京都の下宿先で布団を干したら即クレームがきた
今から十年以上前になりますが、これは僕が京都の大学生だった頃のお話です。
地方の町で生まれ育った僕は、古典や小説の中に出てくる京都という町に憧れて、大学進学を決めました。
一人暮らしも何もかもが初めてで、当時はそういうものかと受け入れたことも、今になればおかしいと思うようなことも色々ありました。
これはそういった出来事のひとつです。
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下宿先は、いわゆる京都の碁盤の目の中。昔の言葉で言えば、洛中と呼ばれる古い町並みのエリアでした。
といっても下宿先の家は風情ある京町屋、というわけではなく、昭和の下町によくありそうな普通の古い木造二階建ての民家でした。それでも近所には店そのものが骨董のような古道具の店があったり、七月になれば祇園祭の鉾が立つ通りも近く、京都に憧れていた僕としてはとても満足でした。
僕の父親の友人の紹介ということで、入れてもらえた格安の下宿です。不動産屋に情報は出さず、紹介や伝手のある人だけを入れているということでした。
普通より少し大きめの古い家。一階は大家の老夫婦が二人暮らしをしていて、二階が下宿人の居住エリアでした。
引き戸の玄関を入るとまっすぐ薄暗い廊下が伸びていましたが、その奥は大家さんの生活スペースなので、入ったことはありません。玄関からすぐに二階へ上がる急な勾配の階段がありました。裸電球がポツリとひとつ、階段の上から吊り下がっていて、夜になるとしょっちゅう羽虫がたかっていました。古い木造の深い茶色の板材が、一部だけ妙にテカテカと光っているような年季の入った家でした。
階段や廊下には、ところどころに奇妙なお札が貼ってあり、さすが京都の家だと思ったものです。他人の家にある、独特の馴染めない匂いが漂っていたのもよく覚えています。それも住んでいるうちに慣れました。
僕の部屋は通りに面しておらず、薄暗い部屋でした。部屋の窓から顔を出せば、一方通行の通りが少しだけ見えました。夕方になるとラッパを吹いた豆腐売りがやってくるので、本当に小説の中みたいだと感激したのを時々思い出します。
部屋は和室の六畳一間。部屋の中に水回りはありません。台所・トイレ・洗面所は共同。エアコンなし。風呂、洗濯機もなし。時々、近くの銭湯へ行き、コインランドリーを使っていました。
部屋の鍵は、ドアノブの内側のボタンを押してドアを閉めると鍵がかかるという簡単なボタン錠でした。防犯としてはお粗末なものですが、そもそも一階玄関にも鍵はありましたので、特に気にしたことはありません。
僕の他には、あと二人、下宿人が住んでいました。いずれも僕と同じような男子学生でしたが、顔を合わせることもほとんどなく、共用部分に残る人の気配と部屋にともる灯りで、ようやく僕の他にも人がいるとわかるような状態でした。
家主は無口で愛想のない老夫婦でした。ほとんど話はしませんでした。最初にご挨拶をしたくらいです。普段も家にいらっしゃるのはわかりますが、あまり姿も見かけませんでした。とにかく静かな家でした。
快適な一人暮らしではありませんでしたが、その頃の僕は田舎のおのぼり学生でしたので、小説で読んだ貧乏学生の暮らしのようだと、それなりに楽しんで過ごしていました。
*
四月の終わりの頃でした。
連休の初めだったでしょうか。慌ただしい新入生のあれこれを一通り終えた僕は、下宿の部屋でのんびりしていました。
その日はとても天気が良く、僕はふと、布団をまだ一度も干していないことに気づきました。
せっかくの良い天気です。僕は薄っぺらな布団をエイッと勢いよく、窓枠に引っ掛けるようにして出しました。ベランダがないので、とりあえず窓からベロンと布団を垂れ下げる格好です。なんだかキチンと一人暮らしができている気分になって、僕はちょっと満足な気持ちでした。そして、本でも読もうかと座ろうとした時です。
コンコン
部屋の薄いベニヤ板のドアがノックされました。
(誰だろう。大家さんかな?)
