもなるべく気にならないように意識から外すようにしてた。


そんなある時、公募に応募するための写真を撮るために河川敷にふらっと立ち寄った時、なんの気無しに改めて彼女のことをマジマジと見てみた。もちろんカメラを通してではあったが。

彼女のことをじっくりとみて浮かんできたのは素朴な可愛さと、安心感だった。

ノースリーブのシンプルな白いワンピースに身を包み、目に写るものに興味津々な様子でちょこちょことあたりをうろちょろしていた。

彼女は腰まで届くような黒い髪を振りながら、花を観察し、虫を追いかけ、楽しげに地面に寝転んだ。

その時、近所で有名な黒猫が近くにやってきた。彼は街で愛される存在でいつみても誰かに構われている様子だった。

そんな彼も一人を楽しんでいるのか、優雅に草むらで日向ぼっこをしていた。

そこに少女がおずおずと近寄って行きしゃがみ込んだ。

彼女はその愛らしい顔に満面の笑みを浮かべ猫を撫でていた。

黒猫も何かを感じ取っていたのか、どこか穏やかな表情を浮かべているように見えた。


自然とカメラをそちらの方に向けていた。

ファインダーの奥では、猫に何かを話しかけている少女と、気持ちよさそうにしている猫を辺りのタンポポが抱きしめるように包み込んでいた。

彼女の一番輝いている笑顔を、猫の目を細めている瞬間を、風に揺れるタンポポを、その視界に映る全てを取りこぼさないようにシャッターを切っていた。

それからも少女はタンポポに息を吹きかけてみたり、花によってきていたてんとう虫を覗き込んだりと楽しそうにしていた。

そんな様子を見て、胸に温かなものを感じた。その温かさに素直に従って大事な一瞬一瞬を切り取って大事に大事にしまい込んでいく。

昔からなぜか、人を対象に写真を撮ることが苦手だった。どうしても、一番の魅力を引き出せていないような写真しか撮れなかった。

いつからか風景画しか撮らなくなってしまい、気がつけば人をモデルに写真を撮ることすらしなくなっていた。

そんな自分が、なぜか少女の写真をいくつもいくつも撮っていた。もちろん彼女の姿は写真には残ることは無かった。

それでも彼女の一番の魅力をきちんと残すことができているような感覚を覚えた。

その時だけは、写真を撮ることが楽しく感じられていたのだと、自然と浮かんでいた自身の微笑みから理解した。

その日に撮った写真を日課にしていたSNSに投稿した。

いつもより少しだけ多くの人がリアクションをしていたことがどこか嬉しく感じられた。



それからしばらく経った頃。その日は大学生の頃の男友達たちと、久しぶりに飲みに行く予定があった。

いつも心の奥底であの頃のようにバカをやっていた日々に戻りたいと感じていたこともあり、ウキウキとしながら外出の準備をしていた。

そう、とてもウキウキとしていたはずだっったのだ。日課のSNSの更新のことも忘れてしまうほどに。

会場の居酒屋について個室に入ってから、即座に踵を返したくなった。

全員が集まっていたわけでは無かったが、その全てがスーツを着て責任感を喜んで背負い込んでいるような表情を浮かべながら談笑していたのだ。

部屋に入ったことに気がついた彼らはいつもの陽に気さくな挨拶をする前に少しだけ、ほんの少しだけ、あの頃のようにとてもラフな格好を見て言葉を詰まらせた。

「ひ、久しぶり!」

きっと気のせいだろう。無理矢理そう思い込んで努めて明るく声をかける。

彼らもすぐに表情を崩し口々に歓迎の言葉をくれた。

おざなりな返事を返しながら、適当に空いていた座席に腰を下ろす。

横にいたのはいつも適当な服と、適当な身だしなみで学校に来ていた奴だった。

だがその彼はくたびれ始めているスーツを着こなし始めているように見えた。

そんな友人が、「本当に久しぶりだなぁ。最近調子どうなんだよ?」そう聞いて来た。

「まぁ、ぼちぼちって感じだな。可もなく不可もなくの毎日だな。」

咄嗟に口をついて出て来た言葉は、全くと言っていいほどから回って聞こえた。

「そっちはどんな感じなんだよ。」

その質問に、彼はよくぞ聞いてくれましたという表情で語りだした。

「最近できた後輩が、すっげー使えないんだよ。ほんといつまで学生気分で夢見てんだろって言いたくなるな。」

あっけらかんとした表情でそんなことを言い放つ彼が、記憶の中の彼とさらに乖離していった。

「そりゃ災難だな。」そうやって適当な相槌を打ちながらも頭の中では自分の声が響いていた。

違う。彼はいつもバイト先の上司に怒られることを死ぬほど嫌っていた。

違う。彼はいつも後輩に対して優しく面倒を見てあげていた。

こいつは誰だ。

そんな会話を聞いていた他の友人たちも、参加してきて、いつの間にか話題は最近の愚痴だらけになっていた。

いろんな友人たちと話していく中で、記憶の中の彼らが霞んで消えていってしまうような錯覚に囚われた。

いつの間にか全員が集まっており、飲み会が始まった。


飲み会が始まってからいつの間にか結構な時間が経っていた。

ある程度、昔話をしたり、趣味の話をしたり。運ばれて来た料理を食べたり。

いつの間にか、お金の話をしていたり、仕事の話をしていたり。次から次へと酒を飲んでいたり。

結局話題が誰かに対しての愚痴に変わっていたり。必死について行こうと精一杯の愛想笑いを貼り付けたりしていた。


そんな中、横に座っていた友人赤い顔をこちらに向けながら尋ねて来た。

「そういえばお前ってなんの仕事してるんだっけ?」

何の気なしに聞いて来ているはずなのに、どこか嫌味に聞こえてしまうのは何故なのだろう。

「まあ大したことない仕事してるだけだよ。」

そんな返答で放っとできなかったのか、彼はその身を寄せながら「教えろよ〜」とさらに聞いてきた。

あの頃は心地よく感じていたその無遠慮さが、今はとても不愉快だった。

「昔はプロのカメラマンになるとか叶わない夢見てたろ。もしかしてその繋がりでメディア関係とかか?」

話すのを躊躇っている様子を見て、勿体ぶっていると勘違いしたのか冗談のように聞いてきた。

その言葉に返答を詰まっている様子に、彼は

「まさか、まだプロのカメラマン目指すとか叶わない夢見てるのか?」そう言い放った。

その言葉を聞いてあの頃の楽しかった記憶がミシミシと軋み始めていた。

お前たちからだけは、その言葉は聞きたく無かった。一緒に写真を撮っていたお前たちだけは。

彼は酔った勢いもあるのか、こう続けた。

「言いたくはないんだけどさ、そろそろ俺たちもいい歳になってくるだろ。」

うるさい。それ以上口を開くな。それ以上続けるな。

そんな重い思いは届くことなく、彼は依然として続ける。

「お前もいい加減に地に足つけてみるのはどうだ。」

気がつけば、手に持っていたグラスの中身を彼に目掛けてぶちまけていた。

驚いた表情で固まっていた彼は少し酔いが覚めたのか「す、すまん」と頭を下げていた。

周りの友人たちの視線がこちらに集まっているのに気が付き、自分のカバンから財布を取り出し適当に金を机に投げ何も言わずに店を後にした。


そこからどうやってどんな道をとおたのか覚えていなかったが、酒を片手に近くの公園のベンチで一人佇んでいた。

あの頃の楽しかった思い出は彼らと、他ならぬ自分の手によって壊れてしまっていた。

そんなことを忘れるためにも、独りでやけ酒を決め込んでいた。

いつからそうしていたのか、いつまでこうしているのか。

ふと、スマホの通知が鳴っていたのに気が付き、取り出して確認してみる。

彼らから謝罪の言葉が届いていた。

きっと彼らにもそこまで悪気はなく、ただ純粋に話していただけなのだろう。

そして、だからこそ軋んでいって壊れてしまったのだろう。

何の気なしに、スマホのカメラ機能を立ち上げる。

そんなカメラの視界の中で彼女はただそばにいてくれた。

公園のベンチで惨めに酔い潰れている様を見ながらも、どこか呆れながらも笑っていた。

そんな彼女を見て、無性に苛立ちが湧いてきた。

「何が可笑しいんだよ。どうせ惨めだ、哀れだって馬鹿にしてんだろ。

いつまでも夢に縋ってみっともないって思ってんだろ!

どうせあいつらにも、お前にも俺の気持ちなんてわかるわけないだろ!!