訪ねてくる友人もおりませんでしたから、引越しの時に挨拶したきりの無口な老夫婦を思い浮かべました。
コンコンコンッ
二回目のノックは、僕の返事を待たずにすぐに響きました。強い音ではありませんが、なんだか急かされるようでした。僕は慌てて、「はい」と返事をしながら扉を開けました。
扉の前にいた人は、ドアに顔をくっつけていたんじゃないかというくらい、近い場所に立っていました。
僕はギョッとして、一歩後退りました。相手は微動だにしませんでした。
それは、知らない中年の女でした。年齢は、五十代くらいだったでしょうか。
僕はとっさに、この人は大家の老夫婦の娘だろうかと考えました。意味のわからないことに遭遇した時、人は記憶の中で整合性を取ろうとするのでしょうが、この時の僕はそうでした。
女は小柄で少し痩せ気味で、白髪混じりの傷みが目立つセミロングの髪を無造作に後ろで一つにまとめ、暗いぎょろぎょろとした目でこちらを見上げています。服装は、今思い出そうとしたのですが、はっきり思い出せません。これといった特徴はなかったと思います。スーパーや道端で見かける、どこにでもいるような中年女性だったと思います。けれど、どことなく嫌な感じのする人でした。
女はゆったりとした京都の口調でこう言いました。
「あんた、最近来はった人?」
外は天気が良かったのに、女の背後の廊下がやけに暗くて、彼女の声も妙に廊下に響きました。別に怖い声、というわけではないのです。口調は柔らかで、年相応に濁ってはいますが少し高めの声。ゆったりとした話し方です。けれども妙に圧が強くて、僕は確かにゾッとしました。
「はい」
僕が小さく返事をすると、女は歪な愛想笑いを見せて、
「そうかぁ」
と、これも僕の耳馴染みのない抑揚で言いました。
目が笑っていない。貼り付けたような笑顔です。
言葉はゆったりとした京都のものでした。大家さんが話していたアクセントと同じです。僕は地方出身なので、あまり細かな違いはわかりませんでしたが、漫才で聞く関西弁や大阪弁とは違う、独特なつかみどころのないイントネーションでした。
「ここの人ら、なんも言うたらへんの? あんたも困るやんなあ」
ゆったりとやさしげに、しかし何かを強く咎めるような口調でした。
一体何を言われているのか、僕には分かりませんでした。
年配の女性の京都弁は、大学のキャンパスで聞く京都弁とも違っていて、随分と深く歪んで聞こえました。
それに、この女は一体誰なのか。
大家さんのことを”ここの人”と言うことは、大家さんの娘ではなさそうです。けれど僕の部屋の前まで来ているということは、すでに玄関から家の中に入っているのです。
僕はじわじわと、ゆっくり鳥肌が立つような気持ちになりました。
玄関には、家の中に人がいるいないに関わらず、いつも鍵がかかっていました。その鍵を持っているのは、大家の老夫婦と僕たち下宿人だけのはずです。その説明は引越し初日に、大家さんから鍵を受け取った時に聞いていました。どうしてこの人は、僕の部屋の前にいるのだろう。
僕は、得体の知れない女に何を言われているも分からず、大変居心地の悪い思いをしていました。
全ての意味がわからなくて、今すぐ扉を閉めて女を追い出したくてたまりませんでした。
けれどそうしたところで、すぐにまた扉を叩かれるだろうともわかっていました。
女は下から品定めするような目つきでぎょろりと僕を見上げ、またゆったりと言いました。
「あんな、布団なんか出したら何言われるかわからへんし、気ぃつけんとあかんよ」
「えっ?」
「よその人は分からへんやろか。あんたも、お若いしなあ」
「は、はあ」
「学生さんでも、普通はちゃんとしてくれはるんやけどな。けど、まあ、言われな分からへんわなぁ」
いかにも仕方のない様子で、ふうとため息をつく様は本心からそう思っているようでした。
僕はようやく、「布団をしまえ」と言われていると気づきました。
ひとつ疑問が解けて少しホッとしたものの、またさっきの疑問が浮かびます。
当たり前のように僕は目の前の女性に注意を受けているわけですが、結局この人は誰なのか。
この家の人でもなさそうなこの女性は、どうやって僕の部屋の前まで来たのでしょうか。
他人が勝手に鍵のかかっている家の中に入ってくるなんてあり得ない。やっぱりこの家の娘さんとか、どなたか鍵を預かっている親戚とかなんじゃないか。
僕は頭の中で辻褄を合わせようと必死でした。
それに、ずっと気になっていたことがもう一つありました。
僕が窓に布団をかけてすぐに、扉がノックされたのです。
仮にこの家の住人だったとしても、僕の部屋の窓を常に監視でもしていない限り、そんなにすぐ訪ねてきたりできるものでしょうか。
考えれば考えるほど、また気味が悪くなりました。
僕が固まっていると、女は、
「早よ、しぃや」
と独り言のように呟きました。
それが早く布団を取り入れろということだと気付いて、僕は慌てて窓から布団を引きずるようにして部屋の中へ入れました。女は何も言わず、慌てる僕をじっと見ているだけでした。