もう関わらないでくれ!お前の顔も見たくない!」

きっともっとひどい言葉もぶつけていたのだろう。

お酒のせいにするのは極めて格好悪いが、一度動きだした口を止める術を知らなかった。

口が熱を帯びたように動く間にも、頭は少し冷静だった。

一体何をしているのだろう。

自分の不甲斐なさを、みっともなさを、八つ当たりのように彼女にぶつけるなんて。

ましてや、他の誰にも見ることができないような本当にいるのかわからないような存在に。

こんなことをしても、不甲斐なさがみっともなさが増すだけだというのに。

側から見ればスマホを虚空に向けて怒鳴り散らかしている痛い奴でしかない。

そんなことがわかっているのに、それでも一度溢れ出たものは止まることがなかった。


一通り吐き出したいだけ吐き出した後、彼女の方に視線を向けた。

彼女は、泣いていた。頭を殴られたような衝撃が走った。

いつも笑顔を称え、楽しそうにしている少女にどうしてこんなひどいことができたのだろう。

感情がバラバラになったように感じられ、自然と涙が溢れた。

しかし、彼女は怯えて泣いている様子では無かった。

一歩ずつ距離を縮めこちらに歩み寄り、頭を撫でてくれた。

彼女は怖くて泣いていたのではなく、自分のために泣いてくれていたことに気がついてしまった。

嗚咽が込み上げてくる。もう、涙が止まるはずなどなかった。

少しして落ち着いた後、彼女をみると公園の真ん中の方を指差しこちらにアピールしていた。

釣られてそちらに顔をやった時、目を見開いた。

公園に咲いていたピンクの花びらを踊らせる桜を、淡く月の光がライトアップしていた。

その光景に興奮したのか少女は楽しそうにくるくると回りながら喜んでいた。

持っていたスマホをそちらの方向に向けシャッターボタンを押す。

大切な瞬間を決して忘れないようにするために。


それからしばらくの間、少女と一緒に、その光景に少しの間見惚れていた。

どれくらいの時間が経ったのかわからないが、少し風が肌寒く感じられたことでふと我に帰った。

「そろそろ帰ろうか。」そう呟き帰路に着く。

目には見えなかったが、きっと彼女と一緒に楽しく帰宅した。そんな気がしていた。


その日のSNSには、彼女とみた月明かりに照らされる桜を投稿していた。

あの時に感じた感動を誰かにもお裾分けしたくなった。

いや、彼女の教えてくれたこの光景を確かな証拠として残したかったのかもしれない。



次の日の朝、スマホからけたたましく鳴り響く通知音で目が覚めた。

寝ぼけ眼を擦りながら見てみると、SNSに投稿していた写真に今まででは考えられないようなリアクションが来ていた。

起きてすぐの頭にはうまく理解しきれていなかった。

なんとなく彼女が横にいるように感じられ、「ありがとう」という言葉が口をついてでた。


そうして彼女のことを心から受け入れた日から、彼女と多くの場所を巡った。

彼女と一緒に心を揺さぶるような景色を見たいという気持ちに従って、様々な場所にカメラを持って行った。

世界中のオレンジ色を集めたような夕焼けが溶け出し、その輝きを海面に映し出すようなビーチに。

そこで楽しそうにはしゃぐ彼女の姿を写真に収めた。


森の中に流れる何物にも穢されていない清流を跨ぐように掛けられた木造の素朴な橋に。

橋の上で少し怖がっている彼女の姿を撮った。


流れる川を覆いつくすようなピンクの絨毯が敷き詰められた桜の名所に。

綺麗だねと伝えてくるような彼女の笑顔を撮影した。


春になり少し暖かくなってきたこの時期でも雪化粧をしている霊峰の姿を。

口をあけっぱなしで見惚れている彼女をフレームに収めた。



色々な場所を巡りながら写真を撮る。それ自体はいつものような出来事だったが、横に彼女がいるというだけでそのどれもが大切な思い出として思えた。

いつからか撮った写真を公募に出せるものかどうかで考えるようになってしまっていた。

けれど彼女と一緒に過ごしている間はそんなことは頭の片隅にもなく、ただ大切な一瞬を切り取って大事に思い出に残すためにシャッターを切っていた。

そうして自分の心の赴くままにカメラを構えシャッターを切り、その写真をSNSに上げ続けた。

あの日から増え始めた反応が、まるで物語がクライマックスに近づくに連れて盛り上がるようにだんだんと増えていった。

気が付けばSNSのフォロワーが飛ぶ鳥を落とす勢いで増えていた。だけど今の僕にはそんなことはどうでもよかった。

明日は彼女とどんな光景を見に行くか、そのことを考える方が楽しかったから。

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