「申し訳ありませんでした」
布団を取り込んだ後、玄関に立ったままでいる女に向かって大袈裟なほどに頭を下げると、女は顔をしかめました。
「いややわ。別に怒ってるわけとちゃうし、謝ったりせんといて」
「は、はい」
「ほんなら、お邪魔しました。よろしゅうね」
女は来た時と同じように少し高い声でそう言うと、階段を降りて階下の暗がりへと消えていきました。
すぐに僕は慌てて扉を閉めたので、玄関から彼女が出て行ったかどうか、記憶が定かではありません。
*
僕はしばらく部屋でぼうっとしていました。
今のは一体なんだったんだろう。
意味のわからない気味の悪さが残りましたが、それは徐々に、不躾な訪問者への怒りになっていきました。
急に人の部屋に来て、布団をしまえだなんて失礼じゃないでしょうか。
それに、あのタイミング。
どこからか分かりませんが、きっと監視していたに違いありません。
ぶぶ漬け、逆さホウキに、一見さんはお断り。
京都の人は怖い、怖い。
そういった言葉を、僕も痛感しました。
同時に、なるほどこれが京都体験かと、どこか面白い出来事だったなと思いもしたのです。
地元に帰った時に話してやれば、みんなにウケそうです。
連休明け、大学に行ったら新しくできた友人にも面白くおかしく話してやろうと思ったのです。
この友人のことは、仮にAとしておきます。名前を書くのはよくないでしょう。
Aも地方から京都に出てきた学生でした。
ぼんやりしている僕とは性格が全く違い、頭が良くて皮肉屋で、いろんなことによく気のつく人でした。でも僕達はなぜか気が合って、大学卒業後の今でも交流は続いています。
Aは皮肉屋でしたが妙にユーモアもあって、だからこの話も「京都人あるある」として、きっとウケるだろうなと思いました。そう思うと、むしゃくしゃしていた気持ちは少しずつ消えていきました。
*
五月の長い休みが終わり、大学では本格的な授業が始まりました。
午後の遅い時間だったと思います。昼のピークを過ぎて、学食は閑散としていました。そこでAと二人で遅めの昼食を食べていた時です。頃合いを見計らい、僕はそうだと思いついたように話し始めました。
「そうそう、連休入ってすぐの頃に、とても京都らしい怖い出来事があってさ」
何気なく話し始めた時、Aは食事の手を止めて、ハッと僕の顔を見ました。話題に食いついた、というような好奇心にあふれた顔ではありません。ギョッとしたような、なんとも言えない表情でした。おもしろい話を聞かせてやろうと意気込んでいた僕は、出鼻をくじかれたようになって「え、何?」と聞きました。
「悪いけど、その話、やめてくれないか?」
Aは短くそう言うと、何もなかったような表情に戻って食事を続けました。
「えっ?」
僕はしまった、と思いました。もしかすると怖い話が嫌いな人だったのかも知れない。
そうと知らずに新しい友人を不快にさせたんじゃないかと、僕は不安な気持ちを誤魔化すように笑って言いました。
「いやいや、大袈裟に怖いなんて言ったけどさ、幽霊とかそういうんじゃないから。そんな怖くないっていうか。人怖、っていうか」
「いや、なんの話かは分からないし、聞く気もないけど、その話、しないほうがいい」
「え、なん、で」
ううん、と少し困ったように首を傾げた後、Aは小声で言いました。
「今、いるから」
*
そんなわけで、僕はこの話をAにすることはありませんでした。
他の人にしたこともありませんでしたが、先日、祇園祭で賑わう京都の町をテレビで見ていた時に、ふと思い出して懐かしくなったので、ここに書いてみることにしました。
もう随分前のことですし、僕も京都を離れましたから大丈夫かと思います。
僕はそれ以来、窓から布団を干すことはありませんでしたし、例の女性を見ることもありませんでした。コインランドリーで布団乾燥をやってみたら、思いのほかフカフカになって良かったです。
あのあと大家さんには、知らない女性にこういう注意を受けたと状況も含めて報告したのですが、「ああ、気ぃつけてや」と言われただけでした。
あの女が誰だったのか、いまだに分からないままです。
他にも不思議なことはいろいろありましたが、僕はどうもそういうことに気付くのが鈍いようで、なんだか変だったなあ、でそのまま過ごしています。
Aはそんな僕をうらやましい、と言います。周りを巻き込まないようもっと注意しろとも言われます。
お前は平気だろうが、他の奴はわからない、と。
幸いにも、今のところ僕の周囲で不自然な不幸は起こっていません。年月相応の不幸があっただけに思えます。
ただ、それも僕自身が気づいていないのであれば、本当のところはわからないのですが。
後から知りましたが、京都のまちなかで布団を干すのは本当にダメだったみたいです。
今でもそうなのでしょうか。
僕が京都を離れてもうずいぶん経ちますから、今は違うかも知れません。
ともかくこれを読んだ方も、その土地の習慣などには、十分気を付けてくださればいいなと思います。